ぴかぴかの一年生

昨日の記事で US$99の電子ブックリーダーの記事があり、これは教育用のものだという事に。
だとすれば、どうスペックを低く見積もっても 電子辞書の通信販売の広告で 辞書や百科事典を積み重ねて「こんなに入ってます」なんて言うとおり一つで全部済むというようになっているはずなのですが・・・
 
ぴかぴかの一年生と言えば やはり頭の中に浮かぶのはテレビの宣伝で 今年一年生になる子供が走ってきて 抱負などを叫ぶCMだったわけですが
その「小学一年生」という雑誌はどうなのかわかりませんが そのお兄さん・お姉さんとなる 5年・6年は配管に追いやられている訳ですから
今後、ぴかぴかの一年生ということばすら死語となるのかもしれません。
今のところはランドセルと黄色い帽子の子供が・・・というイメージはここを読んでいる人には変わらないと思っています。
で、その象徴の一つがランドセルなのですが、正直少し今ですら疑問があります。
子供のランドセルですが 実はいまだにいっぱいになったのを見ることはあまりありませんでした。
勿論、私の子供のころも正直いっぱいになる事は無かったのですが それとは異なる理由。
私の子供のころは学校に教科書を隠して 空で帰っていたからで(笑
子供の場合、全教科の教科書を入れたところで いっぱいになるほどの量ではないのです。
 
内容とともに薄い教科書は 一年分でも週刊アスキーぐらい。
それもフルカラーに近い豪華本です。
それを前期と後期で分冊したりするわけですから 分厚いはずがない。
練習問題等は 学校でプリントを配って処理するわけです。
というわけでいっぱいにならない訳です。
私の子供のころに同じことをしようとすると少し悲惨な話になります。
教科書を年初に受け取るときには 別に大きな今でいうところのエコバックいっぱいぐらいの紙の束をどっさりと渡されました。
一つはページ数が多かったことで、もうひとつは紙の質が決して良くなかったので電話帳などと同様 ページ数の割には分厚くなるわけです。
ページ数が多いのは 教師によって全頁やらなかったりと いろいろな選択がそこにはあったわけです。
雨が降ったりしてぬれたりすると 教科書は二割増しの厚みになり 繰り返すうちに完全に閉じ切らない教科書になったりといろいろあったわけです。
それが現在では まるでムックか何かのようなわけです。
教科書の話はともかく、ランドセルそのものがあれほどの容量も必要なく、6年間使っても非常にきれいなままで 重量的な負荷がかからないので痛みが少ないわけです。
その上にランドセルカバーなんかがあって、それはそれはきれいに使えるわけです。
かばんの重さから考えても、既にリュックサックでも良いのでは?と思わせるほどです。
昔のように重量のあるものを6年間背負い続けても壊れない丈夫なかばんの意味は薄れてしまっている訳です。
 
では、前述の電子ブックリーダーのような教科書になったとするとどうでしょう?
おそらく400gぐらいの重さのタブレット形式。
必要な教科書は極論でいえば1年〜6年まで全部入っていても不思議はない。
乱暴に扱われることに対する対策と、ノートとしても使われるのでタッチパネル機能があるのが電子ブックリーダーと違うところ程度。
1冊 中身を除くと一〇〇〇〇円程度ですから 6年で考えればというか ランドセルのコストも足して考えると高くない訳です。
ランドセルは高いので・・・・
とすれば 子供たちにはアタッシュケースのようなハードケースになった背負子を用意となるわけです。
うまくすれば 中学も共有できるので・・・
 
未来の教育の姿として私たちの子供のころは 机はすべてコンピューターになりモニターが机代わりなんて姿が 鉄腕アトムなどでも描かれていました。
2000年も過ぎた今も残念ながらそうではありません。
そして、未来の姿は前述のようなブックリーダーのようなものと考える人がいて実践しようとしています。
そうなれば みんあ小型のデバイスを持ち歩くだけとなるのでしょう。
子供のころ 削って遊んだ鉛筆もなくなって 本体に貼るシールとストラップぐらいが個性の表れとさびしいことかもしれません。
スタイラスのトーテムポールなら削ればできるかも
ぴかぴかの一年生の姿は、「小学一年生」の雑誌広告が無くなったとすると どうなってゆくのかと・・・・・

written by HatenaSync