インタラクティブTVを誤解してないか?

インタラクティブというのは基本的に双方向な通信形態を持つテレビの事である。
テレビ風の言い方をすれば視聴者参加型とでもいうのだろうか?
「視聴者参加型」と言う言い方をすると なんとなく懐かしい感じがしないだろうか?
私ぐらいの世代にはこの響きは懐かしく感じられるのは、生放送で劇場などから放送されるバラエティ番組などによく使われた言葉であるからです。
番組名を出すと「ヤング オーオー」だったり「8時だよ全員集合」だったりとするわけです。
視聴者が意見をいう事なんてできなかったじゃないか なんて言う人は今のインタラクティブに侵されていると思います。
例えば前者であれば、会場から抽選で選ばれた人たちが舞台に上がりますし、後者では 有名なせりふ「志村〜 後ろ後ろ!!」なんていうのはお約束ですが劇中の人には 客席の声が聞こえ無い設定になっているので聞こえないふりをして劇を演じるわけです。
そのうち、お客さんの声が 聞こえて振り向けど タイミングが悪くて 振り向いた時にはお化けだったりがいないというスタイルを作り上げるわけで 立派なインタラクティブなわけです。
その輪の中に入りたいと この番組の視聴の申し込みはいつも凄い倍率だったようです。
この辺りは 当時はやっていた深夜ラジオなどのスタイルから来ているものだと思います。
ラジオという意味では いまも変わらないやり取りがあって かなりインタラクティブなものだと思います。
 
じゃあ、インタラクティブはラジオを学ぼうとなるわけですが 
古くは 「はがき」からスタートします。
はがきで投稿された悩みや質問にパーソナリティが答えて、そこからお題が出て それに視聴者が答えるようになって その番組を聞いていない人たちには理解できない話の輪が出来て視聴者の中に一体感が生まれる訳です。
それから 直接電話でのやり取りが発生します。
パーソナリティが電話をして 直接視聴者と話をするわけです。
聞いているほうは次自分の番にならないかと 楽しみにしたものです。
私もじつは小学生のころに ラジオの番組で「横山ノック」さんがパーソナリティをしている早朝番組に時報役で登場させてもらったりして 恥ずかしい醜態をさらしたことがあります(笑
その当時頂いたものは 宝物のように扱ったものです。
いまは、番組そのものを公開ブースでやってみたり ビジュアルも大事な要素になっていたりするわけです。
Twitter等に公式を持っていて、そこに来たコメントを読み上げながら番組進行を進めたりします。
これをこのままテレビに持ち込めば・・・・なのですが
 
最近話題になるのが3Dテレビの扱いにくさ。
流石に、あれだけの販売を推し進めていた時期に、マスコミも広告収入が露骨に減るであろう 3Dテレビの批判記事も書きにくかったのでしょうが ここに至って落ち着きだすとぽろぽろとこぼれ出すのは いかにマスコミが作為的に記事を作るのかが良くわかる話です。
まず、メガネが邪魔だというはなしこれは良くわかる話で 目の悪い人は驚くほどいるのにメガネをかけてないのはコンタクトレンズにしているから。
そんな人が長時間メガネをすると思いますか?最初はうれしくてできますがそんなことはないわけです。
ながらに見ている人は とてもじゃないけど数時間もメガネをしたままなんて寝そべってビール見ながらメガネってありえないわけです。
ましてや実は寝そべると画面と顔の角度が90度になって 3Dの効果は変になってしまうわけです。
(左右で見える絵のずれを出しているので上下にずれる絵が出ても3Dだと頭は変換しないわけです)
でも、何よりもの問題は 大勢で見ることが出来ずにリビングでみんなが見るのに3Dが適さない事にあるのだと思います。
まさか40インチを超えるテレビを 一人で見る為だけに置く状況は考えにくいと思います。
皆で見る状況を考えてのこのサイズのテレビを置くわけです。それをみんなで見るのにひとりづつ 漫画喫茶のような両サイドについ立のたったブースで見るかのようなメガネをして一家団欒はないわけです。
もちろん、そこに言う一家団欒があったとしてという前提ですが・・・・・
 
話が剃れたように見えますがインタラクティブも多くの場合一家団欒に向かないのです。
例えばテレビを見ていて、意見を書き込もうとなった時にお父さんがおもむろにキーボードを出してきて打ち込む姿を想像できますか?
その意見は奥さんも子供もm同意したもので・・・なんて幻想にしか過ぎないわけです。
だとするとどうなるのでしょう?
テレビは表示し続けて、どうしてもそれに意見を書き込むのであれば 自分たちの持っているパーソナルデバイスで書き込むことになるでしょう。
そこでようやく 家族を気にしない自分の意見を書き込めるわけです。
自分の意見を書き込めなくても・・・・なんて言われそうですが それが楽しいのでしょうか?
少なくとも お父さん以外はおそらく一緒にリビングでテレビを見るよりは・・・になってしまう事でしょう。
クイズ番組で インタラクティブ予選とかで パーソナルデバイスで答えを入れてゆく なんてのがあったとしても家族別々にやって お父さんが一番だったと比べあう事は楽しいでしょうが、お父さんが詳しいのをいいことに全部の答えをたれ日に書き込まれても子供もお母さんも楽しくないわけです(お父さんが一番でない可能性も・・・・)
じゃあ日照り暮らしだったらどうだというなら PCやTablet等を使う方が速いわけです。
なにも大きなテレビをそれに使う必要もあまりないわけです。
その機能を付けて高価になるぐらいだったら モニターと割り切って入力は・・・の方が楽なのです。
日本語入力も中途半端な物しかついていないわけですから。
 
インタラクティブTVがテレビの未来のような表現は 片腹痛いと思っています。
それはテレビにチープなタブレット機能を持たせただけでOKという 安易なマーケティングに他ならないからです。
囲い込まれた仕組みで、そのうえでしか配信できない番組を提供するレンタルビデオ機として考えるならともかく 「インタラクティブ」なんて名前をつけるのは行きすぎだと。
いま、時代はパーソナルに向かっているのに ここで家族全体で一つという価値観を新しくて素晴らしい物のように飾り立てても 視聴者は気が付いてしまいます。
買うかもしれませんが 二台目もその機能を持ったものにしたいという気持ちは起きない事でしょう。
SmartPhone以下の機能しかないデバイスなのですから・・・・
じゃあインタラクティブTVとはなにか?
パーソナルなデバイスと結びついた 番組そのものとなるわけで、そこにテレビの機能を追加する部分はあまりないわけです。
あるとすれば 認証の部分をテレビを経由して送ると何らかのその番組を見ている最中で その番組を移しているテレビのそばにいる人だけの利点などをアピールするときには良いわけですが
そのあたりの機能は画面にQRコードを映せる程度の今ではどうかな・・・・って
written by HatenaSync