「目は閉じられても、耳にはまぶたが無いでしょう」
Ｍｉｓｓ．Ｌの言葉に 相手も、随分焦って来ているようだった。睨み付けるような視線をこちらに向けた。勿論、目は開いていた。
「所詮、女だな。ぺらぺらとしゃべらなければ間違いなく勝てたものを」
持っているトンファーを、Ｍｉｓｓ．Ｌに投げつけた。
「危ない」
思わず叫んだが、勿論 Ｍｉｓｓ．Ｌは体を柔軟に逸らし 軽やかにかわした。
長身の男は、真横に構え右足と左足が交差するさせ 前に出るほうの右足を９０度に曲げ一気に腰を沈めた。
左の肩と右の肩を繋いだ線の角度が４５度程になる左肩の下がった体制。目一杯左腕が 地面と平行に後ろに伸びていて 右腕は肘を曲げて右肩の高さで拳を握る。
交差して後ろにあった足が伸びて、右足の角度が一気に強くなる。その勢いでまるでカタパルトから飛び出す戦闘機のように体の速度が一気に上がる。
「その棒を廻す前なら惑わされはしない！」
男の あまりにも早い動きに、声が救急車のように流れて聞こえたような気がした。
Ｍｉｓｓ．Ｌは、先ほどのような早い動きではなく、地面を棒で突きながら軽やかな羽根のような丸で体の重さが消えて行ったかのように空に上ってゆく。
「遅い」
男は叫んだ瞬間に、地面ぎりぎりまで曲げられた右足で踏み切った。
“ぶちっ”と鈍い音がした。
十分に速度は乗っていたが、男の速度はＭｉｓｓ．Ｌを一気に追い抜くほどの速度にまでは上がらなかった。
男の顔は歪んでいるが、それでも声を出さない。
左手は、Ｍｉｓｓ．Ｌに向かって 体の角度に合わせて頭の上を大きな弧を描くように前に出す。劈掛拳の代表的な攻撃である事は私にでもわかる。
劈掛拳は、武術の里 滄州の代表的な拳法で 体を大きく伸ばした手刀を相手に叩き込む拳法である。もう一つの特徴として 特殊な歩法（拳法の足使い）を奥義に加え 常識では信じられないような距離からの攻撃を可能にするのが特徴である。
もちろん、演武や大会で使うものと 実践で使うものは違い絶招（秘伝の拳法の技の意、門外不出の秘技 奥義）と呼ばれる 相手の命を奪うときにしか使えない必殺の技であると言われている。
その劈掛の技が、緩やかに男との距離を伸ばそうとするＭｉｓｓ．Ｌの肩に向けて振り下ろす。しかし、速度が上がりきらない。
鈍い音は、男の足の腱の切れる音だったようだ。先ほどの加速が鈍ったのはそのせいだろう。
僅かに、首筋に指先が届く程度にまで程度にしか近づけない男。
私が安心した瞬間に、男の指が３０ｃｍほど伸びた。
Ｍｉｓｓ．Ｌの棒を止めるために、トンファーは投げられた もう男の手には何も無いはずだった。
指に見えたのは、指先から伸びる黒い棒だった。
男の手がＭｉｓｓ．Ｌの首筋に触れる瞬間に、男は腰から体を二つに折った。
Ｍｉｓｓ．Ｌの棒が、男の腹に突きこまれた。
Ｍｉｓｓ．Ｌの飛び去る速度が上がり、男はそこで失速してそのまま重力に負けて地面に落ちた。
膝からとも無く、腰からともない変な格好で地面に落ちた。
「何故だ？」
男は、うめくように言った。
「だからお教えしましたでしょ、あなたはもう終わっているって。最初に、あなたが攻撃を受けたときに既に足の腱は傷つけてあったのよ。そのまま帰れば何も無かったんでしょうけど 足に負担のかかる絶招なんかを使えば そうなるわ。」
緩やかに飛んだのも、相手が攻撃してくるのも Ｍｉｓｓ．Ｌの想定の範囲だったようだ。
戦いは終わった。
ポケットから、携帯電話を出して連絡を取ろうとした。
「まだ、終わってない」
男は立ち上がる事もできなかったが、体を 腕を振った。
届くはずの無い攻撃だ。まるで 駄々っ子が暴れているような。
“キンッ” 金属同士がぶつかり合う音。
細長い針のような棒を投げつけた男だったが、Ｍｉｓｓ．Ｌの棒に防がれた。
地面に飛ばされている針が、それを物語っていた。
「点穴針ね」
Ｍｉｓｓ．Ｌの言うとおり、長い針に指輪のようなリングが取り付けられ 手の中に隠すように作られた武器である。
人は見かけによらないというが、Ｍｉｓｓ．Ｌの細い体にはとても拳法をやっていたようには見えない。ましてや、男の攻撃全てを知っているかのような知識は 格闘技に詳しいと思っていた俺にすら信じられないものである。
腕で支えて体を起してはいたが、もう戦う意思は男からは感じられなかった。
「小柳刑事、大丈夫ですか？」
Ｍｉｓｓ．Ｌに言われて自分を見た。
狼男に引きちぎられた服を片袖だけ残した姿で、何度か地面に倒されたので 顔には泥が付いている。あちこち 細かく切り裂かれていて 上着を無くした白いシャツに赤い模様を何箇所かつけている。
