西下さんの平日(番外編)

2時間ほどの間、聞こえてくるのはキーボードのタイプ音と プリンターの唸る音だけだった。
事務所には一人っきり。
何の邪魔も入らない いい環境である。
足元の冷蔵庫には オレンジジュース。PCの熱で暖かくなるコーヒポット。
ビスケットには先進の科学技術を集めた栄養成分の塊(らしい)
仕事は順調に捗る。
時々、コーヒーポットの先から糸のように出てくる香りだけが鼻をくすぐりに来る。
「入れ替えないとだめかな?」
周りの時だけが止まっている。

「あっ」
これだけはどうしょうもない。我慢するのにも限界がある。
その役目を忘れていた足に、動くための命令を出した。
立ち上がって わずか数十歩 トイレに向かった。
トイレで考える。何とか成らないかな?
“携帯用トイレ”、“おまる”、いっそのこと“チューブ”を体に・・・・
いや、後片付けが入りそうだよな メンテナンスのことを考えると トイレ掃除は人に頼めるし・・・・
そういえば、トイレットペーパーのストックが・・・
又通販で頼んで
そうか、若いのが入ったからあいつに買いに行かそう。
“通販のやつは肌触りが悪い”とか文句言うやつもいるし
スリッパもつめたくなってきたからそろそろ毛の生えたやつにしないと・・・
しかし、勝手に買ってくると“安っぽい”の一言だし。
いいや、これも若いやつに走らせて・・・・・
詰まんないこと考えている。
既に用は済んでいるのでそこから出た。

再び座って仕事を始める。
一度立ち上がると気持ちが切れて また同じ作業を始めるまでに時間がかかる。
目の前に並ぶ 3台のディスプレイ。
狭いかな?
この広さだと 資料は紙に出して見ながらになるんだよな
映画とかなら 9台並べて長方形って言うのもあるよな
だけど上のほうの字は読めないし・・・・
いっそのこと100型ぐらいのCRTに変えて・・・・
やっぱり読めないか上のほうは いっそのことドーム型にして・・・・
首が持たないよなきっと・・・・・
ふっ、と我に帰る
いかんいかん
あっ、間違えてトイレのスリッパそのまま履いてきた。
まっ、いいか
この後戻しても、今戻しても 不潔度指数に誤差程度の変化しかないし。
あとで、又行きたくなった時にでも戻せばいいか
しかし、覚えているかな?
postitでもディスプレイに貼って。
しかし、何時も思うけどあれって汚らしいよな。張るのはいいんだけどはがさないからのりの所に埃がついて。
そうだ、このまま履いておけば忘れることは無い。
スリッパの中は汚れてないし
冷蔵庫だけは蹴らないようにしないと なんとなく汚れたような気がするよな
カップにコーヒーを流し込む
粉っぽいコーヒーがカップの底に1cm程溜まっただけだった。
入れなきゃ駄目か、スリッパの件もあるし
再び立ち上がった。
コーヒーメーカーに豆を入れて待ってる間、ソファーに座った。
いつもは糸のようにくすぐる香りが、今は部屋一杯に広がってる。
カーテンの切れ目から日がさしている。昼間なんだ
最近ゆっくりして無かったよな
「今日はサボってゆっくりするか・・・」
言葉に出すでもなく つぶやいた。
そうしてみると やることが無い。
コーヒーだけ入れてソファーに倒れこんだ。
首までコーヒーの香りの中に埋もれた。
「ふぅーーーーー」
寝てるか起きてるかも判らないようなまどろみが続いた。

突然 “メールだよ メールだよ”趣味の悪いアイドルのメール着信音が聞こえる。
嫌な相手か嫌な用件のメールだ。
机に座ると 嫌な用件だった。
とあるネットワークの裏口が閉まったようだ。
「あっ、そうか!」
セキュリティの改造を思いついた。
そのままトイレに行きたくなるまで 機械に向かい始めた。

時間の過ぎるのは 煮詰まってゆく 高焙煎のコーヒーの香りと ソファーで冷えてゆくコーヒーだけが知っていた。
ただ、トイレのスリッパが自らの定位置に帰る日は遠いようだ。