言霊

言葉には霊が宿るなんて言いますが、実際のところ神がいるかすら信じていない私には どう考えて良いかと思うのですが
ただ、言葉を大事にしている人は 総じてものも大切にしているような気がしますし それが日本人の良いところだというふうにも思っているわけですが・・・・
 
「ラーメン」という言葉ですが 実は中国語なのですが 延ばして作る麺という意味で 日本の多くのラーメンはうどんのように粉を練って最後は切断して作るので言葉通りなら合わないわけです。
この言葉ですが日本で独自の進歩を遂げて料理名になってしまったというものです。
それ以前は「中華そば」だったり 本当は差別用語で使えなくなった「支那そば」なんて言っていたわけです。
特に、「支那そば」屋さんなんかは頑固な世代が多くて 職人気質の人もいたわけです。
「ラーメン」という言葉に逆らって 
「そんな料理が食べたければ 他所へ行ってくれ!! うちでは支那そばしか作ってない!」なんていう頑固親父もいたわけです。
それ故に、その親父は自分の作る料理そのものも愛していたのだろうと思うわけです。
 
今日、お昼にチェーン店のとんかつ屋さんで新作メニューの
「カレー鍋定食」というのを頼んでみました
かつ鍋のだし汁がカレーだというものです 簡単に言うと。
で、正しく「カレー鍋定食」と頼むと 「ハイッ!」と元気よく返事をしてくれて チェーン店らしくバックヤードに
「鍋一つ!」っと掛け声をかけたわけです。
そうすると奥の方から
「へぃ! 鍋一つ」と聞こえてきて注文がなされたことがわかるわけです。
恐らくですが 仕事の効率を上げるために「カレー鍋定食」=「鍋」という取り決めがあるのだと思われます。
 
お寿司屋さんで
「あがり」というとお茶が出てきたりするわけですが これも同じかな?なんて思ったらじつはこの辺りは違うのです。
お客さんが注文した時に 何を注文したか出来る限り解らないように中に伝えるための言葉なのです。
「あの人、またお茶頼んで・・・」と他のお客様に気が付かれないように考えた配慮から生まれたものなのです。
故に、同じ飲み物でも容器を変えて出したりもするわけです。
飲めない人が一人混ざっていて 明らかにお茶の湯のみではおかしいので その辺りを変えたりというのは心配りの話なのです。
これは 料亭や飲み屋さんでも当たり前に昔からある「貼付」とよばれる合言葉みたいなもので
まず、お客様の事を大事にするが故にお店がへりくだって使っているわけです。
 
最初の「支那そば」の話からしても せっかくつけた料理の名前をただの「鍋」にしてしまうことは自ら自分の料理を蔑んでいるようにも思えるわけです。
それを、疑問視しない、効率だけを優先して お客に聞こえるような大声で話していることはどうなのかと・・・・
それでも作る料理にも誇りを持っていないでしょうし・・・・
と、思うのですがチェーン店の定食屋さんにそんなものはないといえばそうなのです。
 
なんか、そう考えるとおなじ短縮言葉でも 嬉しくないなと思えるわけですが・・・