昨日、昔ながらのハムカツというものを頂いた

まあ、有名なチェーン店のものでした。
昔ながらというからには、私の子供のころの・・・なんて想像しましたが 昔と言っても一概にいえないわけです。
私より上の方となると それこそ戦時中かもしれませんし おおよそ私以降のゆとり世代も もう30代になっていますので 彼らも「むかし」と言えるぐらいの年齢になってきているわけですから
じゃあ、私の頃というと・・・・
おおよそ、今考えると笑い話にしかならないわけです。
今でもあると思うのですが 伊藤ハムのソーセージがあります。
特徴的な周囲を包む皮が食紅で色づけされていて 真っ赤になっているソーセージです。
実は軟骨なども入っているので 触感が面白いという点もあります。
もちろん、家でも肉屋さんでも あんなに薄くは切れないだろうという事で スライスしたものが販売されています。
ハムとソーセージの違いは 肉そのものがいったんひき肉にしてかためたものと 肉そのものを使って作ったかの違いが大きなところで・・・・というわけで 私の子供のころのはハムカツではなくソーセージカツだと知ったのは もう成人してからでした。
まあ、その薄いソーセージに厚い衣をつけて 作り上げたのがハムカツというものでした。
他にもコロッケや メンチカツなんてのもありましたが どちらかというとハムカツはお昼ご飯に出てきたりするおかずでした。
 
時代としては昭和の半ばで ちびまる子ちゃんじゃないですが クラス内には私のところを含めて本気で貧乏な家族もいました。
下町ですからお父さんとお母さんの喧嘩もすぐに手が出る過激なお土地柄で、喧嘩しているから家を追い出されたというかわいそうな子が家に遊びに来たりというのもよくありました。
どころか、学校の先生が見かねてその晩家に子供を泊めるというようなことも珍しくなくあったわけです。
火事で家が焼かれて・・・・なんてのも いざその倍にいるとなる笑えない話なのです。
クラスで服とか持ち寄って助けましょうなんて、いまならお金でも集めてというところでしょうが それほど裕福なお土地柄でもなかったことから・・・というよりお父さん方はうちはサラリーマンでしたが ほとんどが小さな工場の(って自分と奥さんが従業員って程度)社長で
夕方日が暮れると 近くの酒屋さんには コンビーフやツナ缶などあてに 立ち飲みに集まって そんなことでは宵越しのお金なんて持ってなくて
そして労働環境も劣悪で ほとんどがサンダルなんかの下請けだったので プレス機で型を抜いた靴底をボンドでくっつけるような工場がびっくりするほどたくさんあって、黙っていてもシンナーに酔いそうな匂いの家が沢山あって・・・子供の遊び道具は型を抜いた後の 樹脂の靴底なんかだったという程度。
家が焼かれて頼る先がないと 一週間ぐらい子供を学校の先生の家に預けていたことも。
喧嘩なんかだと、家に泊めた先生が親に説教をするという 今考えたら完全に逆のパターン(笑
今も話題になりますがモンスターチペアレンツなんて言いますが この当時はその年齢になっても先生は怖かったわけです。今みたいに先生に噛みつくなんて飛んでも考えられなかったわけです。
もちろん、先生のほうも親だからという意識はなく怒っていたわけです。
子供を育てない親が悪いと テレビでもどなっている評論家の方もいらっしゃいますが 考えてみてください 親になった若者たちは親になるのが初めてなのです。
親になるって教育を受けたわけではないので 手探りでやっているわけで で、あれば誰かがそれを導いてあげなければならないのに それをしないからこんなことになってしまっているだけで 必ずしも彼らを責められるわけではないのです。
昔はオーバーワークながら 先生がそこまでサポートしていたわけですから・・・・
学校の先生は休みもなにもあったようななかったような働かれていましたそういえば・・・・
 
まあ、そういうお土地柄なので ソーセージカツも安くてなんとなく名前が豪華なおかずとして存在しました。
私も大好きだったのですが 今考えると何がおいしかったのかという事には疑問があります。
所詮紙のように薄いソーセージが一枚っきりで 分厚いのは衣だけの食べ物です。
ボリュームも何も今ならあったもんじゃないですが よくよく考えるとソースをたっぷりかけて そのソーセージをというよりも衣をソースにつけたものをおかずにご飯を食べていたわけです。
お替りして2〜3杯のご飯を食べるわけですがおかずはそれっきり。
どう考えても量とつり合いがないので ソースの味しかしないほどソースをつけた衣ひとかけでご飯を一口と食べていたのでしょう。
もし今作って食べたら 脂っこくて食べられないでしょうが 子ども心には油に飢えていたのでしょう おいしくいただきました。
昨日食べたものは1cmぐらいの 本物かどうかはわかりませんがちゃんとしたハムでした。
これに薄い衣がついていて たっぷりのソースが小皿に付けられていたので これに付けて食べるという点でその当時の食べ方に近いものの かつそのものは別物でした。
ソーセージは軟骨などと一緒にラードなども混ぜられていて 油を食べたつまり肉を食べた実感を感じられるように作られていました。
ゆえに、衣をつけて油の中に入れて加熱すると中の油も解けて実は表面は凸凹に。それが衣に絡んで薄いカツなのに衣と一体化していました。
昨日のカツは薄い衣でも引っ張ったら切れてしまうという ある意味粗悪品。
おそらく、本物ハムが入手できるなら 生まれなかった料理だろうと思います。そのままフライパンで焼いたほうがおいしく仕上がったはずです。
それでも、ハムカツが全国的にあるという事は・・・;・みんな貧乏でソーセージをハムと騙されていたんでしょうね(笑
 
そういえば、梅干しも減塩とか言ってますが昔のものは 本当に口の中に入れるだけで酸っぱい顔を誰でもできたものですが、今食べるとカツオとかが入っていて
「この梅干しおいしい」とかって的外れな感想がよくテレビでも聞かれます。
梅酢はまあ梅の成分は入っていますが塩分の非常鵜に強い酢です。
それを生で飲むという感覚はもともと間違えていて それを凝縮した梅干しなんて そのまま食べるなんて慣れていればともかく普通にすることではありません。
それこそ、カルピスを現役で飲むようなもの。
所がそれ故にそれほど環境の悪いところでは微生物の繁殖は基本的に不可能なのです。
弁当箱の中にそれを入れるというのは それだけの匂いがすれば環境的に悪いと誰にでもわかるから よって木肉という側面もあるわけです。
人間は梅干しに対して非常に大きくて 水とかほかのものと一緒に食べるから大丈夫なんであって あれを生でいくつも食べれば それはそれで倒れてしまうわけです。
あれをちょっとづつご飯と食べて ご飯そのものの甘みを強調し、そしてご飯だけでおかずがなくて単調になるのを防いでくれているわけです。
それが 梅干しそのものがおいしくて ご飯いっぱいで梅干し数個食べるとか、食べる梅干しというのがあってぼりぼり食べているとすぐに一袋・・・なんて 
どうも、何か違う方向に進んでいることだけは分かるわけです。
 
実は、こんな偉そうなことを言って梅干しは食べられないわけですが・・・・
ゆえに、時代とともに変わっていく梅干しの姿が悲しく映るわけなのですが・・・
written by HatenaSync