User Interface

UIという言葉をよく使うのですが、言葉通りだとUser Interfaceという言葉の略語だと理解しています。
おおよそ、OSの好き嫌いには二つの理由が一番大きな理由だと言われていて、一つは実行できるアプリケーションの問題。
これは、実行できるアプリケーションが、そのOSに対応しているかどうかの問題。
Windows用のアプリケーションがMACで実行できない。(特殊な手段を除いて)
当然、ビジネスアプリケーションの多くがWindows用として作られているので基幹システムがWindowsになってしまう理由の一つです。
逆の意味で、印刷関係ではMACの勢力が強いのも同じ理由です。
最も、この場合は受け手側のシステムの問題が(印刷会社)少なからず影響しているわけなのですが・・・・
そして、もうひとつ大きな問題として語られるのはUIの問題です。
 
前者が最も大きな理由でOSの好き嫌いを論ずるのは実はナンセンスで、動かないアプリケーションがあることが必ずしもOSの優劣を決めないのです。
何故なら、必要のないアプリケーションが動くことがOSの価値を決めないからといえば分かりやすいでしょうか?
つまり、OSで動くアプリケーションという範囲にいる限り、現在動くアプリケーション以上のことをしない限り それ以外のアプリケーションが動くことは実は重要でないということなのです。
もちろん、これが一般論となると話は違っていて デジカメを購入したけど接続したり編集したりするアプリケーションがOSに対応していなかったりすると、いくら標準でアプリケーションが画像編集アプリケーションが付属しており、メモリーカードリーダーを取り付けることでより高度な作業すら可能になったとしても 対応していないとあきらめる人が少なくないからです。
ただ、OSの好みの問題となった時に、一般論を排除するならばそう言えないこともないでしょう。
 
一部のOSでウイルスに強いという宣伝もありますが、ユーザーの少ないOSは攻撃がされにくく(攻撃するほうの意識の問題で、やはりユーザー数が多いほうが攻撃の市街もありますし 内部構造に関する情報も豊富になりますので)ある意味ではユーザーが少ないことを言っているにすぎない可能性もあります。
 
そして、二つ目の点でいうところのUIに関しては大きな問題を含んでいます。
実際、PC用のWindowsも多くのリビジョンが存在し、UIは何度も変更を受けています。
今回のVISTAも例外ではなく、ごみ箱を間違えて消してしまってもう一度表示するのに探し回るはめになった(XPでもいっしょだったんですが実は・・・)私が言うのだから確かでしょう。
すぐれたUIは浸透するといった偉い人がいましたが実はそうでもなく、人間というのはかなり保守的にできており 段階的な変化を好むようです。
いきなり大きな変革があると、まず拒否することから始めるそうです。
一番分かりやすい例でいえば、車のトランスミッションレバー。
ATとよばれるオートマチック車のレバーなのですが、今の多くの車は電子制御になっており シフトレバーと呼ばれるレバーにはただ電気的なスイッチが入っているだけなのです。
ゆえに、センタートンネルといわれる車の中央部を走る部分についている必要もなく、ああいった形をしている必要もないのです。
別にボタンであっても、回して入れるSWだとしても困らないわけです。
極論ですが、多くの場合には前進・後退・停止の3パターンでも既にあまり困らないそうで、多くの人はそのモード以外は使わないそうです。
エンジンブレーキの事を言われる人がいますが、ハイブリットと呼ばれる電気自動車においては軽くブレーキを踏んだ状態では モーターを発電機として使う形でブレーキをかけています。つまりエンジンブレーキに該当するものを使っているので 同じ仕組みであればそういったことも可能なわけなのです。
現に、通常の車でもかなりの部分のコントロールは機械がしており、速度が落ちない限りシフトレバーを下げてもギアは下がらない仕組みになっていますので人の意思が必ずしもダイレクトに反応しているわけではないのです。
アクセルもトルクをコントロールされて 踏んだからと言ってすぐにガソリンを吹き付けない車も増えています。
 
まあ、仕組みはともかくハンドル脇のレバーかセンタートンネルのレバーに限定される必要は機械的にはないのです。
もっといえばたとえばギアをリバースに入れたら部屋中が赤く照らされるような仕組みを作っておけば(ルームランプが赤くつくような)ギアを間違えて追突する車は減ると思うのですがね??
ただ、人が慌てて操作をした時にはやはりあるべき場所にある物を無意識に触るようで、そこに無いものよりあるものの方が安全だそうです。
つまり、UIというのはユーザーによって決められるもので 必ずしも優れたインターフェースが良いとは限らないのです。
ある意味早い者勝ちで、たとえばI−Podを使っている人はほかのMP3プレーヤーに乗り換えたら違和感を感じるわけで、ソフトの問題も含めてこの辺に今後も続くであろうI−Podの売り上げに対する安心感があるわけです。
最も、乱発・乱売によってつぶれる可能性もあるのですが・・・・

このUIの習慣性は肌に近い機器であればあるほど強くなり、携帯電話やPDAはそこに大きな影響を与えるべき問題があり、PalmはPalm、WMはWMという風な流れがあります。
逆に携帯電話ではNの系列と言われたインターフェースが多くの携帯電話の基本となり、折りたたみ型のNEC端末が市場の独占率が高かったこともあり、細部の違いはあれど大よそどこの会社の携帯電話も初めて触っても 普通に通話やアドレス帳の登録、着メロの変更ぐらいであれば困ることがあまりありません。
ショートカットが付いていて、一発でアクセスできたりする機能等を使わないという前提ですが。
 
世界規模の携帯電話の市場で考えれば、NOKIAは大きな勢力でありますが日本ではわずか現行4機種だけのラインナップです。
また、売り上げ上位にラインナップされてくるようなものでもありません。
現在のSoftBankの前身であるVodafoneの失敗の(本当に失敗だったかというと疑問ですが)国際的な調達で端末単価を下げることには成功したものの日本流のカスタマイズを怠ったためにユーザーに受け入れられなかった事も(ほかにもあると思いますよ理由は)理由に挙げている人がいます。
つまり、海外でのスタンダードと日本でのスタンダードに差があったということでしょう。
 
現状、私はNOKIA端末のスタイルにも慣れてきていますが モトローラーのFOMA端末を購入した人が困って聞きに来ますので(NOKIAに近いので何とか説明できますが)やはり違うものは違うという認識なのでしょう。
SIMの電話番号の見方にしても、日本では「機能」+「0」で見ることができるのが当たり前でそうでないこと自身がおかしいというスタイルで、それに対するNOKIAの回答は、電話番号はSIMにありそれがメニューのワンボタンでアクセスできるということはセキュリティ上良くない の回答で現在のどの機種でも変わっていません。
どちらが正しいのかといえば、どちらも正しいのです。
PalmのUI、WMのUI、NOKIAのUI、日本の携帯電話のUI、全てが正しく効率や理想で割り切れない先にあるべきものなのです。
人が変わらなければ機器も変わらない理屈で、じゃあ僅か携帯電話の事ぐらいで人に変われというのも乱暴な話です。
ただ、これから生まれてくる人たちが これから機器を使う人たちもがその縛りを受けることはないのです。
気がつけば自分は旧勢力にいることになっているかもしれないのです。
UIに関してはやはり慣れがないと生産性が上がらないという面はありますが それに縛られない意識を持ち続けたいとおもっているのですが・・・
こう、UIがあちこちで変わると 辛いですね・・・・