先日のフィリピンで新しい国にひとつ行った

出かける前から脅かされて出たわけですが
ひとつは政治の腐敗で、所謂ワイロ国家であると言ううわさ。
入国や何かの手続き全てにワイロが優先されると言う話。
もうひとつは 中国との関係が悪化したので それがどうなるかと言う心配。
まあこれは 出かける直前に、中国とフィリピンの間で話し合いが決まったそうで 少なくとも終わるまでは安心と思ったわけです。
じゃあ、残りは最初のワイロがどうのとか 人を見たら泥棒と思えという話な訳です。
 
根拠の無い話と切り捨てるには 直前、旅行代理店に行っても 「マニラ」と書いたパンフレットは一部も見つけることができませんでした。
しょうがなくガイドブックを探してみても 多くても二誌ほどしかないわけです。
インターネットで探してみると それでも見つかるのが凄いところです。
ホテルを探したのはBooking.comというところを使ったのですが ここは宿泊日全部の合計金額で表示されるのが便利で 3泊4日でじゃあ合計いくらと言うのでランキングされるのが便利で使ったわけですが 私の泊まったホテルの評価は外国語ばかりで そうでないExpediaなどを見ていても 「夜は出歩くな!」なんてみんな書いています。
タクシーも地球の歩き方ですら ホテルタクシーやエアポートタクシーを使いなさいとなっていると言うことは 普通に未定で止めたタクシーは危ないぞといっているようなもの。
特に夜に一人でタクシーに乗るなと書いてあるわけですが 一人旅で一人で乗るなと言われれば どうにもならんわけでしょう。
 
最初に空港について 頑張ってシャトルバスを探したのは もっとも安全だと思ったからなのですが 空港の係員たちは(といっても空港の人ではなく 送迎の案内をやっているディーラーのような人)入れ替わり立ち代りやってきて 前に立って案内して ほかのブースに行って聞き 電話で家訓してと 10分ほど頑張ってようやく見つけてくれました。
これが帰りのように判っていれば タクシーに躊躇無く乗ったでしょう。
ショッピングモールの移動のときもタクシーに乗ったわけですが こちらの言葉がわからないので 地図を見せたり絵に描いたり 字を紙に書いたりと あまりメンドクサイと香港ならタクシーから追い出されるレベルなのですが ここでは最後まで根気欲頑張ってくれました。
電車に乗るときも、LRTプリペイドを買ったわけですが、これがMRに使えなかったわけですが 女性化係員が 横に立って窓口まで案内してくれて こちらのガイドブックを見ながら窓口に説明してくれたりとそして改札まで案内してくれたりと凄く親切なのです。
じゃあ、何を信じればいいんだとなるわけなのですが・・・・
 
やはり貧乏と言うものは存在します。
犯罪と言うものはよいことではありません。
ただ、私がもしこの国で1万円盗まれても 涙目になるわけですがそこまでの事。
ところが1万円どころが数百円がないともしかして彼らの誰かが死ぬかもしれないレベルの貧乏に見えなくも無いような感じを受けました。
もちろん、南国なので道端にも色々生えているので死ぬことは無いのでしょうが 他国入ってきた人たちが 土人と呼ばれるような暮らしをしていたのかどうかはわかりませんが 奴隷扱いした様な形跡はいくつも残っています。
だいたい、城砦の中に立派な建物が・・・なんてのがそうで 明らかに現地の人たちを入れてなかっただろうと思われるもの。
19世紀の建物がやけに立派なわけです。
 
初めて香港の地に立ったのは確か大学生の頃。
未だ、返還前のイギリスの信託統治だった頃です。
香港の人たちも決して綺麗な格好をしている人ばかりではなかったのですが それでもまあ、それなりの格好をしていました。
もちろん、日系スーパー等には 雑誌から抜け出してきたかと思うような 細い女性等がいらっしゃったりもするわけです。
そして、現地に住んでいる日本人の方は嫌がったので一人でふらふら行ったのですが スターフェリーの乗り場まで。
祭日か日曜日かなんかだったと思うのですが フェリー乗り場の周りには フェリーに乗るのかどうかよくわからないような人たちが たむろしていました。
何かのイベントがあるのか?なんて聞いてみると そうではなくて、季刊労働者などで来ているフィリピンの人たちが休みにすることが無いので 集まっていると言うような話でした。
そして、危ないから近づいちゃ駄目 とも・・・・ 近づいた後だったんですけどね(笑
当時の香港は 今と比べてもかなり物も安く もちろん当時にはコンピューターを買出しに単身渡ったわけですから、ずいぶんお得だったことを覚えています。
その香港に出稼ぎに来るぐらいだから・・・なんて思ったわけです。
 
遠くから見ると ビルも沢山あったのですが どうもメンテナンスのされていない 下手すれば崩壊しそうなビルもあります。
おおよそ景気のよい頃に 外資の力を借りて建て建てたはよいのだが その後の経済の崩壊で維持ができなくなったのではないかと思います。
それらのビルの中を 自転車にサイドカーを付けて人を運ぶ商売が走り回っているのですから アンバランスさはこの上ないわけです。
もともとが 何も無ければ それこそ道路があって ぽつんぽつんとスーパーみたいなものがあってというつくりであれば アジアの途上国の少し田舎に行けば見る風景ですが こういうのもちょっと面白い風景なのです。
おそらくアメリカ軍が近くに常駐している間に 沖縄ではないのですが 彼らの訪れる街として賑わい その勢いでここまできたのではないかと思ってます。
そういうバブルの頃に儲けた人たちは それこそマカティなどに暮らしている人たちなのかと。
そして、その頃はともかくその後不景気になると 元通りの暮らしとなった貧乏な人たちがいるのでしょう。
Tシャツなんかが非常に安いのは おそらく素材が安いことと 昔の機械がまだ生きているからではないかと。
結構、フィリピン産のタグのついた商品がたくさんあります。
ぞうりやTシャツ、下着等でスーパーでも安いのですが 輸出のことを考えると安くても中国に対抗しえるものではないのでしょう。
中国だって100円で露天でTシャツ今は買えません(上海とかシンセンとかね)
これも機械が壊れれば自然となくなるのではないかなんて心配してしまいます。
 
よく、フィリピンパブなんてのを日本でも聞きますが、こちらの女性は南国育ちらしく非常に胸もさることながら お尻が豊かな人が多い。
前述どおり、今まで会った人たち全てが親切でよく気がついてくれます。
携帯電話のSIMを買うときにも、よくアメリカ等であるようなチェックシートにチェックしながらと言うのではなく、紙を見ることも無く言葉の通じない私に何とか伝えようと頑張ってくれるわけですが 写真を見ても判るとおり 凄くテレやさんで しゃべりだしても 語尾のほうはどんどん声が小さくなって聞こえなくなってしまうような
それでも、手続きを 何泊するのだとか、どの地区に行くとか(セブ島か??なんて聞いてました) 通話とかインターネットはとか聞きながら自分の電話を使って設定してくれました。
写真を撮ると言うと 慌てて手で髪を直してポーズを取り直したのがあの写真です。
Tシャツ屋の女の子も 選んでくれと言うと 自分に当てて見せて 言葉が通じないので首をかしげてこれでいいかと何度も聞いてくるわけです。
で、私のかばんを見て 袋の数や形等を選んで入れてくれようとするわけです。
非常によく気がつくと言うか気が利くのです。
お商売と言えど 香港でこのサービスを期待するとえらい目にあいます(笑
だとすれば 言葉の問題さえ何とかすれば 非常によく気が利くパブのお姉ちゃんになれるのでしょう。
 
飛行機に乗っていてみたのは、水商売の女性が 何人もの男性を連れてフィリピンに来ている姿。
どうも話によると 安くで来れると案内してきているっようです。
男性は、まあ私の好きなタイプでは無く 飛行機でお金を払ってビールを頼んで飲んだくれるような親父の集団です。
ニコニコして疲れた様子も無く 入国書類を書くところで少し話しましたが 観光に案内するんだと言うような半紙をしていました。
「大変!!」とも言ってました。
こういう水商売系の事は判りませんが、そこで常連になったからといって自分の国を案内しますなんて始めて聞くパターンです。
フィリピンでもちゃんと 女の子の居る店につれてゆくようなことを言ってました。
なんか、国が好きなんだろうし 凄く頑張ってるなと思えたわけです。
 
話がむちゃくちゃで何をいっているかよく自分でも判らないのですが
なんかフィリピンに行ってよかったなーと。
きっといい人が住んでいるんだと。
もちろん、犯罪は沢山あるわけですが もともとがそんな小ズルイ人たちではないような気がしています。
それらは 外国からやってきた薬なんかがベースで 本当にギャングのような人。
変なことを覚えて小ずるくなった人たちが役人になってワイロを得る。
貧乏故に生きてゆくために犯罪を行わなければいけない人がいるだけです。
もちろん、犯罪にあうことは無いのです。
危ないところを避けて、危ないことをしなければOKです。
そうしたときにフィリピンは やさしくて暖かい(気温じゃないよ)国だと思ったのですが・・・



written by HatenaSync