買占めモノ不足も人災のうち

先日、といっても震災前ですが 会社のプリンタを入れ替えるべく稟議書を切って見積もりを取って
ようやく震災前日に発注を行いました。
注文が通って、先週には保守契約書が送られてきたわけですが・・・・
実物が届いてないわけです。
保守だけ入ってもと問い合わせを行うと、実物が無いそうです。
じゃあいつになるのかと聞いたら、解りませんと返事が返ってきました。
というわけでしょうがないので量販店を順番に聞いて回ってみたのですが 量販店に1台はもっていても二台まとめて持っているところが無くて 結果他のメーカーのものに変えることを検討しています。
珍しい物では無くてA4サイズのモノクロレーザープリンターのネットワーク付のタイプで 数少ないとはいえレーザープリンターの中では売れ線の種類の筈です。
そういうもんなんだと 諦めていたわけなのですが・・・・
 
よくよく考えたらおかしい話です。
売店が売れ線の商品ですら、大手量販店4件すべてに在庫が無いという状況なのです。
さもありなんでそこそこのサイズの商品となるとどうせ店頭からお持ち帰りはないだろうからと 直送になります。
現在では物流が発達し、日本全国3か所も物流センターをつくれば1日範囲でよっぽどの田舎でなければ到着するわけです。
在庫など持たなくても、いや 1台程度在庫を持っていてどうしても持って帰りたいというお客以外は対応する必要性が無いというわけです。
これは電化製品だからというわけではなくて多くの商品がそうなっているようです。
 
日本の生産方式で代表的なというとやはりトヨタの看板方式とよばれるもので
必要な部品を必要な時に必要な数量だけ入れることによって 部品の管理コストを減らし生産性を向上するという物。
実際それでトヨタは躍進し、他社もそれをまねて言ったわけで 看板方式は生産現場では世界中で和製英語になるほどの普及を見せています。
同様に物流革命なんて言葉も流行し「必要なものを、必要な時に、必要な数だけ」とまるでそのもののキャッチフレーズをリスペクトして広めました。
そして、中間に入るべき問屋すら必要ない方法を考え、店舗規模を拡大して問屋以上の数量を仕入れることで 問屋すら無くしてしまったわけです。
逆のフィードバックも良く働き、販売数量の店舗予測に基づいて、生産量を調整することが出来るようになり
他のメーカーの拡販がかかったからと実販売数がそのまま他メーカーの売上に消えていて実際には商品が出ないというような問屋の都合による販売状況のぶれも無くなってきたわけです。
メーカーもそのことを喜び「WIN-WINの関係」とか自ら自画自賛したりしているわけです。
通販が伸びているのもそうで、通販であればそれこそ店頭で見せる商品すら必要ないので 実際には1台の商品も持たずに商売が可能なわけです。
こういった体系の商売は 小さな商店では行う事が出来ず 小さな商店や問屋と言われる組織は徐々に衰退していったわけです。
 
今回の震災のように、大規模な災害が起きるといきなり問題が起きます。
必要な数を必要な時に必要な数量を用意するという事は、予想された必要な数量しか用意されていないという事なのです。
どの店舗にも在庫が少なく、問屋という中間に入って商品の売上数量のブレを吸収する仕組みを持つ機能が無くなってしまった今
あっという間に商品が不足したわけです。
JR西日本ですら モーターのブラシが不足して修理できない為に電車の台数を減らすという状況に入っていることからも
必要な数量をひつようなだけしか持っていないという事はこういった災害時には無駄が無さ過ぎて対応できないわけです。
今回の物不足はそういった意味で深刻なわけです。
必要以上の商品を持っていないので、需要が高まってもどうにもならないわけです。
ましてや生産拠点が被災して、生産が出来ないとなればどこにも商品が無いという状態となってしまったわけです。
一部家電製品には販売時に、初期不良が見つかった時には修理対応しかできないと 説明書きの付いたものもあらわれています。
これは 新しい商品が生産できていないという事なのです。
 
じゃあ、世界に目を向けてみるとどうでしょう?
じつは有名な看板方式も 世界中で見るとそれほどシビアに管理できていないのが実情です。
日本の部品納入メーカーのように、部品の納入が正確でなく 正確でない部分を加味した発注納品がなされてしまうために わりといい加減な部分を残すわけです。
考えてみてください、電車が時間通りにつかないのに 電車で運ぶ部品が時間通りに来るはずはないのです。
世界中で正確に電車が到着する国はそう多くはないのです。
最近では東京も怪しいわけですが・・・
 
確かに災害はあったのですが、物不足は必ずしも買占めだけで発生したわけでなく
社会構造として 効率を優先し 必要なものを必要な時にしか作らない体制が進んだ結果
こういった事態に対応できる柔軟さを失ってしまったのではないのでしょうか?
必要量が増えてそれに対する増産に関しては できるものは進んでいるわけですが
増産以前に生産すらできないものは もうどうにもならないわけで それが代わりの効かないものであればどうにもならないわけです。
物不足は、あまりにも最適化を求めすぎた社会の問題を露出させただけなのかもしれないとも・・・・・


written by HatenaSync