画像認識

恥ずかしい話ですが、TK-80の発売をライブで見ていたという事なので そろそろ老眼が始まっています。
年には勝てないのです。
それでも、見えないと言われるXperia等を使っているわけなのですが・・
 
もともと、近眼で中学校に入ったころから眼鏡が離せなくなりました。
すぐに目がかゆくなるので(今思えばアレルギーの前兆? 最近花粉症ですから)コンタクトもできず
また、その頃は笑えないぐらいの価格だった事もあり 貧乏な家の子の私は眼鏡をそれも何年も同じものを使い続けていたので とんとファッションなどには疎くなる。
目が悪い上に、その頃は若いので暴れまわるので眼鏡は歪んでゆく。もちろん、買い変えてはくれないのでそのまま・・・となると 多少何らかのおしゃれをしたところで余計におかしくなるだけです。
今に言ったってもおしゃれとは最も遠い所に住むこととなります。
そのおかげなのか、近いところに関しては非常によく見えました。
CPUの換装などを行ったとき、フラットパッケージのはんだ付けでチェックをする役目を任されていたのは 肉眼でそれが確認できたからで他の人より(ルーペを使った確認に比べて)速かったからです。
当然、見えるものにとっては見えないという事が理解できなかったりしたものです。反面、遠くが見えないという事は理解してくれない事がイライラの種でもありました。
それが1〜2年前から見難くなって、疲れ目かなと思っていれば十分老眼でした(笑
 
眼科でもそれほどでは・・・と言われるものの(どうも今が人並みぐらいらしいです)、確かにXperiaのブラウザの文字などが一文字だけで認識しろと言われればかなりの時間を要するようになってきました。
これが見えないという事なのかと開眼したわけなのですが。
まあ、見えないものはしょうがないと 元来楽天家の私はあきらめて ヘッドルーペなどを買ってきて家で細かい作業をする時には備えたわけです。
焦点の合う範囲が非常に狭く、対象物との距離を一定にしようとするので今までに比べて驚くほどに生産性が低下するわけです。
もちろん、趣味ですので生産性がどうこう言う事はないのですが・・・
手先は元々あんまり器用ではないのですが、そういう事もありDS Liteを壊してから肉眼ではもうするまいと思ったりしたわけです。
高がスイッチ交換に失敗するとは思わなかったので・・・・
 
ところが、結構Xperiaも使えています。
最近ではOpera 9.7 mobile Betaを東芝仕様にして使っているのですが液晶画面のサイズの違いでかなり小さな文字になっているわけですがそれでも何とか巡回ぐらいはできています。
どうしても見えないときは横画面と言う方法もありますので。
そういえば昔の話なのですが、今ほどコピーの精度が高くないときに コピーを続けた文章を読むと文字が崩れている事ってなかったですか?
特に青焼と呼ばれたもの等は見てわかるほどにゴミが残ったものです。
解像度が100dpi程度でスキャナを行うとか、FAXで送信した原稿をFAXでコピーするとかでも同じ事が今でもできますが 昔はワープロとかが無かったので書類はコピーしたものを使うのが普通で、いつの間にか無くなるオリジナルでコピーのコピーになりと 何世代目かで解読ができなくなってしまったわけです。
そういった文章を並べて、よめるかをみんなでやってみたりしたときに私は必ずと言っていい成績を残しました。
大体の形から、文字を推測する能力ですね。
おそらく、昔から目が悪く 遠くが見えにくいので推測する訓練が良く出来ていたからに他ならないでしょう。
Palmの時代に12ドット日本語フォントなどがありましたが これなんかもそうで例えば「龍」の字の左下の「月」の中部分は実は線一本と言うか1ドットで表現されていました。
なんとなく遠くから見た時のような表現です。
もっといえばファミコン時代のマージャンゲームの字牌などがそうで8ビットで表現できようはずもないものが何となくそう見えていたわけです。
人がんが古いとそういった能力にも長けているという利点もありかろうじて使えているわけです。
 
本当にその細かいものが大事なのかという点ですが、最近LCDのディスプレイの高解像度化でたまに1ドット程度の不良が発生し その範囲に関しては保証外ですと言うような文言がPCを買った時には書いてあります。
たしかにそういったものを見つけた時には気分的にはブルーになるのですが、本当にそこは大事ですか?
4インチ少々で1024×800ドットとかの液晶画面であれば 1ドットぐらいの不点灯点があっても実は気が付かないのです。
お祭りの時に提灯などを照らしている電球が1つぐらい切れていても気が付かない通りなのです。
「いや、おれは気が付く」とおっしゃる方も、LCDチェックツール(いわゆる各色に画面全体を塗りつぶすようなアプリケーション)を使って「ほらここ!!」なんて言っているのを見ていると そうしないと見つけられない(気が付かない)程度の物なら 普段気が付く事はないでしょうと言ってあげたくなります。
気分的にはブルーになる気持ちが分かるだけに、言わないですけどね。
 
人の目は非常にアナログチックで、例えば写真の色の諧調など論理的にフィルムに追いついた等と言っているものを見ても、ちゃんとデジタルカメラと通常の印画紙カメラの差を見る事ができる人がいます。
その反面、電球を一定間隔で並べて 一つおきの単位で交互に点滅させると本当は点滅しているだけで方向性も何もないのに流れて見えたりします(これ結構面白いんですよ、人によって右に流れて見えたり、左に流れて見えたり見え方が違うんです)。
物を大きな観点で捉える能力があり、細部まで見てから判断するのではなく大まかな形を見たところで判断しているので処理速度を上げる事ができるのです。でなければ、相手が投げたボールがカーブかシュートかなんて判断つくはずはないのです。
その能力の中に文字を認識する能力もあり、尚且つ文章は文字の認識ではなく 流れのある物なのでおおよそ出てくる文字を頭の中で絞ってからの認識なので何とかなっているかと思います。
いわゆる頭の中で予測変換をしているわけです。
頭の中に語彙が多ければ確率が上がりますし、相手の方の文章の癖などが解っているともっと確率を上げる事ができます。
 
高解像度、読みやすいフォントに頼っている最近の傾向ですがもしかしてそういったの力が実は低下して行っているのかもしれませんね?
認識力の低下が、SmartPhoneの小型化を阻害しているとしたら・・・・