伊藤探偵事務所の憂鬱

大体、探偵事務所に依頼してくる依頼人の多くは 泣いているか目が泳いでいるかだ。
目が泳いでいるのは珍しいことではない ですが 素人目に見てもそういう泳ぎ方で無いことが というよりも 目の泳ぐ気持ちがわかるだけに相手が気の毒になる。
浮気調査なんて物は、探偵業の仕事で無いと思うのだが 素行調査と浮気調査が仕事の大半を占めるのが探偵業 やらなければ明日のご飯にも困ってしまう。
せめて、安心のおける相手に相談させてあげたいのだが ここには 僕が一人
正確には 一心不乱に宝石を磨いているセクシー系の女性(お茶ぐらい出して欲しい)、にこやかな顔で営業スマイルを送りつづけてくれているのはありがたいのだが 子供が見たら引付を起こしかねない大男、尚且つ 奥に乱立するガラクタの中の 青や緑に光るインジケーターの光でようやく確認できる 機械の森の住人が一人。
相手にとっては 僕でも随分良心的な対応であることを判って欲しいのであるが ただでさえ不安定な精神状況でやってくる気の毒な依頼人にはその余裕はないでしょう。
気の毒なことが もうひとつ
恐らく、随分迷って 覚悟を決めて入ってきた気の毒なお客には、他の探偵事務所を選ぶだけの精神的余裕が無いだろうと言うこと・・・・・
「では、料金の説明をさせていただきます・・・・・」 わずか探偵業 1週間の僕にでも想像のついた結果であった。そして、結果も
恐らく、浮気の疑いは事実であろうことも。

フリーターといえば聞こえはよいが、実際は仕事が無いだけである。
仕事があっただけでも幸せであると 一週間前に叩いた探偵事務所のドア。
涙ぐむおじさんが、有名な名探偵 「伊藤探偵事務所」の所長であることが信じられなかった。
そして、3日後には事件の依頼で急遽旅行に・・・・「なんで」自分の耳を疑ったが 所長代理として事務所を任されたのである。
「いいか、あの3人がお客の前に立って、ひとつの仕事でも来ると思うか?」
「いや仕事が無いだけならいい、特にarie(女性事務員の名前である)が仕事を聞いてきたときには・・・・ いや、このビルだけは壊れないようにしてくれるだけでいい 頼んだよ くれぐれも」
テレビで見た安楽いすに座って まるでドラマの謎解きのように ずばずばと推理を当ててゆく人物と同一人物とは思えないうろたえぶりだった。

お客が帰った後、にわかに事務所がざわめいてゆく。
「いくら」
arieさんが 声をかけると 普段はしゃべらない機械の森の主が声を出す。
「二時間 と 一週間」
arieさんはよく来る情報屋と名乗る男が(情報をくれたのは見たこと無い 世間話だけをして帰る)arieと呼んでいるからだが どうも探偵事務所より古いらしいので誰も本名どころか なぜそう呼ばれているかも判らない。
機械の森の主は nishishitaさんと言うのらしいが 機械の森の主という呼び方がしっくり来るので 主と呼んでいる。
もう一人は説明が要らない。決して長身ではないが背が低いほうではない僕の前にたってすら前が見えない つまりかべのような大男でいつもニコニコしていて 怒ったところを見たことが無い事務所一の常識人である

「いいわ、出しといて」

レーザープリンターが静かに動き、「見積書」、「報告書」、「写真」、「交通費他の経費請求書」の4つが出力される。
つまり 僕の仕事は 依頼主の相談を聞くだけで実際の作業は彼らがいとも簡単にこなしてしまうのである。
仕事柄、名前が売れてくれば敵も増える。
周りに何も無い所に事務所を設けているのもそういったわけで 周囲1K四方には監視カメラが設置されており、3日も前からこのビルの近くをうろついていた依頼人の事は ほくろの数からパンツの色まで調べ尽くした後である。
今更、これ以上調べることが無いという状態らしい。

「はい、勿論喜んでお受けしますわ はい、詳細は後ほど私どもの調査員がお伺いに行きます それでは、どうもありがとうございます」
昼ご飯の弁当を買って事務所に帰ってくると、arieさんはいやに丁寧な(今まで聴いたことの無い)口調でしゃべっていた。どうも仕事らしい。