考える文章、考えない文章

考える文章と考えない文章がある。
Blogでよくあったのは(最近それすらなくなったが)、情報サイトのURLとタイトルだけを張り付けたようなサイト。
アフリエイトや広告目的などではそれが良かったのでしょうが、最近はそういったサイトは検索から外されるようになり 必ずしも有効な手段でないと解ったとたん一気に下火になってしまいました。
そういったところは考えない文章と言えるでしょう。
中には、センスがあって ドキッとするような記事をうまく拾い出してくれているサイトなどもあってそこに行くことも楽しみだったわけですが・・・・
じゃあ自分のところはどうだというと、じつは私の中ではこれは考えてない文章だと分類しているわけです。
 
私の日記は基本的ににっきそのものです。
あちこちを見回していると 気になる記事があったり、話が合ってそれを拾ってみて 自分の感想を書いているだけです。
勿論、記事をそのまま○うち津市という事が無いのは性格の問題で、その記事が隠していたり知っていてもわざと書かなかった事
想像していなかった使い方など無いかとか、そのあたりが気になって調べてみるからです。
調べてわからなかったり、想像力は豊かな方なので ごちゃごちゃ書いてみたりもするわけです。
想像力が豊かすぎて、WindowsPhone7.5の発表が今日なのに 来ないんじゃないかなんて書いてたりもするわけです。
 
じゃあ、考えた文章というのは私の中ではどこに分類するかというと
まず、「テーマが与えられて 作るもの」という必然があります。
日々、思い付きでやっている限りは実際考えたかどうかなんて怪しい物。
「このことについて」と聞かれれば それについて考えて言葉を紡ぐわけです。
普段の事というのは ヒトの意見なんかがこころの中に残っていたりするとそれをいつの間にか自分でも自分の意見と勘違いして吐き出していることが少なくないわけです。
じゃあ、テーマを持って考えるとなぜそれが減るのかというと もともとの基礎から考え直すので ヒトの意見というのは自分の中で考えたわけではないので その過程に穴がたくさんあって 引用しているうちにそのベースとなる部分に抜けがあることに気が付いてしまうからです。
そして、サイズに制約のある事。
例えば 400文字以内とかそういうやつです。
 
実はあまり褒められたことではないのですが 400文字といわれると私は大体10%ぐらいの誤差で文章を書くことが出来ます。
まあ、人に文章の穴埋めを頼まれたときなどには便利な機能ですが 穴埋めでもない限り400文字と言われれば400文字分の文章を作るのでは失格だと思っています。
例えば800文字分の文章を作って、それだけの内容を400文字にまとめるという事をする必要があると思っています。
ということであれば 器用にまとめてしまう私の文章は考えてないな・・・とおもうわけです。
日本の文化でいうと、俳句だったり単価だったりと 制約の極めて大きい中 景色や季節、心の流れまで盛り込んでしまう技術と言って良いのでしょうか それらには素晴らしいと思うわけです。
ただ、それを読み解くには それなりの供用が必要なので まずそれを鍛えねばと常々思っているわけです。
 
先日、懐中雑誌「ぱなし」という本を頂きました。

お手紙が付いていて

この右側の絵の方が差出人かな?なんて思っているわけですが(笑
もしかしたら左上の方が差出人かもしれません アップにするとこんな感じ

装丁は、非常にお金のかかった同人誌という装丁なわけですが(すいません 印刷を見るのは癖なんです)
これは商業誌です。
http://panassy.p1.bindsite.jp/
 
じゃあ、と力を入れて読むのか というとそういう本ではありません。
手帳サイズで、カバンのポケットに差し込んで 電車に乗った時にちょっと時間があるなとなった時にひっぱり出して読むような本です。
イタダイタハいい物の実はまだ全部読んでいないのです。
と、いうか一回で全部読めないのです。
リンク先を見てもらえばわかるとおり、写真を撮る人だったり文章を書かれる人だったり、イラストを描く人だったり 全部やる人だったりが見開き2ページを埋めています。
前の人と次の人とに何のつながりもありません。
その決められた範囲の中で 自分の表現すべき物をただ出しているだけの本なんです。
それを見てどうだというと 正直解らないものもありますが、解るものもあります。
解ると、その二ページなのですが とてもその中に納まるような内容ではないわけです。
例えば、それは他にもあって あれもそうだこれもそうだとか考えたり
ああ、そういうもんなんだと納得のゆくものがあると 頭の中でそういうえば自分の見たものは・・・・なんて思い浮かべたりするわけです。
まったく効率が悪いッたらありゃしないと その本の事を言って良いのかどうかも良くわからないわけです。
たった2ページを読んだ後の時間が必要だから その次にすぐに進めないわけです。
でも、2ページを読んだ後 駅に着いたとしても困らないわけです。
そこから先は頭の中だけで読んでいる時間なので、目の前に本を置いておく必要が無いわけです。
他の事があって、忘れるまでの間 ほんの世界に浸っているわけです。
 
読む力が という言い方は正しくありません。
写真だったり、イラストだったりとなると感じる力と言った方が良いのだろうか
それがあると思うならチャレンジしても良い雑誌かなと思います。
私などは多少敗北感にまみれながら、次に読むと解るかもしれないと・・・・
勿論、知った人の書いたもの等は ちょっと「ああ」なんて思ったりもするわけですがそんなこと書いたら怒られそうなので・・・

「才能が一つでもあれば 人生を楽しむのには十分」たあるわけですが ひとつも無さそうなので悩ましい限りです。


written by HatenaSync