ボタンの多さと 操作の複雑さは比例する?

先日購入した DMC-LX7なのだが 結構というかかなり気に入っている。
非常に光のあふれる写真が撮れる。
勿論、そう思うだけだといえるのは所詮JPEGで撮影見る程度の話だからなのだが・・・・
 
撮影するにあたり 色々な操作を行うことがある。
例えばなのだが、被写体が花であったりすると 遠くからもあるがどうしても近寄ってみたくなる。
iAオートと呼ばれる 一般的なコンデジのようなオートマチックモードであれば 自動的に追従するのであろうが 
プログラムオートなどある程度の設定範囲を残したモードで使う時には 近接撮影時にはオートフォーカスの動きをマクロモードに切り替える必要がある。
今までのカメラの多くは「メニュー」ボタンもしくはファンクションボタンを押して そこからフォーカスモードを切り替えてマクロを選んでいた。
よくよく、戻し忘れてフォーカスが合致する時間が異常に遅くなっていて 何が起きたかと悩むことがあったりするわけです。
ところが、このカメラの場合レンズの胴(と言ってわかるのかな? レンズの筒状の 横の部分)にスイッチがあって オートフォーカスオートフォーカス マクロ、マニュアルフォーカスと切り替えることができるようになっているわけです。
カチカチとうごくスイッチでの切り替えで メニューボタンを押した先の画面で帰るわけではありません。
 
このカメラにはそういった部分が多くあり たとえば胴の部分だけでも 絞り値の調整のためのリングや 撮影時のアスペクト比の変更の為のスイッチも存在する。
ギミックとして楽しいというのはあって 子供のころ飛行機のコクピットなどの写真を見ては 多くの計器とスイッチに憧れを抱くのは男の子の宿命だと思います。
考えてみればロボットアニメなどはレバー一つでロボットが思いのままなのですが 飛行機の動きだけでも 前後の羽の上下に動く可変翼の調整もあれば フラップなどの特殊可変翼、エンジンの出力の調整は 空気を絞るものから 燃料の吹き出し量の変更、吹き出す排出口の径を絞るなど いくつもの複合的な制御を持って動いているわけで その数だけスイッチも存在するわけです。
 
カメラも実はそうで 外からの光を受けて減光するというだけでも シャッター速度を上げて 感光する時間を減らす方法もあれば、絞りと呼ばれる羽を広げて通る光の量を調整する方法も、前に色ガラスを置いて暗くしたり、そもそも感光部の感度そのものを下げて減光する方法、最近では一度作った写真のデータをプログラムで暗ければこう映るはずだとデータそのものを変更する方法もあるわけです。
各自、利点と欠点があり状況によって使い分けるのが良いわけです。
LX7の場合 外から見えているのは レンズの胴のところにあった絞り値のダイアルNDフィルターのトグルボタン、ダイヤルで設定すれば使えるシャッター速度の調整等が存在し前述の気のを使う殆どの操作を行うボタンがカメラの前面、背面に配置されているわけです。おかげでボタンお化けの様になっているわけです。
 
カメラそのものの大まかな設定では
何でもかんでも全部自分で設定する マニュアルモードから
絞りだけ、シャッター速度だけと優先順位を付けたものだけを設定するモード
おおよその設定が登録されていて それに従って設定を自動的に変更する プログラムオート
多くの場面で使われる設定を カメラ内に記録しており その中の最も近いものに当てはめることで状況に応じた最適な設定を自動的に行うモードなどがあるわけです。
他にも、夜景を撮る専用の・・とかは別設定であります。
このカメラの場合は多くのボタンが存在するので 使い分けたりしますが たとえば前に使っていたF770EXRではここまでの数のボタンがないため メニューを呼び出して その中から選択したい項目を呼び出して変更するというような手順を踏む必要があったわけです。
前のカメラでは結果的に 状況を自動に判断して自動的に撮影モードを切り替える使い方がほとんどだったのです。
ところが、買ってすぐだということもあるのですが L7ではちょっといたずらしたりするわけです。
 
自動的に判断して 撮影を行ってくれるのは非常に便利なのですが 実はシャッターボタン、追加してもズームボタンぐらいあれば他は要らないのではという感じで良いわけです。
写真を撮るという楽しみをどこに置くかわかりませんが それで楽しいのかと思うところでもあるわけです。
勿論、感性豊かで撮影する構図などを正しくするという事だけでも写真を撮るという楽しみがあるわけなのですが・・・・
ただ、それでも 機会に写真を撮れと命令するに等しいわけです。
感性の部分の多くを機械に任せてしまうという事に違和感を感じたりするわけです。
もし歩いて動いてくれるロボットだったとしたら 「あそこの窓から見える景色を写真に撮れ」と命令したら出来上がってきたという感覚に近く感じてしまうわけです。
故に、いくつかの設定を自分なりにイメージするわけですが やろうと思うとメニューボタンを押して・・・という時点で飽きてしまうのです。
つまり、専用のスイッチがあるから使おうと思うようなものなのです。
ただ、使ったから自動より良い写真が撮れるというものでもないわけです。
 
スイッチを付けるということは製造する側にとっては実は大変なことなのです。
スイッチの付いている場所には 裏側に基板があってそこまでの配線が存在します。
それが前後左右上下にあるとなったら小さな基盤をかなりの数作って埋め込んでゆくようになるのです。
同時に場所の確保も大変です。
少ない場所を奪い合って小さくしているのに スイッチのお蔭でそのサイズの変更に限界が出来てしまうのです。
解決策は??というと実はないわけではなくて 良い例がSmartPhoneです。
大きな液晶付きタッチパネルを採用することで タッチ操作で メニュー→撮影操作→絞り→絞り調整 というような階層的なメニューで操作を続けることができるわけです。
ボタンの場所を確保する必要もなく 多くの操作が実現するわけです。
ただ、階層のいくつか下になるので 操作そのものに煩わしさが生まれ オートマチック撮影の性能が上がってきたことで調整そのものを重視しなくなったので 結果的にボタンを排除することで操作そのもののオートマチック化がより進むわけです。
 
頭の中にイメージしてください。
緑の生け垣の中に 赤い小さな実が一つだけあるとしましょう。自然のいたずらの様に。
ただ、緑の中に囲まれているので半分埋まっているような状況で そこに霜が降りて溶け始めているところで 幻想的な景色に・・・
カメラを持って目いっぱい近寄って写真をとなった時に どうしても面積の広い緑のほうにフォーカスがあってしまう。
タッチパネルで操作してフォーカスの中心点を赤意味に合わせてみるのだけど 小さな実なのでやはり緑にフォーカスが。
その時に、LX7なら液晶の上の左右に動くレバーを倒すと フォーカスの微調整が
僅かにずらして 赤い実にフォーカスがあったところでシャッターを押す。
こういった一連の流れがあった時に ボタンが多いこのカメラで良かったと思うわけです。
 
確かにボタンが多いと操作が複雑化します。
各ボタンの割り当てを記憶する必要があるからです。
タッチパネルなら ボタン枚に利用方法を画面上に併記することもできます。
説明を見ながら容易に・・・・なのですが 使うのかという事に関してはなのです。
 
間もなく消えてゆく効率の悪いタイプの機械かもしれませんが
下手の横好きと言われても なにかこういったモノに憧れる気持ちが抜けきらないのも
(昔の)男の子の特徴なのですかね??
written by HatenaSync