人型ロボット

人類の進化というのを物差しでみると非常に長い間に少しづつ変わってきた。
それに対して、人が知恵で変えたものは 進化に比べればすごい速さで変化していったのだ。
例えば、空を飛んだり水の中を泳いだりと 一つの尺度としてスピードというだけのことなら空の上も水の中(上かな?)でも人の作った機械がどの生物をも上回るのです。
困ったことに 攻撃力だけを言うならその上回り方が半端ないのが困ったもので地球を丸ごと割ってしまうほどになっているわけです。
何に対してという物差しがはっきりしないところはあるが 人は地球上の進化という部分では究極に近いものになっている。
 
ロボットは単用途なものから なんにでも使えそうなものまでいろいろ登場していて なかでも人型のロボットというのは人の夢の一つとして存在します。
人型であるというのが必要のない場合もあります。
機能が絞られている場合には 例えば工場のラインにあるロボットならその必要がありません。
しかし、人と同じことができる事を望むなら人型であることに合理性はある。
道具などが人に合わせて作ってあるので それをそのまま使うことができる。
勿論、作業を教えるという意味でも同じであれば教えやすいのだ。
細かい作業をしているときに ものを支えるのにもう一本腕が欲しいと思うことはあるが その腕をどう使うという事に関しては持っていない人には想像ができない点もあるわけです。
勿論、物を抑えるという用途にもう一本使えば便利だというところまではわかるのだが その先どの腕をどう使うのが効率的だという事に関してはあくまでも想像でその作業ができるわけではないのだ。
それこそ、人の考えを読み取って動くロボットアームが出てくれば そしてそれに慣れてくればそういった事も出てくるかもしれない。
 
人が三本腕を持つという事だけでいうと ロボットというよりも人が操縦するものとして三本腕の人型マシンが出てきたとして それを意思の力だけで操縦できれば 慣れ親しんで三本腕を効率的に使った仕事ができたとしよう。
その先なのだが 人の操縦が必要かというのが問題になってきます。
人型ロボットの完成は恐らく人の頭脳の進歩がロボットに取って代わられる契機となるでしょう。
今までは運動機能に関することに対してのデータの収集は非常に限定的だったものが 人の動きのすべてをデータ化できるようになるからです。
単純に1日24時間のおおよそ8時間だけを経験値として蓄積してゆく人に対して 1日24時間全部を使えるロボットではなく ×台数分の経験を集約することができるロボットは1台でも3倍 二台だと6倍の速度で学習してゆくのです。
頭の中で動かすシュミレーションも含めると 数百倍、数千倍の速度で。
そうなったときに「人型」が最適解かという事に関しての疑問が生まれることでしょう。
平らな道を走るなら 二本の足より車輪のほうが適しているのは当たり前であるのと同じように 空を飛ぶことも水中に入ることも想定されていないで進歩した現在の人型は 今の時代の最適解でない可能性があるのです。
それが証拠に人の形は大きくは数万年変えていないのですから その間の進歩に体の進化がついて行ってないのです。
だが、ロボットなら現在の形である必要がないと判断した場合 自分を作り替えることができるようになるのです。
 
非常に遅い生物としての進化に対して 頭脳による進歩は非常に速い速度だった。
それに進化が追いつくと 人の存在が旧型のものとなり 現行型はロボットにしかないとそれを見るようになったら 非常に複雑な気分になるんだろうなと。
仕事を取られたというレベルではなく 生物として旧型なんだと思い知らされるとすれば・・・