未来の商品

子供の頃の愛読書は「子供の科学」だった。
残念ながら今の復刻版とは似て非なるもの、「子供の科学」も時期と時代に合わせて変貌して行きその内容に少なくとも懐古な物は無く いまの編集方針と大きく違うところでしょう。
当時のことを今考えると、情報誌のPDAの記事のように、これはW−Zero3の発売時にも喧々諤々となった「PCなのかそうでないのかがはっきりしていない書き方」等に代表されるように比較的いい加減な表現が多かったように感じられます。
勿論、詳しく知っていても 一般の人に伝えるにあたって言葉を選び 極端な場合は正確に伝えることを捨ててかかったような記事なのか、それとも、メーカーの資料を基に 「PCのドキュメントが開けて編集できる」という一文を取り上げて、良く判らないまま要約したのかは想像の域を出ません。
I/OやASCII(これはずいぶん後か)の創刊号辺りと平行して読んでいた私には、その当時からぶつぶつ文句を言っていたような気がします。嫌な小学生です。
 
まあ、嫌な子供だったかどうかは別として
その当時にデジタルな腕時計が子供の科学に掲載されたことは画期的な記事としてみました。
勿論、今のような液晶式ではなくLED式の物でした。
その後、分解したものを見るチャンスが有ったのですが 普通に基板上に部品を配置した当たり前の構造だったことに驚かされたのですが、始めてみたときの衝撃は体の中に雷が走ったかのようでした。
そして、あちこちに話して回るうちに、うちは貧乏だったので書籍以上の物は手に入れることが出来なかったのですが 当時の友人で「ドラエもん」に出てくる「すね夫」のような友人がその親である医者の財力に物を言わせて購入した時計を見せてもらうことになりました。
ところが、当時にデジタルとアナログの明確な区別を普通の人に要求することは酷で、今でも珍しい いわゆる日付の部分のように数字の書いた部分が回って時間を表示するタイプの時計でした。
たしかに、雑誌を学校に持ってゆくなど言語道断の時代だったので 写真を見せながら説明しなかった私も悪く、またその説明能力を小学生の低学年に期待するほうが無理で。大きな数字が腕時計の文字盤に開いた穴から見えており、数字の横には5分単位にしかデジタルな数字は変わらないので表示中に1/5づつずれて分を正確に表示するためのメモリの付いた物で57分ぐらいになると下半分が隠れた55分の数字と上半分が見えた00分の数字が窓から両方見えて実は何分か判らないものだったと記憶します。
子供心に表情を作るのに非常に苦労したような気がします。
今考えれば 決して私の為に用意してくれたわけではなく、子供の虚栄心を満足させるために用意された時計で 恐らく私に羨ましがらせる事だけが目的で有ったと思えるのですが、明らかに違う物であり、尚且つ苛められる側であった私はそこで笑い飛ばせるほど強くなく、ただ、作り笑顔で「すごい」と連発していたようなきがします。今あるとすればその腕時計の方がずっと際物として価値が高いのではないかと思います。
 
本題に戻って、その時計ですが結構その後もあちこちの書籍で登場したり 海外のテレビドラマ確か「宇宙大戦争」あたりで登場していたような気がしますが色々判ってくると実用的にはまだまだの物であることは判ってきます。
まず、バッテリーが大問題で 一日3回程度時刻を確認する使い方で1年程度しか持たないこと。
この腕時計は普段動いていることすら判らなくて、ボタンを押したときにLEDが数字の形に光る物で LEDを光らすためには内蔵程度の電池では実は結構辛く1日2~3回しか時間を確認できない腕時計って・・・・と思ったりもします。
そして、なにより 電池がなくなったことが判らないのです。
いつも消えているこの時計は気が付いたときには電池が切れていてボタンを押しても時間が表示されないとか言う電池切れが発生したそうです。
あとは噂ですが、LEDをつけたときに消費電力が足りなくて時計が遅れるとか言われていたり、長いことつけていると電池が熱持って切れてしまうとか言われていました。
実物を始めてみたのは「アンティーク」と呼ばれるようになってからだったので、言葉通りその当時を懐かしむ物になっていました。
ただ、子供心に将来はみんな時計はこうなると勝手に決め付けていましたので、そう思えば100円ショップで腕時計が買える時代が来たのですからあながち間違いともいえないでしょう。
この商品には、10年後ぐらい未来の姿を感じさせる衝撃がありました。
それも、展示会で並んでいる流線型をしたショーモデルや、アニメに出てくる宇宙船のような物でなく 販売されている商品としてです。
 
先日来OQOを触っていて、「帰せ!!」と連絡があってふと思い返してみるとそういった感動はこの商品には有ります。
明らかにOQOは近未来のにおいがするのです。
近未来といっても、今の技術で作られた商品です。
LEDの時計と同じで実用度から考えれば必ずしも最上の商品でないことは確かです。
横幅800ドットの解像度はともかく縦が480しかない解像度は多くのアプリケーションで「Yes」 or 「No」の選択が出来ません。
やむ終えず、画面を90度回転させるアプリケーションを起動して選択し90度まわしどちらかを選びます。
そして元に戻して作業を続ける必要があったり、あまりにも遅いHDDインターフェースの為Outlookをはじめとする多くの統合メールソフトなどは数週間分のメールが蓄積されるだけで重くなってゆくのを感じます。
英語版のOSを使っているから何とか成っているので、256Mのメモリーでは複数のアプリケーションどころかExcelも表に数字をいれ自動計算オプションを入れていたりすると数字を入力するたびに待たされる始末。
勿論、どれも知恵と勇気で解決可能な内容なのですが、普通の使い方ではありません。
いわゆるWindowsが重いのでDOSを入れて使っていたというレベルの解決策です。
 
PDAの役目をすることはありませんでした。
いくらレジュームからの起動が早くても、WindowsMobile系に適うはずもありません。
ましてやPalmと比べればその差は歴然。
予定表やアドレス帳、電卓等の用途には使えません。
しかし、PCなのでInternetやメール等においてはその使いやすさは段違いです。
また、VPNを通して回線越しに会社のPCを操作したりに関してはもう涙が出るほど嬉しい仕様です。
これと、OS4程度でいいから白黒Palmを握っているのが幸せかもしれないと思えるほどです。
 
嬉しくて購入した物は
予備電池だったり、電池用の充電器だったり、ちょうどのサイズを見つけて嬉しくて買ったポーチだったり、中古のジャンクスタイラスだったり・・・・・
考えてみれば借り物につぎ込むのも変な話ですが買い揃えました。
そして、操作感を向上させるために 本体側に負担の少ないWindowsLiveDesktopMailなんかを試してみたりもして見ます。
未来の商品だから、今時分の苦労が未来に役立つわけも無いのですがなんとなくそういう義務感みたいな物を感じながら・・・
 
いなくなってどうするのか?
やはり新たに購入することは無いでしょう。購入しないというよりは出来ないが正しいのでしょう。
新品で購入すると、大画面の液晶テレビが購入できる金額です。
普通のサラリーマンである私の趣味に書ける金額としては大きすぎます。(と、言いながら買っていたりするのですが)
性能から言っても、価格から言っても 同等の機器としてVaioUXを探してくるほうが実用的でしょう。
いなくなっても恐らく生活は変わらないのでしょうが、何となく穴が開いたような気がします。
少しづつ年をとって、そして若い間に持っていたものを無くしてゆくように 自分の中の何かが少しだけ削れたような気がする相棒だったような気がします。
 
明日帰ってゆきますので、今日帰ったら少しだけお掃除の一つもしてあげようかしら・・・
それより、弄ったところを元通りにしなきゃいけませんね