人の進化とマルチタスク

PCという範疇においてマルチタスクは既にトレンドとなっています。
ただし、同時に幾つかの仕事を人が指示できているわけではなく タスク実行中を切り替えて使っています。
右手でワード、左手でエクセルを使いこなしている人がいないというような意味です。
しかし、データベースなどでは入力中の文字に対してデータベースの更新や検索が並列で実行されていて、意識せずに使っているということもあります。
携帯電話でもそうで、携帯電話でゲームしている最中だったり 写真撮っている最中に着信できなければ恐らく困ってしまいます。
 
では、右手でExcal左手でWordが使えますか?なのですが一概に無理かどうかはわかりません。
例えば、駅の売店でおばちゃんが複数のお客さんに商品を出してお金を回収しています。
決まったタスクなら複数をこなすことも可能なのです。
人としていいのかどうかわかりませんが、コンビニで何人も並んでレジを待っているときに新聞をとってレジにお金をおいていってしまうおじさんがよくいます。
並びもせずにと言えばそうなのですが、コンビニのマニュアル的客対応から最も遠いところにいる人たちです。
ただ、それでも恐らく顔なじみだからそれでよいようです。
ところが、海外に出るとどうもそうでないという人が少なくありません。
例えばレジに並んでいても、お金を払って おつりを計算(レジスターがあるんだからその数字を見ればいいのにとは思うんですが)しているらしく、時折指を折りながらぶつぶつ言っている人がいます。
こちらにすれば計算は十の昔に終わっているので、丁度のお金をおいてレジを離れようものなら「Stop!!」と強い口調でたしなめられます。
もちろん、こちらも言い返すわけですが(注:日本語なので何を言ってもどうせ判らないし)返ってくる言葉は「シャラップ!!」としゃべることすら禁止されてしまいます。
住んでいる人たちに聞くと当たり前のようで、計算中に話しかけるほうがわるいといわれてしまいます。
いくな愛想が悪くても日本の店員さんは、「はぃ」と右に行け声が低くなる非常に腹立たしい返事をされることは多々ありますが、流石に黙れとは言わないでしょう。
それぐらいのマルチタスクはこなすわけです。
 
OSのマルチタスクにはそういった部分も少なくなく、例えば動くカーソルだったり表示だったりとか 音楽だったりするわけです。
著としたことなのですがOSに対応してもらうと嬉しいことです。
ワープロ中にメールの到着が知らされたりなんかも有ります。
PCのWindowsでは画面上に複数のアプリケーションを表示している作業していることは少なくありません。
例えばワード(ワープロソフト)とWEBなど。
WEBの文章を参考にしながらワードを使う。
商品のスペックなどを表示させそれを見ながらの文章を作る。商品の発表会とかのレビューを書くパターンです。日記の更新には欠かせません。
ところが、WM5もSymbianもPalmも同時に他のアプリケーションの画面を表示することが出来ません。
画面の広さがEM・ONEのように広くなったのならいいんじゃないの?と考えてしまうというのはこの前日記に書きました。
ただ、複数を表示する場合には切り替えの為のタスクバーが必要になったりと大変なのかもしれません。
 
「人は変わってゆくのよ」と有名なアニメのせりふがありますが、こういったことには中々頑固で変わらないものです。
良くあるOSの差による良し悪しの評価などがそうで、どれにも良いところがあり悪いところがあり 使い方が慣れているかと どこまで自分の用途にマッチしているかが大きなポイントとなり 小さなデバイスでの使い勝手を上げる為の工夫 例えばショートカットや長押しキー等の順番などが小さなとげのように感情に突き刺さり 全てを否定する方向に向かってしまうのは修行が出来てない私だからでしょうか?
まあ、そんなことを言いながらも結果的に全部持ち歩いているという駄目人間なのですが・・・・
 
マルチであることは複数の仕事を同時に処理できているように見えますが、処理できている仕事は画一的で今までの経験の延長上にある判断を要しない(経験の積み重ねで体に染み付いたと言い換えても良いかと)物だけのように思えます。
天才ならざる私は、日記の文章と、見積書を同時に処理できないように少なからず物を生み出すようなことは複数同時に出来ないのではと思ってしまいます。
他の人が私と同じなら、マルチタスクが増えることは 創造的な考えを失い 画一的でルーチンワークをこなして行くだけになって 気がつけば自分が人ではなく機械になっていないかと心配になってしまいませんか?
大画面、マルチモニターと 複数の仕事を同時にこなす環境が整ってくると 自分は銅だろうと見直してみたりして・・・