勝者と敗者

物事を区分するときに 二つに分けるというのは非常に判りやすい。
最近の 流行り言葉であるが「勝ち組と負け組」なんて言葉があるが 「御社は勝ち組ですから」なんて話を聞くにつれ 違和感を感じるわけです。
おおよそ、どちらかに属するのは上の1割と下の1割ぐらいで その間の8割ぐらいは どちらかに分類しようと思えば出来なくはないが 無理してわけることの無い つまり昨年どおりとか 微増微減の世界なのです。
もっと突っ込んで言うと、景気が悪くなっているという状況においては全体的に「負け組」に分類される層が多いからこそ不景気なのであって だとすればどうしても二つに分けるとすると現在の市況では2〜3割の勝ち組と 7〜8割の負け組みと分類されてしまうことになります。
これがどのぐらいいい加減かというと、世界中の人類約40億人をわずか4つに分類して 先行きが見えるという 血液型で分類するぐらい凄い行為なのです。
ただ、血液型の場合オカルティックな要素が含まれるので 一概に間違えていると言えないところはあるのですが 「勝ち組負け組」の話であれば オカルティックな要素は無く数字で明確に区分されてしまうものを 二つに割るというのは むちゃくちゃ乱暴な行為なのです。
数字じゃない?? というなら指標は 例えば経営者の感情の上にあるということとなり それこそ分類そのものが無意味なのです。
これは言い方が判りにくいですよね
例えば ベンチャーな企業の場合ですが、新しい技術や商品を開発して 販路さえ広がれば爆発的に売れるはずだと考えている経営者に 「御社は・・・」と聞いてまさか負け組だというはずは無いのです。
で、数字的に見れば資産も少なく おおよそ製品開発のための赤字があるだけの不良企業な訳です。
もう、こういう会社が世の中にどれだけあると思いますか?
二つの分類なんて無意味なことがわかってもらえると思います。
 
二つに分けるということは、とにもかくにも判りやすいのです。
デジタル的に考えるなら 1と0なのですが それ故に今風の考えかただなんていうと コンピューターにかかわる人におそらく怒られてしまいます。
これはコンピューター内部の演算処理のやり方の話をしているだけに過ぎないのです。
「口に入る食べ物の多くが同じ元素の集合体で出来ているので 何を食べても一緒です」といっているに等しくて この場合料理人や栄養士を馬鹿にした話で、コンピュータの話であれば自ら石のあるプログラマーを馬鹿にする行為なのです。
例えば音楽を聴くのに 1と0だけで聞いていますか?
内部のデータはそうですが、いかに音質を下げずに圧縮する技術や再生する技術は日々進化研究されています。
MP3プレーヤだとかテレビだとか見ていただければ判るとおりなのです。
どのテレビにも新しい技術が投入されていると書いてありますしそれは他社に比べてこうよくなったという記載があるはずです。
これはもともと実際のものを見るのはアナログで見ているのをデジタルに置き換えているわけで、微分してゆくように 細かい部分を区分けしてデジタルデータに置き換えてゆくわけです。
「まるで自然の音」なんてキャッチコピーがー昔のオーディオ機器ではあったのですが、アナログそのものに聞こえるデジタルを追求しているわけで この技術を 二つに物を分けるだけで考えるような乱暴な話と同一視されれば起こるのも無理は無いのです。
 
じゃあ、なぜ二つに分けるかなのですが やはり判りやすいからなのです。
昔から、人は判りやすいものが好きです。
例えば、ドラマ等を見ていると「悪い人」って判りますよね。逆に「よい人」も
時代劇等は最も顕著で、正義の人は正義で、悪の人は悪なのです。
昔、流れの劇団が沢山あって あちこちを巡業するわけですが テレビ等が普及する前はかなり人気があったのですがテレビの普及とともに消えてゆきました。
最近、ちょっと人気が出てきているそうです。
ほかに例に出すなら 韓国ドラマの人気のあったもの。
劇団は時代劇が多いわけですが とにかくわかりやすい。
迫害される正義があって、その後 その人たちと正義の味方がであって 正義の鉄柱を与えるというわけです。
なぜこうなのか?
こういったものにあこがれるからです。
実際の世の中では、種をまいて 雑草を抜いて大事に育てた作物が台風なんかになぎ倒されるということがあったときにどう思いますか?
善でも悪でもなく自然の力 つまり自分の手の届かない力に蹂躙されてしまうわけです。
せめてお話の中だけでも 努力した人は報われて幸せになるという夢を見たいわけなのです。
 
ドラマや演劇はそれで良いのかも知れませんが この理論で政治や経済を語られるのは正直 この言葉を使うだけで胡散臭いと思えてしまうわけです。
モバイルの世界でも、 よく勝ち組負け組の表現をするわけですが どうもこのあたりも軸がはっきりしません。
メーカーを出すと生々しくなるので違う方向に行って
例えば BluetoothWifiというのでどうでしょう?
実はこの二つは一時期は対立関係にある時期がありました。
モデム等でも無線モデムとしては Bluetoothのほうが割きに商品化していましたし、テザリングなんていわなくても BT DUNなんて言い方でPCを携帯電話を通じてネットにつなぐことは昔なら簡単に出来たわけです。
今と違うのは、データ通信が高額だったので金銭的に使いにくかっただけなのです。
途中で、Bluetooth上にネットワークを載せる BT-PANなんてのが出てきて Wifiモデムのようにマルチコネクトで使うことも出来たりするようになったわけです。
ところが、現在Bluetoothの機能を使ってネットワークにつなぐ機器はおそらくコンシューマーな世界ではほとんどなくなってしまいました。
先ほどの分類から言えば 負け組でWifiは勝ち組というわけです。
ところが、もともとBluetoothはヘッドセット等を接続するのに使われることの多かったものなのですが とにかく無線を利用した接続の割には低消費電力で接続を維持できるわけです。
耳の中に納まるほどの小さな機器での接続においても三日間ぐらいの待ち受けに 実働時間数時間なんてのはざらにあるわけです。
時計に組み込まれたものでは鳴動等の機能を持たせても数日の接続を行うことができるものも・・・・
Wifiはどうでしょう?
1日持つものがようやくで始めたぐらいです。
それもスマートフォンサイズのもので2000mAなど強力なバッテリーを搭載してようやくなのです。
ほかにも、SmartPhone用のキーボードやマウスではBluetoothの独壇場です。
音楽も一昨日の記事ではないのですが 沢山出ています。
こちらの世界では 勝ち組に分類されているわけです。
実は 無線ネットワークでも 低消費電力で必要なときしかデータのやり取りがない 工場内のハンディターミナル等用に Bluetooth PANのルーター等も存在してこれは便利に使われているわけです。
 
確かに 世界を二つとか乱暴に割ってしまう区分はわかり易いのですが それが急激な時代の変化を引き起こすきっかけになったり
そう分類すれば視聴者がついてくると マスコミが乱用して先導したりするということで 使われたりもするわけです。
実際のところ、自分が生きている世界はどうですか?
会社内の人間関係などを見ても 正義は必ず勝ったりせず なぜこの人が・・・なんて人も少なからず居るはずです。
身の回りがそうなのに 既に社長ですら全体をつかめていないような大きな会社が ざっくり二つに分けて分類されたりはしないわけです。
もっとも判りやすいのが戦争です。
圧倒的火力のアメリカが 戦争に勝ったわけですが、この時点において いまも勝っているといえるでしょうか?
二つに分けて現実から目を背けるのは良いのでしょうが、背けていても現実派あるのです。
見ないから無くなるわけではないのです。
自らの視点を持って 自ら二つではない分類を作り出すようにならなければ 「勝者と敗者」という言葉を作って分類している扇動者が 「勝者」であり、それをみている人が「敗者」である現実は変わらないのですが・・・・







written by HatenaSync