東京の朝

おはようございます。
また、Twitterのような書き込みで・・・・
 
昨日より、東京に来ています。
もっとも大阪と違うのがやはり言葉・・・・
大阪弁から標準語を最もよく聞くようになるわけです。
言葉の壁とはひじょうにぶあついものです。
 
分厚い壁を感じるのはいいのですが それで余計に気になったりしたわけですが
たとえばバスに乗るときや 飛行機に乗るときに嫌なぐらいたくさん聞かされるアナウンス。
本当は聞かなければいけないのですが、何度も何度も聞くと嫌になってしまうわけです。
もうう、空でいえるぐらいと言うのは嘘なのですが まあ、それぐらい聞いているという話です。
 
特別何かを思うわけではないのですが  実は電車に乗るときに困っているわけです。
ドアが閉まるのが危ないとか、荷物は膝の上にとか、携帯電話がどうだとか、つり革の使い方、席を譲りましょうとか
まあ、駅に止まって出発する度に聞かされるわけです。
ビッグサイトにいるわけですが 以前にエスカレーターで事故が起きたわけですが これはむちゃくちゃ人が集まったためにエスカレーターに人が乗りすぎて重量に耐えられなくなって 動かなくなった。
動いているものが突然止まると慣性の法則で人は前に押し出されるのですが 下は止まっているのでそのまま将棋倒し状に階段の下に向かってだーっと落ちたわけです。
エスカレーターで流れる案内のどれを聞いてもこれは避けられなかった事態なのです。
昨日は動いている時間に行かなかったのですが もしかしたら今日はその注意を聞かされるかもしれません。
私が知る限りこの事態は初めてのケースで びっくっりするほど低い確率のための案内を流し始めるわけです。
 
放送の密度が上がると何が困るかというと、実際に必要な放送が解らなくなるわけです。
駅名の放送がその中に埋まって どの放送を聞けばよいいのかわからなくなります。
実際、何度も同じ放送を聞きたくないのでヘッドフォンをして音楽を流していることが多く ぼーっとTABをいじっていたりすると気が付かず通り過ぎてしまうわけです。
私はそれでも ぼんやりさんと言われるならそうなのですが これがそうでなければどうなんでしょう?
 
たとえば海外から日本に初めて来た人にとって
知っている日本語は せいぜい地名ぐらい。
頑張って地名を覚えてくるのだろうということは 私がそうだからです。
で、海外で電車に乗るときにはそれで何とかなっているわけです。
ところが、注意だけならともかく広告なんかも放送に入れられているわけですから わずかに知っている言葉「地名」もその名前が付いたホテルやイベントルームなどの名前がついているとあてにならなくなるわけです。
「東京」というキーワードのついたものは東京都内には星の数ほどあり 千葉にもあるぐらいですからそんな広告なんかが入るといきなりわからなくなるわけです。
恐らく、海外でこんなことをされれば私は途方に暮れてしまうでしょう。
 
恐らく注意の放送は 何かの事故があってそれに対する注意を促すためにするのでしょうが
たとえばエスカレーターに乗るたびに日本中のエスカレーターで同じことを注意されると エスカレーターのバックグラウンドの効果音の一つになって 私は言葉が聞こえると意味を考えてしまうたちなので 邪魔になるわけですが、多くの人が意味すら考えないから 聞き流されているのでしょう。
聞き流される注意なら形式的なもので、やめればいいのに・・・と思うわけですがこれが止められないわけです。
また、事故が起きたらどうするんだ・・・・と担当者の保身のためには絶対必要な事だからです。
誰も聞く人のいない放送を、保身のために増やしてゆくといいうのはどうかと思うわけです。
アメリカの訴訟の多さを例にとりますが それは社会が病んでいる部分でもあるわけで それと同じ方向に進むのはどうかと思ったりするわけです。
 
恐らく今日は展示会場にいるので あちこちで嫌になるほどめんどくさい音を聞くこととなるのでしょう。
そのあたりは憂鬱な限りです。
written by HatenaSync