安全の基準は誰のためのもの・・・・

先日、飲食店の駐車場で通過中に停止場所から出てきた車に横っ腹を潰されて運転席側のドアが使えなくなったわけですが そのときの対応を聞いていると安全って誰のためのものだろう?なんて疑問がわいてきたわけですが・・・・
 
車の場合、非常に厳重な安全基準が要求されます。
時速〜Kmで衝突した場合〜m以上の居住空間が確保できることという風に 決まっています。
単純に比較して申し訳ないが 二輪車などでこの基準を満たすことが出来ないレベルなのです。
海外では、人をはねたときに跳ね上がった人がボンネットにぶつかる角度まで計算して死なないようにする工夫がされているわけです。
故に、馬力やトルクが上昇する程には死人が増えていないわけです。
もちろん、安全に対する対策も増えていることも功を奏しているわけですが・・・・・
それほどの安全基準にて起動した車のみが現在では市場に出ているわけです。
ただ、それ以前の車にまで適用することは出来ないので今後生産される・・・という風にはなっているわけです。
ところが、それがいつまでという話となると結構いい加減なのです。
 
車の構造は昔と今とは実は大きく違っていまして
昔はフレームというものがあって その上に構造物を積層して車を作っていました。
代表的なのはラダー(はしご)フレームと言われるもので はしご状の鉄のフレームにエンジンやボディを取り付けるという仕組みとなっていました。
今に比べて昔は屋根の無い車が多かったのは 頭の中にクラッシックカーを思い浮かべてもらえば判ると思うのですが これははしごの上にボディを取り付けるのでどんな形でもよく スポーツカーになればなるだけ軽くしたほうが速くなるので屋根等なくなってゆくわけです。
今でもF1カー等には屋根は無いのですが・・・・
この作り方には大きな利点があって、はしご状のフレームの上に乗せるものは比較的何でも良いので 同じフレームに載せるものでセダンでもトラックでも何でも作れるわけです。
ところがこの方式にも欠点はあります。
問題が速く登場したのはレースカーの世界です。
車がスピードを上げるにつれて前からぶつかる空気の壁が大きな抵抗となるわけです。
その抵抗を減らそうと思うと、ボディを小さく 低く作るのが効率がよいのです。
ところがはしごの上にエンジンを載せる構造ですとある程度で限界が来てしまうのです。
その中の工夫でY型のフレームを作りその中にエンジンを収納する等の構造が出てきます。
かのロータスのスポーツカーなどがこういった構造になっています。
そして フレームそのものが必要なのかという原点に返り、車のボディそのものをフレームとして考えて 全体で強度を確保する仕組み モノコックというものが出てくるわけです。
 
モノコックは画期的な仕組みで、フレームが必要ないことから車のデザインが一気に自由に広がりました。
しかし、同時に強度を上げるためには ドアが開いたりやなが無かったりとすると一気に強度が落ちてしまうという欠点もあって紆余曲折がありながら進んでゆくわけです。
下側の囲いを出来るだけ太くして高くすることで強度を確保すると ドアを開けても降りにくくなってガルウイングという 上に跳ね上げるようなドアが登場したりもするわけです。
ですが、現在ではそれなりの完成形に至って 見た目ではレースカーのような車も普通車も見た目には大きな区別が無いまでに来ています。
そして、強度を確保した上で窓を大きくドアの開口部を大きくと 全体で強度を保っている仕組みにもかかわらず それをぎりぎりまで削るという利便性に振った進歩を見せているわけです。
それでもある一定の強度が保たれているのは 鋼材の進歩と構造そのもので強度を計算できる仕組みが出来てきたからなのです。
それでも、速度の出ない軽い車等は強度を極端に下げて安全基準ぎりぎりのものもあるとは聞いています。
 
例えば、ドアなのですが、これは稼動部品なので車本体の強度ということでは 何の力も発揮しないわけですが ドアを閉めているとカビの部分をヒンジの部分をつなぐ構造材として働きボディの強度を上げています。
特に、ドアの中に太い鉄のパイプを入れることが義務図けられてからドアそのものは重くなったのですが横からぶつかったときにはその棒が体を守る要となるわけです。
もちろん、ドアそのものが陥没しては意味が無いので ヒンジなどもへこみながら力を吸収し外れないように出来ているわけです。
で、今回のように横からぶつかると その機能が働いてドアがへこんで私を守ってくれたわけですが ヒンジなどがへこんでしまったのでドアがまともに開かなくなったわけです。
修理工場によると「簡単」に直るとの事なのですが その「簡単」はどこまででしょう?
 
一度へこんだ鉄を元の形にすることは基本的に出来ません。
「なんで?」て言われそうですが へこんだ部分を引っ張って元の形に戻してみると判るのですが 実はもとの鉄の面積より広くなっているのです。
ぶつかったときに曲がっただけでなく伸びているのです。ガムのようにびよーんと
故に、元通り戻すと伸びた分だけ余ってしまうわけです。
これを直す方法は二つで鋏を入れて延びた部分を切って元通りつなぎ合わせるか 通常はこんなこともせずに凹んだ部分にパテを盛って平らにしておいてその上からペンキを塗って元通りに見せかけるわけです。
じゃあ切って繋いだとすると 当然伸びた分だけ鉄板は薄くなっているので強度はそれだけ落ちてしまうわけです。
パテを盛ったらどうでしょう? やはり凹んだ部分はもう一度そちら方向から力がかかれば簡単に破断する危険性があるわけです。
どちらも、見かけ上は綺麗に直っても 元通りになったわけではないのです。
ドアぐらいなら交換可能なのですが、これがボディだとそうも行かないわけです。
引っ張って伸ばしたものはそれなりの強度しか持たないわけです。
ボンネットやフロントのパーツまでパテで造形されているとすれば 本来人がぶつかったときにボンネットが凹んで人に与えるダメージを減らすように出来ているわけですが パテとなればまあ石に近いものなのでそこに頭をぶつければ間違いなく助かるものも助からないわけです。
では、この修理は有効なのでしょうか?
 
本来安全を考慮して作られたものまでは良いのですが、それのメンテナンスに関しては経済性を優先して 見た目の修理に終始するわけです。
それで損なった安全に関しては 個人の責任でも修理工場の責任でもなく 必要悪として許任するわけなのです。
もし、巨大な事故を受けた車を 事故車として売るのもどうかと思いますが 見た目をきれいにして非事故車として販売した場合
同じ事故が起きた際に 片方は(新車どおり)だと助かって、そうでないほう(事故車)では死んでしまうということもあるわけです。
じゃあ、その責任は安い車を買ったユーザーのものなのでしょうか?
同じことは日本の行政でも多くあるような気がします。
メンテナンス日をケチって 重大事故を巻き起こして 世間から実はという話が沢山出てきて 「ほらみたことか」とみんなで叩いている訳ですが
じゃあ、車一つにしてもどうでしょう?こういった修理って一般的ではないですか?
もしかしたら人が死ぬかもしれない重大案件なのですよ!! なんかの拍子に商店街に突っ込んで大事故なんてのもあったじゃないですか。
 
安全の基準を作るのは素晴らしくて それを守ることも素晴らしいわけです。
でも、維持することは出来ていないって・・・・・
そうした中古車は海外に輸出されて 海外でも人を・・・と思うと
まあ、行った先での安全基準はもっとルーズなわけですが それでも
なんて考えると 複雑なものがありますね。


written by HatenaSync