以前にも書いたのですが メールについてですが

今まで、CLIEでありザウルスでありであって PPCに無かったものとして メールの自動受信という機能ではないかと思っていました。
ザウルスはともかくCLIEは決して通信に関して結構よいPDAではなかったと感じています。
Palmが好きな人には怒られちゃうかもしれませんが、PalmOSは今では珍しいシングルタスクOSだからです。
「メール(若しくはCLIEメール)」というソフトを立ち上げている状態ならともかく そうでない場合でも 電源が切れた状態からでもメールを 定期的なスケジュールで自動的に収得に行く仕組みが存在しました。
ザウルスでも確かあったと記憶します。
ところが、WindowsMobileを搭載するPDAには無い(様な気がするだけかもしてません)というのも不思議な話で、いや、まもなく出てくる(当時ですよ)Smartphoneをにらんでいたからかも知れませんが・・・・
 
逆に携帯も、意外と使いにくいのがE−Mailです。
もちろん、携帯なんだから難しいことを言わずに AUで言うところのC−mailやMMSのような専用のものを使えと言われそうですが 時代は変わってゆくのです。
一人ひとりの机にPCがあり、下手をすれば発注すらE−mailになる時代。
e−mailを使えなければ困ってしまうわけです。
おかげさまで、e−mailを使えない携帯が皆無という程なくなりました。
ですが、それは携帯電話という閉じた世界の規格のe−mailでしかありません。
文字数に極端な制限があったり、利用できる文字のエンコードに制限があったり 特殊文字が豆腐に化けたりと これは、MACとPCの間でも起こることですが当然携帯電話でも起こります。
いや、「そんなメールは受けないからいいんです」と言ったところで残念ながら SPAMも来ます。「それが読めなくても良い!」と言ったところで何のメールだか確認できなくて困ることがあります。
そこには微妙な問題が発生します。
 
せっかく付いているからと、PCのメールを受信しようとすると そういった機能の付いた携帯電話は僅かで少ないことに気が付きます。
で、あればと PCを中間に挟んで来たメールを携帯電話の元から持つe−mailアドレスに転送して使うのですが これも面白くないのです。
PCを経由すると言うことはPCを常時立ち上げておかなければならない。
他には業者を通じて転送する、プロバイダーであらかじめ転送メールを指定するなどの方法を使います。
これで問題が無いかというと、返信が出来ないんです。
私の場合は「e−mail忍者」というソフトを転送ソフトとして使っており このおかげでさも、PCから返信したかのように見せかけることが出来るようになっています。
でも、この使い方は一般的ではないんです。
普通に誰でも環境を整えられたり設定できたりするような作業ではないのです。
 
じゃあ、携帯に受信機能を持ったものを買えばよいのですが これもうまく行かない。
携帯電話に搭載されているJAVAやBREWで動作するメールクライアントはあります。
ただし、これは見たいと思ったときにわざわざ見に行かなければならないのです。当たり前なのですが、PCの場合などは常駐させて定期的なタイミングで読みに行かせたりとる仕組みを意識しないで使っている場合が多く 面倒な行為の一つです。完全にOSを搭載したものでもそういったことを自動で行うものが無いのです。
「携帯だから無理だよ!」と言われる向きもあるのですが、実はそうでもなくて「待ち受けアプリ」という仕組みがあり WEbのページを定期的に更新して壁紙にする機能の付いた端末が定期的にe−mailを見に行けないわけは無いのです。あくまでも機構上ですよ。
ただ、どのメールクライアントも何故か待ちうけ非対応アプリなのです。
 
あくまでも基準を自分に置くことが間違いなのですが、新しい人からのメールが多い私は日にSpamも含め300通ぐらいは受けます。
自分が基準だとおかしいのですが、Pushメールで警告が出ることはわずらわしすぎる傾向があります。
メールの着信音だけ設定をワンタッチで出来るマナーモードとかがあればよいのですが、完全に音を切るとアラーム(目覚まし)機能が動かなかったりと ね!色々あるんです。
15分とか30分とかまとめて告知してくれる仕組みが欲しいところなのですが・・・・
 
上記のところで判るように、どうも携帯ベンダーはわざと壁を作って守っているような気がしなくも無いのですが・・・・
WILCOMの全身である DDIポケットの時代のブラウザー付き携帯電話端末を持っていて 機能的には付いているe−mail受信機能が付いているにもかかわらず、自社メールは自動受信し 他社のものは手動受信と言う仕様になっています。
標準化が正しいかどうかという問題はありますが、非標準化路線をひた走っています。
PC−9800が日本のPCといっていた時代にも NiftyのフォーラムでMACの人と98の人との間で依存文字について何度も(最近もやってるみたいですが)議論になっている時代がありました。「98の板にMACで読めない字を書いて何が悪い!」、「悔しかったら98で読め」等々・・・
顔文字などで機種依存文字を使っていて 若しくはフォントの形があまりにも違うと意図が伝わらないものもあります。ある一定の標準化は必要ではないかと思うのですが・・・・