道具は人に帰する

最も身近な道具は人の「手」なんて言い方をしますが これは体の一部とするなら 道具の多くは手の延長線上の機器となっています。
勿論、目だったり 耳だったりの延長のものもあるわけですが・・・
ただ、それらにしても操作は手でされますので 手の動きを考慮されているものがほとんどなのです。
顔につけておく メガネなどはどちらかというと珍しい部類なのです。
故に、手との関係が重要になるわけですが・・・・
 
SmarPhoneは驚くほどの進歩を見せています。
シングルコアの600Mぐらいからスタートして 2〜3年の間に現在QuadCoreのCPUのものとなっています。
そして、画面サイズは3インチぐらいから始まって いまや5インチも珍しくないという状況で SmartPhoneではないTabletと比べてももう2インチも差がないというサイズに到達しています。
勿論、これらはAndroidiphone(i-Phoneとかくと 嘘っぽいと言われたので・・・)なんかでの話ですが まあAndroidだけと言ってもいいでしょう。
画面サイズに大きくなることで 表示できるオブジェクトが増えるのと一緒に 画面上に文字を大きくしたりしての見やすさにも貢献しています。
もう一つ、文字入力における書きやすさにも貢献したりしているわけです。
まもなく発売のiphoneの5世代目の端末にしても 画面が大きくなったと情報が出てきています。
画面が大きくていいことづくめで・・・・と言いたいところですが実はそうでもないわけです。
 
携帯電話というと今やSmartPhoneも混ざっていますが ここでいう携帯電話はがらけーというやつです。
そういった電話は もともと数字のキーが0〜9までついていて電話をかけるときは このボタンで操作していたわけです。
右手で持って親指でボタンを押して・・・となるわけです。
逆に、女性などが両手で抱えるように携帯電話を持って 両方の親指でちょこちょこキーを打っている姿は可愛くもあったわけです。
ですが 今となるとそんなこともなくて タッチパネルの4インチ越えの端末を触るとなると 両手で入力するのが当たり前のようになっています。
流石に5インチを超えるGalaxyNoteでは テンキー入力の際左右に入力場所をシフトして片手での入力を補助してくれているわけですが それでも片手で入力するのがつらいのは親指が唯一ほかの指と対面的に動いている指で 損の親指を入力に使うと端末を抑えている指が無くなって ちょっとしたことで落としてしまったりするからなのです。
 
これは専門ではないので 間違えているかもしれませんが沢山の無線機器を搭載するSmartPhone。
また、画面がほぼ面積の大半を占めるという構造で困るのは アンテナの置き場所です。
見える部分では液晶も大きいのですが 中を開けるとバッテリーも大六ほどの面積を占めています。
最近頓に驚くのが 本体の基幹部分であるマザーボードの基板がむちゃくちゃ小さいのです。
そんなことがないと言われても アンテナ部分も基板に乗っているので その部分を除けばという感じです。
それをクリアするためにはひたすら面積を広げてゆくわけです。
これはどちらかというと作る側の理由で使う側の理由ではないのです。
巷で話題になる「大きすぎる」という批判がこれ程にあるのに 大きい端末をどんどん出してくるというのはこういった事情もあったりするわけです。
逆に小さな物は クロックを下げバッテリーの消費を抑え 超高速の通信装置を避けて バッテリーのサイズをそこそこに画面サイズも小さめにして場所を稼ぐので スペック的に大したことが無くなるわけです。
いまさら言ってもなんですが こういったものを小さくするという技術はもともと日本の十八番。
実力を発揮できる場面が来たときに もうそれをやるだけの力がなかったなんて笑えない状態でもあるわけです。
 
iphoneの5世代目は 横幅そのままに縦だけが伸びたと言われています。
これは 現在の端末との互換性とかを考慮したものと言われていますが 実はそうではないのでは?なんて思うわけです。
画面の解像度とアスペクト比については 必ずしも正解だったとは私は思っていません。
画面サイズを全部使いきれない表示しかできていないと より小さく思われてしまうからです。
その点の修正もあるのでしょうが なによりこの横幅にこだわったというのがその大きな理由ではないでしょうか?
電車の中でも 片手で持って文字入力が女性がしているSmartPhoneとなるとやはりiphoneをよく見ます。
既に、Android端末の多くで物理的にもそれは無渦貸しくなっているからです。
故にこのサイズに拘ったのではと思うわけです。
またデザインが大きく変更できないのは 側線分に配されるアンテナを置く以上両面から挟み込んだような構造が変えにくいという事でしょう。
ただ、片手で持って操作できるという 利点はSmartphoneとして失ってはいけない点だという明確な主張があるように感じます。
 
画面サイズが思ったほど大きくならなかった!とか 大きな革新は次の世代に持ち越した なんて言う批判も聞こえてきていますが 本当にそれが正しいことなのでしょうか?
これで多くの種類の出てくるAndroidに太刀打ちできるのか?なんて話なのですが
私個人としては 「何のための」という目的が見えている方が良いような気がするわけです。
ハードウエアの構成上大きくしちゃえ!! ハイエンドだからいいだろう!! なんてのは作る側の問題
それに対して、人が使うからこのサイズを超えてはいけないを主張するのは 難しいのだが正しい選択なのです。
本当かどうかは私にはわかりませんが そうじゃないかな?というiphoneの進化なのですが・・・結果はどうなんでしょうね?
written by HatenaSync