Palmとなると頭に血が上るようで

いや、新しい物を(私にとって)もつと頭に血が上るようで、ずっとTungstenT3ばかりに成っています。
シルクエリアにFEPのON/OFFを割り当てる Dia Fep Switchというアプリケーションを追加しました。
PoBoxを利用していますが、On/OFFがシルクエリアに割り当てられたボタンを押すだけで切り替えられるので、入力中にころころと切り替えられるのは非常にありがたいです。作者様に感謝です。
なにか、ストラップに成る物をつけたいのですがどうしましょう?
あとは、とりあえずバッテリーの交換ですか・・・・
 
TungstenT3で検索すると、私の存じ上げる名前の方も沢山出てこられます。
しかし、殆どの方が既に現役引退をさせられているか 若しくは、既に他の方の手に渡されているかのようです。
OS4のPalmを一昨年も購入したように、どうもPalmだとあれこれ許せる血が流れているようで、比較的寛容に受け止めています。
もちろん、最低限の機能は十分に備えています。
唯一、peek_dogさんがお使いになられていることで(実は日記にかいてられたのですが、興味もありませんでした見た当時は)心強い限りです。
 
しかし、これが他の人に薦められるのかと聞かれると言葉に詰まってしまいます。
ソフトキーで運用し照られる方もいらっしゃいますが、私はグラフィティに慣れているからかとても使い勝手に差が出ます。
Palmの操作は、良くも悪くも直感なのです(と、私が思っているだけでしょうけど)
思考を止めない方向に意識して作られているかのように思います。
例えば、Homeボタン。
恐らく、どんな状況でも押すだけで全ての作業を中止してラウンチャー画面に戻ります。
勿論、ゲームなどでキーの割り当てがされているような物は別として全てそうです。
グラフィティも2の評判が悪いのは、慣れの問題と一文字を一筆で書けなくなったことに対するストレスが少なくないと思います。
考えたことをそのまま文字にするなら、頭の中で仮名とローマ字が同時に動くのであれば止まらないで先に進めます。
そして、Poboxの変換。
ローマ字は 5母音若しくは 子音+母音の構成になっていますが子音を入力しただけで候補検索の始まるFEPは使えば使うほどに徐々に私の思考の中にある言葉を選び出してくれます。
勿論、Atokなどもそうなのでしょうが 使わないので良く判りません。
滑らせた筆で、文字入力中に言葉を確定してゆく、そのリズムにはまると止まらなくなります。(といっても長い文章打たないですけど)
まあ、故に記号になると 手がぴたっと止まってしまうのですが・・・
あとはラウンチャー。
高機能でもなく、グループ別にプログラムが並んでいるだけですがプログラムの選択に介しては指の腹で押せるサイズになっていること。
ハードウエアーボタンと組み合わせて、ポケットから取り出して、すぐに使えるような仕組みになっているわけです。
その中でも、すぐに必要な物としてアドレス帳や、予定表がボタンに割り当てられていて ボタンを押すと電源が入りプログラムが起動する仕組みになっています。
プログラムの多くは、ブラウザーメーラーのように通信が関係する物や、ゲームなどでない限り実行時間を意識させるような物は殆どありません。プログラムの作成サイズの制限や(過去のが正しいかな?)、Windows系のようなふんだんな機能をOSがサポートしていないことからも小ぶりで軽快なものになる傾向が有るように思います。
つまり、ボタンを押して待たされる事が殆どないものが多いということです。
逆に言うと、ヘビー級な高機能アプリケーションが少ないということなのですが・・・・
まあ、ここまでは使っていて良いことのように思えます。
 
しかし、それ以外の点で薦められない点が残ります。
まず、そのルートに乗らない使い方をされようとしたがらないこと。
キーボード付きのPalmでも思うのですが、機能をキーに割り当てて自分仕様のPalmにしてゆきます。
これは、追加ソフトウエアーで装備される機能です。
先ほどの入力中の日本語の変換候補の選択に専用のキーを割り当てたり、日本語のOn/OFFもしかり、文字種の変更などもそうです。
UIが元々そういったことに向けて考えられていないから発生することでしょう。
そういった機能をOSが標準で用意していないこと。
今では、日本語の機種が出ていないわけですから 中古や日本語化を前提の機種を保障の面からもとても人に薦める気にはなりません。
じゃあ、キーボード無しならどうかと言うと、思考に近いところに設計思想があるので グラフティではなくDocumaを搭載した機種でも知らない人に使ってもらってもひらがなを入れていいのか漢字を入れていいのかなど惑いながらの(どっちでもいいのですが)入力になるようです。
それにもまして、独特の入力を強要するグラフィティなどこれから始めてみようかと言う人に覚えるところから始まりますとは薦められません。
私は、PPCの日本語入力についても多くそう思います。
じゃあそれが出来ないとどうなるというと、せっかく考えられた直感的な流れが滞ってしまうことになります。
PCでも英語のキーボードを使い続ける人が日本人でも少なくなく、多くの理由はキートップがシンプルになる事だったり、スペースキーのサイズが違うことが上げられます。
前者は良く考えてもらうと判るのですが、キーボードの変化を感じ取れるような人は、すでにあまりキーを見なくても入力できる人です。どちらかと言うとデザインに重きを置いた内容でしょう。
後者に関しては日本語キーには「変換」「無変換」のキーがあるためにスペースキーが短くなっています。
指の長い人ならいいのですが、短い人では入力したキーの場所によっては手を動かさずにスペースキーを押すことが出来なくなります(変換とかにも使いますので 何度も押しかえる必要があるので届くだけでは不十分で・・・と言う意味です)
海外でも、Windowsキー他キーが3個増えただけでも嫌がる方もいらっしゃいます。
その、スペースキーと同じで文字を入力して変換と言う流れがさえぎられる部分と言うのは人によりますし感覚によりますが 体系的に整理できていなくても違和感として残ります。
Palmは日本語化された時点で多くの違和感を残しています。
しかし、多くの部分で先人たちの努力で解決された点もあります。
そして、細かい部分はともかく大きな流れの部分では、その思考や思想を感じさせられます。
その流れを感じてもらう為の入り口として、入力から繋がる部分は少なくないと私は思っています。(こんなこと考えながら入力してるから私はダメなのかも・・)故に、覚えてくれと言えない私は人に薦められないのだと思っています。
 
口でいって伝わらないこと、文章に書いて伝わらないこと、写真にとって伝わらないことがあります。
もちろん、文章と言う意味では いつか誰にでも自分の気持ちをうまく伝えられるようになるのではないかと思って書いているのですが、少なくとも今のところ1%も伝えられていないでしょう。
こういった流れに乗る感覚はうまく伝えられない物なのですよね。
故に、その流れに一度乗ってしまうと 自分の中で否定する要件がいかに多くても帰ってきちゃうのかもしれません。