「なぜ?」って聞かれると

昔から、「なぜ?」と聞くことの多いタイプです
 
ひとに教えを乞うと、素直に解りましたと答える人より 「なぜ?」と疑問を持つほうが理解が高いと言われています。
実際のところ 人から聞いた時点で分かったように思うが それは人がはなしたストーリーを追っているからにすぎないからです。
たとえば推理小説を読んでいて、犯人を追いつめるシーンで アリバイを崩したりわずかな証拠を取り上げて だから犯人だと特定するシーンがあると思うのですが
よくよく読んでいるとまれに疑問を持ったりしませんか?
完璧に見えたアリバイ工作が崩れるわけですが 実は崩れてないんじゃないかと疑問に思うことが。
少し古い話でいえば どうやってもこの短時間にそこに行くことができない・・・なんてのは 今なら簡単に行けたりするわけです。
1日のうちに大阪から東京にって仕事をして大阪に返ってくるとかも簡単にできる時代です。
というか 北海道で仕事をしても札幌近くなら十分に帰ってこれるわけです。
中には、意地の悪い作者もいて そのあとの探偵の心の声で このトリック崩しには穴があって こう答えられたらどうしようと思っていたとか話をしたりするわけです。
ところが ストーリーを追うことに楽しみをみつっけるような人だと この辺りは解らずに通り過ぎてしい舞うわけです。
一つの方向を提示されたときに 他の方向の可能性を一応考える人と そうじゃなく一つの方向だけを追いかける人では 記憶に残る量も質も差が出るからです。
日本人は 「なぜ?」といいう気持ちを持たない人が多いようで 「公式」とか「解き方」のパラメーターを変えるだけで計算する方式を覚えることを勉強と言っているような傾向があるわけです。
本来、その公式がどうやって導き出されてきたかが大事なわけですが そこは軽視されているわけです。
私は子供のころ テストの問題がどうしてもわからずに(もちろん授業をちゃんと聞いてなくて 公式を知らなかったわけですが)頑張ってピタゴラスの定理を必死で証明して その結果を持って答えとしたことがあるわけですが その証明が終わったころにはテストの時間も終わっていて 気が付いたらたった1問しか問題を解いてなかったというようなこともあったわけです。
このころから変わり者とは言われていたわけですが・・・ その後、神童でもない私はそんな覚え方をしていると とても授業のスピードについていけずに 落ちこぼれて行って 大学に入ることには最も苦手な教科の一つに数学が入っていたわけなのですが・・・・
まあ、おかげさまで苦労した分 ピタゴラスの定理だけは忘れません(一応言っておきますが証明が正しかったわけではありません 可能性をすべてつい杞憂したわけではなく二つの直角三角形の数値から こうなるというのは決まっていると書いただけで それ以外の三角形でもそうなるかとか検証もしていない穴だらけの話でした)
 
まあ、とにかく何事に関しても疑問を持つというのはよいことだと思っていたわけです。ほんの最近までは
言葉としては「なぜ」と「なんで〜」(大阪弁)の違いがあるわけですが
最近の若い子に話をすると この「なんで〜」が結構よく帰ってくる。
もちろん、頑張って説明をしなければと思うわけですが 話を始めると数十秒もたたないうちに横を向き始めるのです。
あれ?と思っても それからどうにかとは当然ありにくいので一応最後まで説明するわけです。
数日後、また同じことを頼むと「なんで〜」と始まるわけです。
当然、「この間説明したでしょ!」と言うと しぶしぶ動くわけです。
なんなんだと思っていると それは数度続くわけです。
 
理解力がないのか頭が悪いのか記憶力がないのか? 疑問を持っていたわけですが 実はそうではなかったのです。
先に言っておきますが 彼らは「前回説明したこと」を覚えていないわけではなく「前回いったこと」そのものを覚えていないのです。
だとすると「なんで〜」と聞くことがおかしいし 二度目以降の「この間説明したでしょ」でしぶしぶながら動き出すことがおかしいわけです。
いろいろと周りから話を聞いてみてわかるのですが 簡単に言うと 
彼らの「なんで〜」は省略語で 全文を展開すると「なぜ、俺がやらなければいけなんだ」という事なのです。
もちろん、彼がやる理由を説明しても同じ結果が返ってくるわけで 遠まわしに「やりたくない」と言っているわけです。
故に、「なんで〜」と何かするたびに話すのは 「疑問」を持って 仕事にあたるわけではなく、やりたくないのでその気持ちを察してください となるわけです。
 
まったく意味のないことを言っているつもりはないので
これによってこういう経験がつめるとか いろいろと説明しては見るのですが 結果はいつも同じなわけです。
まあ、経験そのものはしているのでとりあえず作業はできるというわけです。
ただ、仕事そのものは中途半端なものが多くて 結果的にあとで訂正することとなりお互いあまりうれしくはないわけです。
 
彼らの言葉の短縮言葉というのが 昔に比べて増えているような気がするわけですが
その短縮の仕方が 彼らの中でしかわからないという状態では理解しにくいわけです。
こちらが年を取ったという事なのでしょうが それでも、たのっむことすべてに「なんで〜」と返す人に 何かを任せようと思うかどうかという事は考えないようです。
それが 暗にやりたくないということを示しているなら・・・・
特殊な人材なのか、それとも世間全体がそうなのか?
でも、街中で子供から「なんで〜」という言葉を意識しているとよく聞くようになっていて
珍しい物ではなく これが当たり前だとすると 雇用できない若者が増えてゆくのではと思ったりもするわけですが
それとも暴力的に「やれっ!」と言ったほうが解りやすいんだろうか?

written by HatenaSync