錬金術という言葉があるが

現在、実は錬金術というのが実行可能なのである。
 
アニメの影響もあって錬金術という言葉がいろいろな意味を含むものとして有名になったが 錬金術というのは言葉通りなら「金を作る技術」という物である。
錬金術という言い方をするからわかりにくくて 科学者といえばわかりやすいのである。
ただ、表立って金の練成を行いますよと言いにくい(もしそうなったらこの人の持ってくる金は偽物かも知れないと疑われてしまう)ことからも闇の世界に近い所にいる。
じゃあ、なぜこんな言葉を使うかというと ひとつはスポンサーの問題で やはり研究を続けるにはお金が必要で そのための資金を得るためには 金を作る技術を研究しているというのが速いわけです。
もう一つ、科学の真実に近づいてい行くと問題になるのが宗教の問題。
どうしても宗教的に問題のある部分、例えば天地創造に関する部分や 道徳と技術のジレンマに陥ることから 宗教者より悪の烙印を押されることが多いわけです。
故に、どうしてもダーティーなイメージが付いてしまうわけです。
何か悪いことがあると錬金術者のせいにしたりして 有名な錬金術パラケルススなどもホムンクルスの可能性に対しての表記がいつの間にか出来るとなったという話もありますからそういう物なのでしょう。
 
で、表題なのですが
物理的な意味での錬金術という事では 電子をぶつけてくっつけたり離したりは技術的には出来るようになったので 「金」に特殊性は無いので 作ることが出来るようになったわけです。
言葉通りに「錬金術」は可能となったわけです。
問題はそのコストで、金を買う方がずっと安いので結果的に出来るという事と やるという事は違うわけです。
近い話でいえばダイアモンドなども 炭素の圧力をかけて作ることが出来るようになったわけで こちらにより生成する事が出来るわけです。
「金」といったのは値打ちがある斧ということで 金であろうがダイヤモンドであろうが構わないのだが 結果的にそうやってできることが解ると価格的にすぐに反映するのでダイヤモンドなどは「人工」のものはずいぶん安いわけです。
ただ、物理的な物でないとすると また違う趣を醸し出すのである。
 
ホムンクルス」を人造人間という言い方をして まるで人そのものを作り出す技術のように最近では表現しているが 実はもともとはそういった書き方ではないのです。
ラテン語でいう所の「小さな人」という意味の言葉です。
小さなというのはサイズが小さいという意味では無く、人に比べて出来ることが少ないという意味に捉えられているようです。
その当時の 錬金術の話などを逸話のように書いている本では お茶を運んだりさせている人のようなもの を示していたりするようです。
「まるで人のようだ」という言い方なのですが、江戸時代のからくり人形の出し物をみた庶民も 口々に「まるで人のよう」と言ってますから その程度という事かもしれません。
からくり人形のようなものだったのかもしれませんし、アシスタントとなるロボットのようなものだったのかもしれません。
「ロボット」も鉄腕アトムなようなものもあれば 工場で車を作るアームだけの物もあるわけです。
そういうアームだけの物だったとしても やる作業が面白ければ「まるで人のよう」な表現はなされたのかもしれません。
 
じゃあ、その「ホムンクルス」の用途を頭の中の物に特定したらどうでしょう?
「考える」という行為に関しては未だ代替えの効くものではないように思われますが、「記憶する」という事に関してははるかに優れたものを多く得ることが出来ます。
そして、人との付き合いという意味でも力を発揮する物なのです。
例えばSNSであれば、つながりのある人の誕生日なんかも知らせてくれたりするわけです。
正直、恋人でも無ければ友人の誕生日など未だかつて気にしたことも無い訳ですが、SNSから知らされると 「おめでとう」と送ったりすることもあるわけです。
まあ、気が付くのが数日後という事も少なくないので 送らない方が多いわけですが・・・・
自分の誕生日にも送っていただいたりすると驚かされたりするものです。
勿論、こちらの都合も考えずに連絡を取ってくる電話では無く、こちらの都合の良いときに読んでくださいというメールというメディアもあるわけです。
これらを使い分けることによって、多くの人とのつながりが出来てくるわけです。
 
勿論弊害もあって
今までは社会人になると 仕事の時間の一致が少ない事から今までの友人とのつながりが疎遠になり
嫌でも毎日顔を合わせる会社の同僚などとの付き合いが増えて、趣味が合う合わないにかかわらず 一緒に飲みに行ったりの付き合いがあったわけですが 趣味に合わなければ別のメディアでつながる友人と出かけたほうがという付き合い方が増えて 会社内での付き合いが減ってきたという事実もあります。
それらは 良いか悪いかという意味では 日本的なつながりが無くなってきたものという感じではあります。
 
私も腰に 複数の「ホムンクルス」を養っているわけですが 必ずしも彼らは誠実では無く 働きすぎると意識を失っていますし、電波という目に見えないものに縛られていて それの無い所にではうまく働いてくれなかったりもします。
騒がしかったり、静かすぎたり 色々と困らせてくれたりもするわけです。
でも、言葉通り「小さな人」である彼らが一緒にいるという生活が今は気に入っているわけなのですが・・・
written by HatenaSync