ブランド力

ブランド力というのが最近よく使われているのだが・・・
 
実は、最近ブランド力というものに懐疑的になっている。
結局、広告の一つぐらいで失敗すると失うものの方が大きいとさえ思うようになっているのだが・・・
 
Samsungの最近の販売を見ていると実際にそう思えてくるのだが
「Galaxy」というブランドを多用している。
最初はAndroid端末のフラッグシップとして用意されたものだが 最近ではとにかくなんにでも使っているように思える。
廉価機のなかにもその名を名乗るものもありますし、Cameraだとか Tabletだとかもそのブランドを冠している。
専用のアクセサリーの中にも 〜用という意味なのだが「Galaxy」という名前を持ったものも。
いや、Android端末だから・・・と言われそうだが Taizen端末にもGalaxyを名乗らせるようだから既にOSさえも障壁ではないわけです。
この販売はGalaxyの名前を持つことで 簡単にマスコミの記事に登場するのですがそれって・・・
 
Samsungは日本の家電メーカーの歴史をよく研究しているように思います。
とにかく、売れたものは何でも自社で作って販売する。
そして、必要であるかどうかを考える前に 付加機能を増やしラインナップを拡充する。
他社が品種が少ないと言われるほどにラインナップを拡充して主戦場でぶつける。
複数の機能の製品を一つに集めた商品を作り それを実験的な状態から市場にぶつけてみる。
等々、やり方が非常に似通っているわけです。
残念ながら、今の日本のメーカーに同じ手法で対抗できる力がないのですが・・・・
 
このブランド戦略も一つで
例えばSonyWalkmanSharp Aquos等々 商品的に成功したもののブランドを他商品に展開してゆくというところまで似ています。
Sonyでいえば最初はカセットデッキを持ち運べるサイズにした Walkmanが大ヒット。
その後、音源がCDに移り消費電力の低下やレーザーピックアップの構造の簡素化などで CD Walkman
録音で来てコンパクトな MD Walkmanとなり
ネットワーク Walkman等々
Walkmanと聞くだけで音楽プレーヤーであるという認識を消費者に植え付けることに成功したわけです。
Sharpの場合 亀山工場で生産した液晶の表現力の良さから Aquosというブランドのテレビが成功。
その名前を冠した液晶製品の表示精度はぴか一であるという付加価値を持ったわけです。
 
それと同様
Galaxy SというフラッグシップモデルはS2、S3、S4と順調に進歩してゆき空前の大ヒットとなり SmartPhoneのシェアで大きな割合を得るに至るわけですが
S2のころからすでに戦略にぶれが出始める。
各国に渡り販売されるフラッグシップモデルなので 各国毎のローカライズが成されています。
その差が、自社のCPUが間に合わなかったりベースバンドチップの関係で CPUのブランドや性能に至るまで大きな差が出るようになってしまったわけです。
S2の時には 新しい通信方式 LTEの対応に合わせて CPUの異なるバージョンが三つ存在し
S3に至っては、既に解らないほどたくさんのバージョンが存在します。
そのバージョンが増えたのには Miniだとかの派生機種の登場もあります。
これらはバッテリーの容量が小さいことからも省電力を狙って 標準機に比べて低い性能にならざる得ないのです。
 
だとすると Galaxy Sを関するフラッグシップ機とは?
フラッグシップじゃない 見かけは立派だが 船足の遅いとか攻撃力の弱い 数合わせのための船が混じり始めたわけです。
そうするとその船団そのもの Galaxy自身が 必ずしもかっこの良い強い海軍だかどうだか?という疑問を抱かせるに至るわけです。
じゃあ、Galaxyというのは何だ?
簡単に言うとSamsung製品だということかな??程度の認識となる。
そうした時に Galaxyという名前そのものに ブランド力はなくなってしまっているのだ。
 
日本とどう違う?
といったところで 私は50歩100歩だと思う。
何故?と言ってみれば簡単だ
Walkman携帯なんて実は何機種も存在したのだ。
それらは基本的に鳴かず飛ばずだ。
同じ理由でWalkmanというブランドを広げすぎて その価値を結果的に貶めてしまっただけに過ぎないのだ。
Aquosにしてもそうだ。廉価な機種を乱発して Samsungなどの高精度液晶に遅れるようになれば そのブランド価値は失ってしまうわけです。
 
じゃあ、Galaxyはダメなのか?
私はそうは思っていない。
Galaxyの中にも良い機種もそうでない機種もあるわけだ
その中で自分の用途に合わせて良いと思う機種を選べばよいことで ツートップの一角だから良いとかそういうメディアに乗せられた価値観の上にいるからブランドなんて形のないものに騙されるのだ。
結果的に自分の目で 調べて理解して選択すればよいわけだが それが出来ないからこういったモノに頼るのだ。
じゃあ、みんながそれを理解して選ぶようになればどうなる?
ブランドなんて形のないものは やっぱりなくなってしまうのだ。
ブランドとは売れて広がればなくなり、消費者が賢くなれば存続できないというはかないものだということになってしまうのだが・・
ただ、品質の安定性などは 長い歴史の中で作られてゆくブランドは健在であると信じたいのだが・・・・
written by HatenaSync