部屋の壁?

いつもの思い込みなの話なのですが
「タイ」に行ったときに 基本的に家で料理する習慣が無いというようなことを聞きました。
家で料理しないとなるとどうするんだと思いますが、アジアの国の多くで 屋台とか町中に食べ物を提供する店があります。
では、ヨーロッパ(って殆ど行ったことがないので一般論かどうかわかりませんが 町中どこでも食事が出来るというわけではなさそうです。
レストランか若しくは、レストラン街のようなところがあって・・・と言う感じを以前受けました。
でも、人類の起源から言って、通貨社会の出来たのは人類が生まれてからかなり先の事で それ以前から外食文化があるはずは無い。
少なくとも自分で食べるものは自分でとって 自分で料理する必要があったと思われます。
であれば、話がおかしいのですが・・・・
 
暑い国と寒い国があります。
寒い国は、ひとつのコロニー単位に固まって生活してもその空間を最小限にしようとします。
何故なら、広ければそれだけ暖房効率が下がるからです。
少ない燃料(この場合は拾ってきた木切れなど)で効率よく暖房するためには、狭いほうが良かったわけです。
ところが、暑い国ではそういった必要が無いことと、なまじ閉鎖すると暑くていられないという事から壁すらも無い生活となります。
壁が無ければ近くの人たちと必然的に仲良くなりコロニーは大きくなる傾向になり、ひとつのコロニーの間ではお互い同士壁の無い生活となります。
もちろん コロニー外に向けては獣や敵が来ないような柵や門があったりすることもあります。

コロニーが大きくなると、コロニー内での役割分担が出来て行き、必然的に食事を作る担当とそれ以外のことをする担当と言う封に分かれていったのだと思います。
勿論、そうしたほうが効率が良いからなのですが・・・・
そのまま西洋からの文明が入ってゆき、消費社会の洗礼を浴びたアジアの国達なのですが 自らの文化にいきなり急流のように混じった文化に対して各国毎に独自の対応を行いますが、恐らくタイでは住居は西洋風にコンクリートに囲まれた住居に住んでいながら、食事だけはコロニーの頃の習慣で 役割分担をしたと考えられるような気がしました。
それが、コロニー内での人の結びつきによって存在するのか、お金と言う役割を評価する媒体を通じて行われるかの差があるだけです。
どちらにしても、その仕組みが効率よく回っていればそれでよいと思うのですが、各国でいろいろな面で違う対応と変化を起こすのが面白いところです。
 
日本も恐らく例外では無いのですが、以外に偏った進歩を遂げたようです。
外食の話だけで言うと、確かに多くのレストランが町中にあるのですが その内容は家庭料理というより昔で言うところのご馳走を食べさせる店ばかりのような気がします。
香港や台湾、そしてタイにいるときには、ご飯の種類としていろいろな物があるのですが街中の安価な料理、それも屋台に近い料理は概ね家庭料理に近いものです。
例えば朝ごはんは、中国で言えば「饅頭(中身の入っていないブタマン)」と豆乳や揚げパンといったものが非常に安価で食べられます。
ところが日本では、喫茶店で食べても パンと僅かですがハムがついていて 卵があって小さなサラダなど。
別に洋食だからというわけではなく、海外のホテルのレストランで出る朝ごはんのメニューの小型版です。
これが和食であれば、ご飯、味噌汁、おしんこ、焼き魚、一品なおとなります。
 
もともと貧乏な家に育ったからかもしれませんが、子供の頃の 朝ごはんは ご飯とお味噌汁程度のものでした。
テレビのCFでシチューのコマーシャルで「今夜はシチューだご馳走だ!」というのがありますが、あれは冗談でもなんでもなく本当に「シチュー」がある晩御飯はご馳走なのです。
普段は、シチューの無い アルプスの少女に出てくるような パンとチーズと牛乳のご飯を食べているわけです。
だからこそシチューはご馳走なわけです。
焼き魚や一品がつくからとか、味付け海苔が必要かどうかの話ではなくこれはどういうことだろうと思ってしまいます。
子供の頃は大人も子供もこの食事でした。
家ではともかく、外で朝ごはんを食べると和食の場合少なくとも 焼き魚や一品がついてきます。
タイのように外食で一日中過ごそうとした場合、子供の頃に食べた通りの食事を食べるためにはどうしたらよいのでしょう?
勿論、焼き魚と一品を残すと言うことになります。
でも、あれば食べてしまうのです。
 
メタボリックシンドロームという言葉がありますが、子供の頃は太っていると痩せているの二つで人は区分できたような気がします。
いまは、隠れ肥満だとか内臓脂肪だとかいう訳の判らない区分が見た目や体重だけでなくあるようです。
もし、私の子供の頃の食生活を正しいとするならば、今は「焼き魚」と「一品」の分だけ多く食べているのでしょうか?
勿論、豊かだとか、望みの生活だとか言いますが 実際の所どうなんでしょうね?
おなかの前に、浮き輪のような脂肪を巻いて歩いているのが豊かの象徴なのでしょうか?
たとえ食べようと思って「めしや」さんに来ても ご飯と味噌汁だけと注文しただけで あちこちから哀れみの目で見られました。
ひとつは「貧乏人」という目でしょう。それしか食べられないのかという感じで
もうひとつは、「それだけしか頼まないのか?」と言うような視線。
昔は卵焼きはご馳走だったのに、いまやただの付け合せ。
人間の体はそんな時代についてゆけるほど早い進化は望めないのでしょうね・・・