伊藤探偵事務所の爆発

17畳もあるリビングが自慢だった。
1LDKでもどうせ一人暮らし。彼女がいるわけでもなく、勿論彼氏がいるわけでもなく。
ゆっくり眠れればいい、そう考えて借りた部屋だった。
部屋が一つしかないのは、掃除が大変だからで 結局物が増えると思って大きめの部屋にしたのだが、事務所にいる時間が長いからそちらに置いている。
がらんとした部屋は、都会の寂しさを象徴しているようで 足の高い椅子と ビールのグラスしか乗らないようなテーブルに、言葉どおりビールを載せて一杯だけ飲んで寝るのが 意外と気に入っていた。
日常が騒がしすぎるんだ。
探偵業で、最も大変なのは接客である。
つくづく思い知った。
多くは、人の調査。
それも、浮気調査ぐらいの物、命がけの仕事なんてそれこそ数えるほどしかない。と、思っているのは 入った頃と同じ。しかし、そんな仕事なんて 無ければ無いに越したことは無いと思いながら、少しだけ日常には飽きてきている。
しかし、命がけの恐ろしさは良く知っているので やはり無ければ良いと思う。
お金は、しばらく不自由しないほどあるし と、思いながらアルバイトのような仕事を毎日こなしている。
 
「あいってて!」
今日の、クライアントに引っかかれた顔の傷に傷薬を塗りこみ、バンドエイドを貼る。
本人も調査を依頼するぐらいであるから、既に解っていると思う。
なのに、調査結果を見ると取り乱す。
まあ、結果を見て高笑いする人よりは、精神的に負担は掛からないが(思わず、旦那の将来に胸の中で十字をきってしまう アーメンって)やはり、人の取り乱す姿を見てうれしいはずは無い。
泣きじゃくるクライアントを、なだめる様に近づいて 顔に傷を作ってしまったわけだ。
このパターンの怖いのは、調査結果を疑い お金を払ってくれないことで 何とか宥めすかしてお金を払ってもらわなければいけない。
顔に付いた傷など、気にも掛けてない振りをして 少し曇った笑顔で話しかける。
「一緒に、将来のことに向けて考えましょう。旦那さんも一時の間違いです・・・・」
泣きじゃくるクライアントに抱きつかれ、落ち着いてもらえるのを待つ。
大体、探偵に依頼するなんて かなりの費用がかかる。
金持ちでなければ出来ない話だ。
暇つぶしの浮気に、暇つぶしの浮気調査につき合わさされるほうもうんざりする。
クライアント:「復讐してやる!」
そのまま、ソファーに押し倒されて 口をふさがれた。
あいては、金持ちの奥さんらしく少し年はとっているが 顔立ちも良くかなりグラマーな体型である。浮気する旦那の気持ちがわからないような女性。
悪い気はしないが、復讐ごっこに付き合わされるわけにもいかない。
「たすけて〜」
声は、こもって外に出ない。
意外に力が強いのか、本能が最大限に力を出すのを制限しているのか 押しのけられない。
ソファーに押し倒され、見える天井の模様に、一人の女性が浮かび上がる。勿論、思い出ではなく 実在の女性がそこに立っている。
「arieさん」
声は、同じく出ない。
手が、体に徐々に絡みついてゆく。
arieさん:「お客様、その子は別料金になりますがよろしいですか?」
喋りながら、こちらの姿など見えてないかのように 普通にテーブルにお茶を置いた。
そして、何事も無いかのように僕の隣に座ると、クライアントと目が合った。
にこっと軽く笑う、切れ長の目。
我に帰った、クライアントが元の場所 つまり僕の対角に座りなおした。
その後の話は、相手に負い目が出来たのか恐ろしくスムーズに進んだ。
arieさんは、すでに書き換えられた請求書を持っており、そこには訳のわからないサービス料という項目が付け加えられていた。
もちろん、相手にわからないようにすり返られていた。
 
傷薬が、頬にしみる。
arieさん:「あっはっはっ」
壁の向こうから笑い声が聞こえる。
「人の家で大声で笑わないでください!! 近所迷惑です」
17畳の部屋の約半分を占める、簡易的に作られた壁に囲まれたarieさんの区画から笑い声が聞こえる。
約半分という言い方も、遠慮しての話で 実際はそれ以上に場所を取っているし 男どもは外に行けと 風呂も占領してしまった。
残りの区画に、3人の男と接客用のソファーがある。
誰一人、遠慮しない。誰一人 この状況に慌てない。
そのことも驚愕に値するが、事務所が爆破されたからといって なんで総員で僕の家に引っ越してくるかが解らない。
所長:「大半が事務所にいるんだから、通勤の手間が省けたでしょ」
そんなことは無い、僕にも自分の時間が欲しい!!
僕の願いは、誰にも聞き届けられることはなかった。