かなりひどい状態・・・

と言っても震災関連の話ではない。
もちろん関係しているがそれだけではない。
 
3月19日は特別な意味を持つ日だった。
一昨年度に行うはずだった基幹システムの入れ替えを伸ばし続けて もう千切れる寸前まで着た状態で これ以上遅れることができないと覚悟を決めた日が 3月の19日だったのだ。
事の起こりはパフォーマンスの低下で、HDDのリソース不足もどうにもならない状況になった。
もともと一週間分のバックアップを抱える仕組みのシステムは 気が付けば6日、5日、4日と減って行き 3月の初めにとうとう三日分が精いっぱいという状況まで来てしまいました。
バックアップ領域の話だけならともかく、DBのサイズが増えているからパフォーマンスの低下も顕著でした。
月度集計などのSQL文を投げると20分前後なんて当たり前。
ここの所文章量が増えたのは 月度集計のチェックが多いからともいえる状況だった。
作業的にはいやいやながら、同僚に仕事を任せて(押し付けて)前週に一週間の東京出張を行うなど 実は自殺行為だったのだ。
それでも、仕事は仕事なので頑張ったという状態だったのです。
幸いにも リモート環境の記事が多かったことはここを毎日見ている方ならわかると思いますが 完全にリモート環境を構築できているので 机の前にいるかどうかは大きな問題ではなく 飲みに行って帰ってもこちょこちょと作業を続けるあまりに 寝不足と二日酔いからは抜けられなかったのです。
 
それでも、ここまで来ても泣き言を言ってられるのは 今回の入れ替えは基本的にアップグレード+の環境にとどめたことと
全体をリモートデスクトップで処理する風に構築したこと。
3台のアプリケーションサーバーで全拠点リモートデスクトップで動かすようにして
Windows2000以前のクライアントを全て処分すれば VPNが引かれているので 拠点に送る書類はリモートデスクトップの接続の仕方という 割と薄っぺらい書類だけで済んだからなのです。
で、19日を迎えようかという前週末に 例の大震災である。
私の会社は仙台、新潟、札幌、それから東京にも営業所があるので まずは何とか帰ることが最優先だったが、そのあとの接続の見えない拠点も心配だったわけです。
地震直後にホテルで確認したら サッポロはダメで新潟、東京は断続的に切れていたわけです。
もちろん、仙台は地震のあった時刻の記録がVPNのログに残っているだけだった。
 
コンピューターだけをたたいているならそれでも良いが、拠点の状況確認や物資の移動
送られずに帰ってくる荷物や、入ってこなくなる商品の連絡など 週明けは疲れを訴える暇もない泣きたいほどの状況だった。
仕事の関係上 懐中電灯などもやっていますし、手回し式のラジオ付きの懐中電灯などは電話がつながる時間に最初にかかった電話で 「全部」という豪気な注文を受けて無くなったものの 送る手段に悩まされるという状態でした。
太陽電池で充電するエネループの充電器の充電池付が未だに在庫が残っているのが謎なのですが・・・・(笑
まあ、そうやって忙殺されても時間は過ぎて行って 19日は迫ってくるのです。
同僚は倒れそうな状態です。私は 毎日の会議に駆り出されて助けてあげられないことが多かったからです。
 
一昨日、ようやく19日を迎えました。
一気に旧サーバーから新サーバーにデータ移行をするのに午前中。
移ったデータから 社内で作っている帳票類のチェックと 旧サーバーの集計データとのコンペアなどの細かい作業は結局21時まで至りました。
正直、終わったわけではないのですが 私は家でもできるので 大まかに終わったところであとはやるからと終わらせたというのが正しい状況。
結果、昨日も今日も(今日は出かける用事があるので夜ですけど)照合作業に追われるわけです。
ちょっとレスポンスが悪くて申し訳ないのですが 火曜日にレスポンスが悪ければ 大きなトラブルで死にかけているか逃げていないかのどちらかということで そっとしておいてください。
朝から会議というのはやめてほしいのですが・・・・
 
なんとか、一応は乗り切ったので 一応こんな所にも書けているわけですが
出張精算は二月滞ってるし お財布の中はむちゃくちゃです。
乗り越えられたら・・・・あっ 来月の香港行きの飛行機取ってないや・・・・・・



written by HatenaSync