Product−X 挑戦者たち

「じゃあ、DLL作ってみます」
新たなメンバーの参加が事態を大きく動かした。
 
もやもやとした気持ちを抱えながらも、日本語化は歩みを止めなかった。
メッセージに関すること、OSに関すること 英語版PPCの日本語化の手順があったのできっかけとなる物は、間もなく発見できるかに思えた。
そして、ATOKの問題は Keypad.dllが問題であることは既に解っていた。そこに新たな人物の影が見え隠れしていた。
H氏。彼の提供するツールがK氏のP50の動きを監視して、想像を確信に変えた。そして衝撃の一言
「じゃあ、DLL作ってみます」
幾度かのテストツールでのトライがあった。もちろん、それで集められたデーターはすぐにも反映され 新たなツールが作られた。何度かの後の結論は そこを変えること。
その日だけで既に5回のリセットがされたBenQ P50、6回目のリセットはそのツールを導入する為の物だった。
まだ、完成品とはいえない状態で転送されたプログラムはBenQ P50の上で実行された。
恐る恐るキーボードに触れて文字を打つ。
推測変換の窓が開いた。
窓は、まだ、上下に動いて完全とはいえない状況だった。しかし、それは環境の問題なのか、それともプログラムの問題か、設定の問題か はっきりとその時点では解らなかった。
しかし、そんなことなどどうでも良かった。
「ATOKが動いた」その事実だけがただ嬉しかった。
そのときの心境を、後にK氏は下記のように語っています。

えっと、H氏とメッセしながら偽DLLを作成してもらいました\(^^)/

現在、IMEのON状態を保持したまま推測変換も確定も出来ます!! M氏とテストしてから公開の準備に入りますのでしばしお待ちを・・・。

動いたのはATOKだけではなかった、みんなの気持ちがそこで動いた。
僅かな時間で、検Ben隊だけではなく多くの人からのメッセージが届いた。
「おめでとう。」 「感動しました。」
その日は勝利の美酒に酔いしれた。
はからずしも、その日は「BenQ P50 お披露目パーティー」の日だった。
ATOKが動いたこと、パーティーに間に合ったこと 全てが嬉しかった。
その日を機に、検Ben隊への新たな入隊者が決心を固めることとなった。
アドバイザーである、A氏にはこの感動を言葉で伝えたくて 国を越えた声のメッセージが飛んだ。
 
これで、日本語版として使える環境は整った。その時は、そう思っていた。
しかし、それで終わりではなかった。
まだ、日本語化が完全ではない。
 
既に、一部のメッセージは日本語に変わっていた。
小さな部分では、Wifiのメッセージなどは早い機会から書き換えられたりしていた。
しかし、メニューのボタンが「開始」なのか「スタート」なのかそんな細かいことまでが気になるようになっていた。
これも出来るはずだ。