The Best Of Palm

なんだか、Palmの時代が終わったかのような書き方ですがそういったわけではなく、自分の持っていたPalmを手放すことになって、改めて思ったことです。
もう、何年前になるのでしょう? 最初のPalmを手にとってから・・・・

PDAという言葉があったのかどうかも判らないころ、電卓サイズのプログラマブルなデバイスがある、と言うのが興味の対象となりました。
そのころ、シャープやカシオからはプログラム電卓というものが未だ販売されており(今はどうなんでしょうね?)BASICでプログラムを作ったり出来るようなものが日本でもありました。
勿論、日本語は話さないことはわかっていましたが PCですら怪しい日本語をしゃべる時代、プログラム言語の中にもテキスト以外で日本語が使えない時代であれば、大きく気にすることもなく素直に入って行きました。
もちろん、貧乏だからで お金があればきっとHPのプログラム電卓に行ったことでしょう。「逆ポーランド」なんて言葉にあこがれたりもしました。
ジャンク屋巡りでだったか、知り合いの家でだったのか 恐らく二束三文で拾い上げたデバイスPalmでした。
インターネットも普及していない、Niftyを使ったフォーラムが唯一の情報交換の場だった時代に、CD−ROmに乗ってやって来るPalmのプログラムを入れて遊びました。
勿論、予定表も使いました。ただ、遊びの予定をショートカットとも付かない 自分にしかわからない2〜3文字の英文字の暗号で入れていました。
アドレスもTodoも使わない。ただの予定表と、海外から来る判らないプログラムを入れることに明け暮れました。
蜜月時代は長くは続かず、512KのRAMでは動かないプログラムが多発。私がジャンクで購入したぐらいですから既にそのPalmは時代遅れで、既に1Mのメモリーを要求するプログラムが多く(というよりまっさらなら動いたかもしれませんが・・・・というのが本当のところ 消せないデータもありますから)くらい所でもバックライトが点くとか 今考えればどうでも良い機能の為に乗り換えました。
この時代のお陰で、グラフィティといわれるPalm独特の一筆書きで特殊な作法のアルファベットを入力する方式にはずいぶん鍛えられました。
同時に、J-OSも購入。既にバージョンは2になっていました。大阪に住んでいると「井の中の蛙」なのです。そんな物が有ることも知りませんでした。
そして、役に立たないバックライトに失望しながらも、またPalmとの生活が始まりました。
12dotのローレゾフォントは時によって読むに耐えない文章を見せてくれますが、それでも、日本語表示をしてくれるということは楽しいことで、小さな電卓ほどのデバイスが日本語表示するという事に誰もが驚いてくれました。
そして、必要にして十分な速度・・・・のはずだったのですが、またしてもRAMがもう少し欲しいとか もう少し速度が欲しいと悪巧みを始めます。
未だ、インターネットは一般的ではなかったものの、幸いにもとあるお店に出入りするようになり好きなだけ利用できる環境にあったので、当時の3COMのサイトのリリース情報に胸ときめかせました。
「Palm3」発売!!
残念ながら、Niftyのフォーラムなどには参加していなかったので共同購入などの波には乗り遅れ、一人で購入する度胸も無く うじうじと過ごす日々。
そして、運よく見つけたPalm3+8M増設RAM。
恐らく、共同購入された方が使えなくて諦めたのか売りに出されていました。
当時、車にはまっていて ガソリン代の為に昼ごはんを抜く生活を続けていたときに、涙を呑んで買ったような気がします。その頃は、みんなにお昼ご飯をたかって回っていたような気がします。
やってきたのは、3COMブランドのPalm3。
標準2MのRAMが8Mに増設されたスペシャルマシーンです。
ご存じない方の為に注釈をつけると、当時のPalmは背中の部分を開けると現在のNotePCのメモリースロットのようなスロットが着いており、ここにROMとRAMが実装されていました。
ここに、8Mのカードが刺さっているわけです。
最初に付いていたPalm3のカードもあったので、古いPalmに差すと「なんちゃってPalm3」となり(CPUの速度が遅いのですがPalm3と同じOSで同じ動きをします)二台のPalm3持ちとなりました。
J−OSはバージョンを3に上げ、日本語環境は大いに改良され 入力の慣れさえあれば誰にでも使えるデバイスになってゆきます。
8Mカードに付属していたFkashBuilderでJ−OSをROMに書き込み「なんちゃって 日本語版」等を作ったりもしました。
既にPIMもアドレス帳も日本語で使えるようになり、現在でもインターネット系のアプリケーションやゲームをしなければ十分な8MのRAMのあるPalm3でした。

勿論、この後カラー表示のCLIEに進み現在のTungstenT3にまで至るのですがどうなんでしょう?
月予定の一覧性は、ハイレゾのワイド液晶にはとても及びません。
音も鳴る程度で音楽を聴いたりは考えも出来ません。メモリーの拡張スロットも何もありません。
昨日、人に譲るために久しぶりに目を覚ましたPalm3は十分な速度で私に答えてくれます。
勿論、英語環境なのですがアプリケーションの切り替えや入力の認識は十分高速です。液晶保護シートを張る習慣が無かったのでくたびれてきてはいますが それでも実用上の不自由は殆ど有りません。
考えれば、カラー液晶になったときに恐ろしいほど低下した速度、故にCPUの高速化を切望した。
HP 200に負けないための装備が、ポケットPCに対してになり・・・・・
現在のTungstenT3を持ってみて、あふれるばかりのアプリケーションを入れて、メモリーも30M近く消費しています。
多くはWEB系のアプリケーションが、キャッシュと本体で消費しています。WEBPro等は16M近く消費しているのではないでしょうか?
それ以外にはRealOneプレーヤーやKinomaプレーヤー、私が入れたTCPMP メール etc.
メールも一週間分の幾つかのアカウントだけで200通を超える転送量です。
結構なマルチメディアマシンとなっています。
 
PDAの定義をするときにPIMに拠り所を求めるわけなのですが、PIMだけならPalm3で完結していたのでは?と思わされてしまいました。
OSが4になり5になり 6は噂だけで出てきません。
4は現在X−PROが現役で電話として頑張っています。5はTungstenT3を使っています。PIMに関しての進歩は k‘sDatebookを使っていることもありあまり大きな進歩を私の中では感じられません。
バイスとして早すぎたのか、それとも足を止めてしまったのか、Palmの独自性を押し出すような 時代に合わせるだけでない改良がなされていなかったように思います。
 
過去の段階、何年前かでPalm3が出たときに完結する、いやもしかしたらもっと前かもしれませんが私の中でのBest PalmはPalm3だったかもしれません。
あちこち、ほつれのある重い処理を貧弱なCPUにかけたりという間違いを犯しながらもSony のClieは新しいことにチャレンジしてきました。
PalmのチャレンジはHandspringの残した遺産、SmartPhoneの熟成以降に何があるのでしょうね?