Product-X 挑戦者たち(某国営放送の近いタイトルぐらいの フィクションです)

その情報が流れたときに NETに衝撃が走った。
「あの、BenQ P−50が本当に発売されるらしい・・・」
 
2005年5月 台湾 台北 TWTC
 
すでに、一年前から噂のあった、また 昨年度はその姿を見せた幻のPDA 「BenQ P−50」が数台姿を見せた。
以前に姿が確認されたのは、現地 中国ではなく日本の東京。このPDAの登場に決してふさわしい舞台ではなかった。それゆえにそのPDAの姿は「絵に描いた餅」とまで比喩されたほどだった。
目の前の、同じマイクロソフトのブースに並ぶ 4台のBenQ P−50の姿は、試作品の完成度を越えた状態だった。また、そのときに配布された一枚のリーフレットに記された その詳細なスペックはまるで明日にも発売されるかのような完成度であった。
現地に出向いた、R氏は確信した。「これは、出る」と。
そのとき、図らずもがな同じ現場にいたP氏には自らがそのプロジェクトに巻き込まれてしまうとは考えもおよばなかった。
 
日本では、その報告を受けた現在の「検Ben隊」の発起人であるK氏の驚きは慮ることの出来ないものであった。
インターネットという必ずしもすべてをカバーできるとはいえないメディアを通じてリーフレットの情報は急ぎ転送された。
もともと、幻といわれていたBenQ P−50にひとかたならぬ情熱を注いでいたK氏は密かに「検Ben隊」の発足を予測していたのであろう。
すでに、K氏はそのBenQ P−50の入手のための手を尽くしていた。Expansysという代理店を通じて 数限りないトライを繰り返してはいたものの メーカーが存在すら公表していない機器の事である。その成果は、「発売されれば 連絡します」と何度聞いても同じ内容だった。
連絡をとり始めてからすでに一年、K氏の忍耐も限界に近づいていた。
 
「あの、BenQ P−50が本当に発売されるらしい・・・」
その情報は、突然やってきた。
一般的には、PDAの発売はアメリカで行われる。
これは、その市場性からやむをえない事態である。しかし、そのせいでいつもつらい思いをしていたのは日本のユーザーたちであった。
しかし、今回の発売の舞台は「台湾」である。
皆は自らの耳を疑った。そして、情報の信頼性にこそ疑いが集まった。
疑いを持ちながらも、その情報の真偽を求めて その噂にすがったメンバーが K氏のもとに集まった。これが後の検Ben隊の前身である。
幻だからこそ、幻だからこそ デマが出てくるんだ。落ち着け 情報を詳しく確認するんだ!
もうひとつ、情報の信頼性を混乱させる事態が起きた。
その情報の 追加情報で わずか1週間後の発売を連絡してきたことである。
こんなに近づくまで何の情報も得られないなんて、情報の収集には多くの手段を持っていた彼らの手を抜けて 突然発生したうわさである。
そんなはずは無い、これは期待をさせるだけの噂だ。
彼らの心の中で、真実と疑いの心を戦わせた。
「行きましょう」
その心の声を聞いたかのように動いたのはR氏、現地で実際に見てきてあるに違いないと信じた彼だった。
メッセンジャーという特殊なメディアを通じて行われた会議。
内容は混沌を極めた。
噂に対応する結論を持たない会議である。うまく内容がまとまるはずは無い。
結果的には、現地に確認を行うしかない。それが結論だった。
R氏の友人である中国人スタッフが動いた。
何度かの問い合わせで、確かに噂が事実だということが確認された。
「はい、指定の日に入荷の予定になっています」
期待通り、いや期待以上の回答に一気に夢が、幻が 現実のものになる手ごたえを感じた。
入庫する、数十台の中から、参加メンバー全員のBenQ P−50を確保することも出来た。
「問題は何も無い、あとは現地に飛ぶだけだ」
だれもが、その状況を微塵も疑わなかった。
 
2時間後、致命的な問題が彼らを悩ませることになった。
「航空券が取れない・・・」
血を吐くような うめきともつかない報告がR氏からK氏にされた。
わずか、飛行機で2時間半から3時間の距離が 無限の距離にも感じられた瞬間だった。
「何か手はあるはずだ、諦めるな!」
既に結果は判っているはずだった、どうしようも無いことだ。しかし、彼らは最後まで諦めることができなかった。何か手があるはずだ。
 
その頃、未だ自分がそのプロジェクトに巻き込まれるとは考えもしなかったP氏は どちらかというとこの成り行きを楽しんでいた。
実際に、そのときに自分も手に入れるメンバーに参加していたからである。
しかし、八方塞がりのプロジェクトをみて
「できるかもしれません」と助け舟を出した。
 
P氏は、全く別な方法をイメージしていた。
わざわざ行かなければ成らないということは無い。
運送便を使った、わずか1〜2日の遅れはきっと許容できる。
そして、共同輸入プロジェクトが始まった。
プロジェクトスタートから僅か二日、現在の検Ben隊のメンバーは、最後の二人を除いてこの瞬間に集まった。
 
「現地での入荷が遅れています」
この知らせに、K氏、R氏の背筋が凍った。
もし、飛行機のチケットが取れていたら。もし現地に向かっていれば。
現地からの連絡で、TV局が発売を取材に来るとまで聞いていたので、まさかの遅れなど微塵も疑っていなかったのである。
ここで、共同輸入プロジェクトの正しさに胸をなでおろした。
発売日が、6月20日、6月21日と 日々、微細に動いた。
2度ほどの変更はあったが、Xデイは6月28日その日に決まった。
その日に、台湾から到着するんだ。
同志は、11名 総ての同志は小躍りして喜んだ。
そして、関西に初めて入荷し 写真が上がった。
だれも、その時点では 日本語の特殊性がこの後 予想以上に重くのしかかってくることをしらなかった・・・・・