Product−X 挑戦者たち 最終章

「MUI(Multi−Lingual User Interface)だ!」
 
日本語化の一般的な手法。勿論、それはいくつかの方法がある。
wince.nlsを変更し 日本語フォントを追加する この二つを行いレジストリの変更で日本語化が基本的に終了する。
これで、日本語の表示、日本語の入力(入力のためのプログラムは別に必要となります 例えばATOKのような)は可能になる。
これを一連のアプリケーションとして A氏が提供してくれている。これで日本語化は簡単に終了する。
しかし、これだけでは変わらないのがメニューや、メッセージである。
今回の日本語化は「全てを日本語化する」事である。誰が名づけたか「Real日本語化」と呼ばれるようになっていた。
地道で確実な方法は、全てのプログラムを解析する事であるが そんな事ができるはずが無い。
何か他の方法を模索するしかない。
それは今回の日本語化の大命題であった。
 
検Ben隊のテクニカルアドバイザーであるA氏は、検Ben隊の活動に自らの目標を思い出していた。それは、自らのPDAをも完全日本語化する事だった。
いつか情熱の続く日に改めてその試みを、とA氏は自らのサイトに記録していた。いつか適える日を目指して。
K氏はその記述を見逃さなかった。
そして、その第一の手順として OSを含む全てのROM内容を抜き出すことを実行した。
 
PC用のOSであるWindowsXPで言語の統一化が図られた。勿論、OSからのシステムメッセージが基本的に変わるわけではないが、たとえ韓国語のHPを見たとしても、アラビア語のHPを見てもいくつかの手続きが必要でないわけではないが表示がされる。
それどころか、マイクロソフトのオフィススイートである マイクロソフトのワード、エクセル等ではその国の言語ですら入力を可能にしている。
例えば、大きな問題では右から書くか 左から書くかにはじまり 小さな問題では行の最後で日本語のように途中で単語が切れてもわかる言語と 英語のように途中で単語が切れるとわからなくなる可能性がある言語の行末処理。
国毎に違うことを事を理解させているということは、実はOS内部ではそういったことを処理する部分があるわけだ。
つまり、使われる言語コード毎にその禁則処理を切り替えられる仕組みになっている。
恐らく、WindowsCEベースのPPCも.NETの頃からサポートされている野では無いのであろうか?
 
「MUI(Multi−Lingual User Interface)だ!」
該当するDLLに国コードを付加したMuiファイルを作成し変更すれば・・・
まず 最初に、英語版で「Start」、日本語で「スタート」、中国語で「開始」もちろん 表示は「スタート」となった。
確かな手ごたえを感じた。
このペースで行けば全てのファイルは、とまでは大げさだが殆どのメッセージを書き換える事ができるはずだ。
DLLを、他のPPC 2003SEのファイルと比較しながらの作業が始まった。
勿論ここに H氏やA氏の協力があったことはいうまでもない。
さらに、A氏の自らの野望にも火をつけられたことはいわずもがなのことである。
時間と、日本語化が同じ速度で流れてゆく。人間である以上、寝なければ ご飯を食べなければ。その上、社会人である以上仕事もしなければ成らない。
恐らく、それ以外の時間が全てここに注がれた。
そして、それでも足りない時間は睡眠を削って進められた。
削った時間が、実際の睡眠時間より長かった事は言うまでも無い。
「いや〜まんま日本語版みたいです(^^;」
自らの作業に対して、自らの感想がこれであった。
後になって思い返して見れば、この日本語化がメーカの作業と同じ手順を踏んだものだと。
検証の度合いこそ違えど、「Real日本語化」にふさわしい結果となった。
 
「アプリケーションも日本語化してないとおかしいですよね?」
「HardKeyIMEの対応テスト」
「文字列終端処理は言語変更の基本」
「PIMが出来なければ PDAとは・・・・」
今日も新しいテーマが、彼らの中で生まれてゆく。
英語版のBenQ P50の発売がアナウンスされた。
もう、誰も英語版にしておけば良かったなんて思う気持ちは微塵も無かった。
まだ、終わりは見えていない。そして終わりがあるのかどうかも判らない。
しかし、検Ben隊の気持ちの中では、やり遂げたという達成感が拡がった。
彼らは誰一人偉業を成し遂げたなどと思っていない。未だ途中なのだという事を知っている。
しかし、彼らのことを見た人達は 偉業の達成者として語り継ぐことであろう。
「検Ben隊」として・・・・