番外編、その後 そして プロローグ

熱すぎた熱は、胸の中にしまわれ世間的には平穏を取り戻した。
後述するまでも無いが、下手をすれば日本語版と変わらない状態まで完成したBenQ P50がある。
使い方は、完全に日本語化されたもの 日本語化途中でそのまま運用する者、各自各様の使い方に落ち着いた。
間違えてもらっては困るが、日本語化というのは日本語が入力できることや、日本語のメニューが出ることを言う言葉ではない。完全に普段から 日本で使える形にまでする事こそが日本語化なのだと言う事を。
自ら検Ben隊 末席を名乗る、I氏も中国語混在環境ながら完全に普段から持ち歩くPDAとして帰化させていた。
唯一つの不満点を除き・・・・
 
「そうですね、本国にも強く働きかけてみます」
力強い言葉を聞けたことは幸せだった。
CEATEC、デジタルネットワークのブースの一角にあるBenQブースでの話。
日本でのBenQ P50のファンがいる事を 少なくともメーカー いや少なくともメーカーの担当者は知っていてくれた。それが誇りに思えた瞬間であった。
「世界的に物不足で・・・・」
「かなり人気があって、発売できない国もあるんです・・・・」
どれも、「我々の選択が間違いじゃなかった」と 言い聞かせてくれる言葉のように彼の心の中には響いた。
思いもがけぬ歓迎を受けたことだけで、幕張まで来たことが間違いでなかったと自らに思い聞かせた。
ただ、どうしても心のそこに小さな棘のように引っかかる言葉があった。
「W−CDMAも可能です。ベンダー様次第ですよね・・・」
 
もう9時を過ぎている。日本時間では10時。
もちろん、ここが新宿であればこの明かりは当たり前ではある。しかし、通りが そう車道も含めて地平線という言葉を街中の風景に例えるのであればどう言って良いかは判らないが 果てがあるのであれば そこには明かりがともっているのだろうと思わせる看板だらけの街。
その道を、足早に歩いている。
みんな既に待っている。
歩きながら色々な話を聞く。耳から鱗が落ちそうな話もある。ここは自由の国。もちろん、自己責任の範囲ではあるが、国が保護したりしない分競争だけが市場を決める国。
I氏のBenQ P50には、データ通信用のSIMカードが。これは、現地のY氏が貸してくれたSIMカードである。このカードこそが香港の町の自由を象徴しているものである。
そして、楽しいご飯が終わり ホテルに一人帰りついたI氏。
ホテルで耳慣れない音を聞く。
「プルルルル」
聞いたことの無い音であったが、その音は紛れも無い I氏のBenQ P50が奏でる音であった。
もちろん、音楽も鳴らしたことはある、動画を再生したこともある、エラーだってキーの入力の確認音だって 今まで何度も聞いてきた。
しかし、一度たりとも聞いたことの無い音に I氏は愕然とする。
BenQ P50は電話だったんだ。
I氏の心の中には、以前の引っかかる棘のようなものでは無く 既に明確な形を持った不満があった。
「何故 電話として使えないんだ」
それこそが思っても口に出さない事が当たり前のようになっている、口に出してしまうと惨めな気分になってしまう 禁断の言葉の一つであることは判っていた。
ただ、一度見てしまったI氏には黙っていることが出来なかった言葉である。
 
ネット上には、さまざまな噂や憶測が飛び交う。
いくつかの 交差する断片が共通の繋がりを持ち出すと 噂は真実になる。
そして、「WILCOMからスマートフォンが出るらしい」という噂と「WM5.0のスマートフォンがシャープから出るらしい」という噂の共通点があまりにも多いことに気がついた人たちが 一つの結論を導き出した。
もちろん、企業が意図的に流したものかもしれないが 乗せられてみたいという希望が呼んだものかもしれない。
発表の二日前には、間違いの無い情報として伝わっていたこと。
「WILCOMから シャープ製のWM5の通話機能付きのPDAが出る」という真実が。
平日、それも昼間に。
I氏は自分の行動の根拠を証明する術を持たなかった。しかし、自らの行動の正しさには自信があった。
そして、発表会
「W−ZERO3」発表されたものの名前であった。
ここでは、多くは語る必要は無い。ただ、氏の言葉こそが雄弁に語っている。
伝えたいのは、あの日 香港で受けた感動であり それを知って欲しいというと言う思い。
それが、全ての機能を日本語化すると言った 検Ben隊の望みだったということを。