必要な段階に至った時、師は目の前に現れる

インドの諺で、天に臨まれたものは 必要に応じて師が現れるという見方と、正しく努力をすれば師が現れきっと大成するだろうというのと二つの見方をする節があるが 必要な段階になれば師は現れるという意味で今回は使いたいと思っている。
 
何事も、努力が必要だと人には教えるわけで 例えば車の免許を取るのに F1ドライバーを連れてくるのはいかに世界の車のレースの頂点を極めた人たちとは言え 初めて車に乗る人に教えるにはレベルが違いすぎるのである。
教習所から始まって レースに出るならカートやストックカー等のステップを得て上がってゆく必要があるのだ。
そして、ちゃんと努力をして実力をつければ 次の段階の教えを乞う必要が出てくるのだ。
深い教えだと思うのだが・・・
 
コンピューターの世界では、現在大きな企業として考えられているのは GoogleやYahooなどの検索エンジンを主としたもので、他には SNSで多くのユーザーを持つFacebookTwitter等、OSを作るMicrosoftApple、そしてハードウエアメーカーのIntelやQualcom等。
例えばAppleのように1社でOSもハードウエアもSNSなんか抱合したものもあります。
処理能力は莫大な速度を得て それらのデータをため込むストレージも10年前の世界中の全容量をAmazon1社が凌駕する状態になっている。
インターネットの速度も、家庭ですらGを超えるし 携帯電話網でもGに迫る勢いです。
より高速にデータをやり取りし 処理し、そして 分析できるようになった。
人が思ったことを検索するのも、検索結果の選択から 単純に言葉で検索するのではなく こういう聞き方をしたときにはきっとこういうものが調べたいに違いないという 検索ワードと結果を結び付けた回答も出始めています。
これらは 最近の言葉でいうとAIという人工知能がデータを分析し それに応じた回答を与えているのです。
それによって 検索は検索術という学問があった時代もあるのですが そうではなく音声でも可能なほどに検索を容易にできるようになったわけです。
 
それほどでもないと言われるのなら 少し前の時代を思い出してほしい。
ガラケーの時代にGoogleやYahooで今ほどに検索したでしょうか?
検索できたとしても 帰ってくる検索結果が多すぎて小さな携帯画面で見ることに耐えられずにPCで見ていたのではないでしょうか?検索はPCでだったかもしれません。
今はSmartPhoneが主流で やってみてもらうとわかるのですが5個目ぐらいでかなり正しい結果が返ってきて 複数ページ探し回るというのは少なくなったと思います。
知らない間に徐々に変わっていったので意識はしてなかったと思うのですが 数年前を思い出してもらうと歴然なのです。
検索の仕方も、言葉でしゃべるのと同じレベルで 検索してもそこそこに正しいものが返ってくるわけです。
 
AIの性能が上がってきたのは 検索一つで分かるわけです。
ゆえに、AIが台頭すると 人が職業を奪われるなどという話題となるわけです。
ただ、いきなりAIが生まれてきたわけではなくて 検索エンジンそのものが生まれた時から検索の結果が最も望ましくなる様に改良を行ってきたわけなので その時点からAIを採用していたといってもよいわけです。ただ、人の手助けが多かっただけで。
現在のAIによる最適化が進んでいて、音声認識端末などは毎週のごとく小改良がなされているのはAI故にどんなにたくさんのデータが来ても休まず処理できるという事と、それが必要なほどに大量のデータが来ているからです。
回線が速くなって、多くの記憶容量が与えられ 多くの情報が無制限に与えられるわけです。
データがたくさん来るから、そして処理するの上欲があるからこそより最適化が進むわけです。
現在、検索が日々使われる件数となると 世界で最も問い合わせの多かった会社を特定できたとしてそこなどは比較にならない件数を処理し続けているわけです。
朝起きて おはようから天気を聞いて 食事のレシピや ニュース、メールの有無なども検索されているわけです。
世界中でそれですから それほどの問い合わせを処理した例は恐らく過去何世紀さかのぼってもないでしょう。
そして、SmartPhoneの利用人数は増え続け 検索もうなぎ上りに上がっているわけです。
 
コンピューターにとって「師」というのを人と言っていいかどうかはわかりません。
将棋や碁などでは人がかなわないレベルに到達しています。
教えてもらうという意味では、現場に出て現場で学ぶというのも師とするなら 今こそ世界最大のデータという師匠がコンピューターに与えられたわけです。
将棋の棋譜と言えども有限なもの。検索に関しては無限とも言ってよい遥かな数が存在するわけです。
いま、AIがその段階に至ったという事は より高い段階に進もうとしているのでしょう。
人に比べて、音声の端末でいえば今のところ理解できない事も多いわけですが 端末そのものの処理能力の問題はありますが 必要にして十分な言葉の量を今後処理し続けてゆくわけです。
気が付けば人よりも人の言葉を理解するようになってしまうかもしれません。
例えば、小説を読んで風景が目に浮かぶというのを 実際の景色を検索して最もこの情景に近い写真をとか・・・・
そして、それが 国語の試験の正解に採用されたら 人の感性を超えた存在として認めるという事になるのかもしれません。