伊藤探偵事務所の爆発19

悪くない状況である。
綺麗なホテル。
毛足の長いじゅうたんの上に、ぺたりと座り込んだ。
足元に、感じるソフトな感触は十分に気持ちよかった。
出来たら、このままここに倒れこみたかったが 未来さんもいる手前そういうわけにも行かない。
3本あったワインが知らないうちに次々開いてゆく。
僕についでくれるので、新しいグラスが並んでゆく事で何本目か数えられる。
ふらふらしているのか、未来さんはあちこちのものを壊している。
ゴミ箱、サイドテーブル、お盆、グラスは一本のボトルが空くたびに一つずつ握りつぶされてゆく。
いや、人間の力で握り潰せるものではないので潰れているように見えるだけであろう。
でも、何故か物が壊れるたびに妙に笑いがこみ上げてくる。
「あはははは」
思わず床を叩いて笑ってしまう。
最初は申し訳無さそうに、下を向いて照れていた未来さんだったが そのうち笑いに釣られたのかアルコールが必要以上に廻ってきたのか だんだん、明るくなってきた。
ある意味、壊れてきたようなもんであるが お互いそれが当たり前のようになってくる。
何かが壊れるたびに二人で床を叩いて、笑いが止まらなくなる。
二人で床が壊れなくて良かったねと、大笑いした。
行儀が悪いと思いながらも、銀のお盆に載せられた チーズを積み木のように重ねて遊んだ。
時々、僕も未来さんも握りつぶしてしまったチーズを口に運んだ。
とても、大人の食べ方ではない。
乳幼児が、バナナを握りつぶしながら食べるあれである。
手がぐちゃぐちゃに成っているのを、指を一本ずつ舐めながら食べてゆく。
もう、お手拭として用意した タオルもべとべとだった。
おしとやかなはずの未来さんも総崩れだった。
残り少なくなってきたチーズの山を積んでいて、また握りつぶした。
ただ、笑いだけが部屋の中を支配した。
あした、極限まで汚れたじゅうたんをみて、この部屋のそうじをする担当の人は涙を流すのではないかと思う。
もしかしたら、僕も明日もここに泊まるかもしれないという考えが頭をよぎって、事情を知った人たちの白い目がにこやかな作り笑顔の下から見えるかと思うとすこし、ブルーだった。
しかし、今は笑いだけが部屋を支配し そんな事など勿論思い返す余裕も無かった。
「あっ」
関係の無い事を考えていたら、未来さんが僕のてを持っていた。
昼間の、滑らかな手ではなく 僕と同じチーズまみれの汚い手だった。
未来さん:「どっちの手が汚い?」
面白げに僕に聞いてくる。
「それは、こっち」
握りつぶしたばかりのチーズの沢山ついた手を未来さんの前に開いて見せた。
どちらからとも無く、大きな笑いが出た。
“ぱくっ”
未来さんが、突然僕の指を食べた。
「えっ」
僕には突然の事でこえがでなかった。
僕の手を舐められている事よりも、チーズやよだれで汚い手を舐められる事が恥ずかしかった。
なんと言って良いのか解らないが、指の感覚がいつもの5倍ぐらい敏感になったようでどこで何が動いているかも良く解った。
指の上を動く舌の感触、時々引っかかる並びの良い歯の感触。
声も出なかったし、体も動かなかった。
時間はわからなかったが、しばらく体が固まった。
指一本舐めた未来さんがもう一度きいた。
未来さん:「どっちの手が汚い?」
指を舐めたそのままの状態。
四つんばいで、顔が僕の指の前にある。
唇から少しだけ覗かせた舌が “ぺろっ”と唇を舐めた。
1テンポ
2テンポ
間の悪さは自分でも感じている。しかし言葉はスムーズに出てこなかった。
未来さん:「にゃお〜ん」
一度下を向いた顔が再び僕のほうを向いたときに出した声。
普通だったら、笑いのこみ上げるところだが 驚いて笑いも出てこなかった。
しかし、気持ちは落ち着いた。
大きく、それも未来さんに気取られないように息を吸って、成るだけ平静を装って言った。
「それは、こっち」
手を、もう少しだけ未来さんのほうに出した。