互換性の恐怖

最大の労力は互換性を保つことであるという事で苦労した企業は少なくない。
例えば 超大企業となりえたIntelですらいくつかの互換性の読み違えで窮地に陥ったことがあるのです。
潤沢にPC用のCPUのシェアでトップを走っているように見えるが 何度かその将来に影を落とすことがあるわけです。
例えば、Pentiumからの脱却を望んだPentium Proのように
そして、Itaniumのような高性能プロセッサーにおいてである。
この例にするところの両者は はからずしも一つの時代の変革に合わせたものである。
最初のは16Bitから32Bitへの転換期、そしてあとのは32Bitから64Bitへの転換期です。
 
世界的なPCがどのメーカーの物でも同じプログラムが基本的に動くようになったのは(MACは別にして)そんなに古い昔ではない。
IBMの作り出した PC/XTと言われる汎用機がスタートで その後ATと進化して言ったわけです。
そして、そのATと呼ばれたPCには互換機というものが多く登場します。
80286と言われる16Bitプロセッサーで登場するATに対して、互換メーカーは責任のなさも手伝って とにかく最新のプロセッサを惜しげもなくつぎ込んだ訳です。
当初互換性の高い 80386SXと言われるプロセッサは16BitそのままのBus構造を持っていながら処理そのものは32Bitの処理を持つプロセッサーでした。
それを32Bitに拡張した80386DXでハードウエアは32Bit時代に入る。
Windowosという大飯ぐらい(RAMの消費量がとにかく激しい これはOSそのものよりグラフィックに依存する部分が多かったことが原因ではあるが・・・)のOSの登場とヒットで加速してゆく。
内部のレジスタも 32Bit拡張命令も増やした80486SX、それにCPUが苦手とする演算処理用のコプロセッサ(ある意味Dual Coreですね その当時もそういった表記はあった)を同梱した80486DXのスタイルが その後のCPUには専用の演算プロセッサが同梱される構造となった走りである。
ここで、マザーボードの生産上の限界で 高速の信号をマザーボード上でやり取りするにはノイズとレベルの低下との戦いとなりCPUそのものは高速化できるにもかかわらず速度が頭打ちしてしまうという状況に追い込まれたわけですが、よくドラゴンボールに例えられるわけですが 漫画中では「界王拳」なんて呼んでいましたが 内部で高めたパワーで何倍もの処理をするという手法を生み出し DX2、DX4と外部クロックを25MhzのままCPUは50Mhz、100Mhzとパワーアップして言ったわけです。
マザーボードそのもののクロックは33MhzぐらいでBusの速度もあり行き詰っていた閉塞感を吹き飛ばしたわけです。
この後、CPUの倍率なんて表記は当たり前になって行くわけです。
CPUのクロックは25Mhzが4G近くまで上がっているわけですが 倍率は軽く10倍を超えているわけで CPUの速度ほどにはマザーボードの速度はアップしていないのです。
ここまで来たところで 今度は違う限界が見えてくるわけです。
Windows OSそのものの主要な部分が16Bit命令で書かれていることで 管理できるメモリーのサイズや 速度的な向上が頭落ちと言うより どんなに高速化してもそれを生かせなくなってくるわけです。
このジレンマの中登場するのが 32Bitネイティブな部分で高速化をなされた Pentium Proなのです。
Intel以外のCPUベンダーは 倍率の向上競争に入り それと同時に処理の最適化処理も行い Pentiumの優位は失われてきたどころか 負けることも少なくなくなってきたわけです。
一気に引き離すために32Bit処理を高速化したPentium Proでそれと同時にOSも16Bit系のIWn95、98、Mileniumと続く16BitカーネルベースのOSとNT、2000の32Bitカーネル系のOSとの二つに分かれてゆくわけです。
当然32Bit径の WindowsNTPentium Proとの組み合わせに合わせ マザーボード上に二個以上のプロセッサを乗せたサーバーなども登場し 時代の変革を見せられて愕然と私はしたわけですが 世界はそうは簡単に進まなかったわけです。
WindowsNTの16Bitアプリケーションの互換性はさほど良くなく、世界は16Bitアプリケーション主流で 尚且つ32Bitに最適化されたぺんちうm Proは単純な整数演算などでは 旧来のCPUに対しても遅かったわけです。
16Bitに高速なCPUが出ないIntelに対して、32Bitは得意ではないが16びtアプリケーションが高速に動作するサードパーティ製のCPUが一気に人気が出るわけです。
非常にIntelが追いつめられることとなるわけです。
その後、16Bit性能を向上させるための改造と Pentium Proの高すぎる価格を引き下げる為にマザーボード上より高速でCPう内部ほどではない高速なキャッシュメモリーをスロット上の基盤に搭載した 今考えればCPうと言っていいのかどうか微妙な Pentium2というCPUが登場して 16Bitも32Bitも高速なIntelの復帰と キャッシュメモリーを外部に独立させたこととにより 内部クロックを胃までにないほど高速化できるという特性もあり 10倍を超えるかけ率を持つCPUとなり 基本構造を最適化しすぎクロック体制の低かった それ以外のCPUは引き離されることとなるわけですが 一時器は2台に1台はIntelではないとまで言われる始末で 牙城は完全に揺らいでいたわけです。
 
もう一度もよく似た感じで32Bitから64Bitへの移行で すでに効率の悪くなっている16Bit滅入れ英までをも含んだCPうを全く命令形態を変えて高速化するCPUを出したのです。
前回と違いこのユーザーは実にはっきりしていて 一般のユーザーではなく企業のそれも特定の用途に向けたものだったのです。
データーベースやWEBシステムで多くのユーザーの処理を1台のPcで集約したいユーザーたちにとって32Bitの命令と言うより 4Gと制限されたメモリー空間が狭いという事が最大の問題だったのです。
モリーへのアクセスや 外部インターフェースへの接続など 最適化されたItaniumは最速のプロセッサーとなったわけですが 明確に企業がそれに切り分けられていたわけでもなかったわけです。
それに対するAMDAMD64という 古い32Bitのアプリケーションもそのまま動く63Bit環境をかなえるアーキテクチャーを提供していたわけです。
よほどのアプリケーションでない限り Itamiumに対応しておらず、とくに管理ツールなどの対応が遅れたことから 今回はサーバー向けCPUのOpteronに脅かされることとなるわけです。
独自規格のRAMの問題なども引きずって これも嫌な感じとなるわけですが 逆にAMDの生産上の躓きなど外的要因にも助けられ 結果的にAMD64を異なる名称で呼んで対応することとなるわけです。
現在Microsoftですら そのCPUへのプログラムの提供は行っておらず 数年すれば黒歴史と呼ばれるものとなるのでしょう。
 
必ずしも優れたハードウエアが 売れるというわけでもないわけです。
AppleもJobsに助けられたと表現されている危機的状況も、幾度かのOSの根本的な切り替え期に起きています。
最初は、68000と言われるCPUアーキテクチャーからRISC CPUであるPowerへの切り替え時期、そしてそのPowerからIntel CPUへの切り替え時期。
特に後者はすでにi-Podなどのヒット商品が登場する時期であり MACのシェアの低下はしょうがないという状況にあったことから 必ずしもその切り替えを乗り切ったというものではないはずです。
ただ、超えてしまえば それ以前のアーキテクチャーは無かったことのようにできることから 先進性はあるわけです。
既に、WindowsのDVDの中を見れば解る通り OSそのものより色々な機種に対応するためのドライバーパッケージの方が多くの割合を占めているわけですから・・・・
お陰様で 少しぐらい古い周辺機器を繋いでも今でも動いたりするのはありがたいわけですが ようやくWindows VISTAで過去の遺産を切り離したわけですが その失敗の状況も皆さんよく知っている限りです。
ジャンクを弄っていても すこし最近怖くなってきたのは ものによってはWindows7のドライバーが提供されてないどころか 物理的に動かないものが出てきて 古いものは多く切り捨てられたのを知っているからです。
もう、メモリーカードの外れないタイプのデジカメなどを動かせる母艦はすでに無くなってしまったわけです。
勿論、これはMACにおいてでもです。
 
今回、AndroidはOS4.0でインターフェースを幾分大きく変更しています。
実際はTablet用として提供した3.0に準拠するべきものです。
故に、対応しないプログラムが 1.6から2.0の時のように少し出てきています。
今後、4.0の機種が多く出回ればもっと多くの不具合が報告されることでしょう。
それでも先進的なインターフェースや、SNSを統合するという仕組みは 端末各ベンダーが独自におっこなっている動きで大手では キャリアも端末メーカーも必ずと言っていいほどやっていることです。
それをOSの中に盛り込んだというわけですが いままで独自のそういったプログラムを利用していた人にとっては大きく変わってしまうわけです。
それを改悪と言うのか、改善と言うのかですが どうなんでしょうね??
Androidはそうなわけですが、i-OSはどうなんでしょう?
何度か OSの変更がありメジャーバージョンとしては5世代目となるものです。
しかし、端末そのものはタッチパネルにセンターボタンが一つ。ボリュームと電源ボタンという構成は変わっていません。
2ndカメラが付けられたぐらいです。
Andrroidは汎用でもあったことから トラックボール付でスタートしてポインティングデバイスを取り払い 4.0ではボタンそのものを無くしてもいいのではと言うアプローチです。
細かい変更は繰り返されていますが それ故に大きな変更は少なく それでも1.5の時代と4.0時代では同じOSとは思えない外観ですらあります。
じゃあ、i-OSにDualSIMになった時のインターフェースやLTEになった時のインターフェースに関して 思い至るでしょうか?
恐らく多くの方は そのイメージを頭の中に思い浮かべることすらできないでしょう。
あるとすればAnroidをまるでi-OSのように化粧直しした端末ではそういったものを見ることはありますが それらはいきなり独自のインターフェースだと思い出させてくれるようなものです。
未だ、タッチパネルのインターフェースそのものは行き着いたわけではないとはお思うのですが やはり細かい部分の選択など あのインターフェースそのものが持つ欠点は解消されていません。
ハイブリッドで専用のスタイラスとの選択を持っているものなど Androidでもいくつかのチャレンジがなされています。
そんなものと否定するのは簡単なのですが 新たな可能性をつぶしてしまうことは決して良いことではないわけです。
ですが それとともに完成度が高いものほど互換性という切り離せない恐怖が付いて回るわけです。
その恐怖を恐れると 恐怖は大きく育ってゆくわけで・・・・
高騰する株価がそのチャレンジを遅くしすぎる要素になると と言う恐怖は独裁者のいない会社にとって難しい判断なのではと・・・
written by HatenaSync