斜め読みしている中で

西澤保彦」と言う作家の チョーモンインシリーズ(こんなくくりではなかったような気がしますが、自分の中の分類です)という作品がなかなかのお気に入りです。
要は、超能力者は世の中には沢山いて それを取り締まる機関が秘密裏にありそれを個人的な用途に悪用する人を取り締まるわけですが・・・・
他の作品と違うのは、やはりダーゥインの進化論ではありませんが よっぽどのことが無い限り突拍子も無く凄い能力の人が突然現れるわけではなく、一つの能力 それも例えば地球征服できるほどの能力ではなく、故意であったり故意でなかったりはしますが 殺人事件等が起こってしまうわけです。
例えば、物質を手を使わず動かす能力者(テレポーター)は出てきますが透視能力はありません。つまり、行った事のないところに物を動かすことも出来ませんし 逆に自分が明瞭に覚えているようなところ(例えば 家や職場のように日常過ごしているようなところ)以外から物を引き寄せることも出来ません。
また、引き寄せるのは原理的には判りませんが距離をゼロにするだけで運動エネルギーは加えられないので そのままほっておくと自由落下が始まります。つまり受け取らなくては成りません。
 
超能力とはいえそんな能力なのです。
例えばドラえもんの「どこでもドア」なんて便利ですが宇宙の果てまで行くことはできません。
4次元空間を通して行き先との空間を繋げるわけなのですが、何処にでもつなげれるわけではありません。ドアの中のコンピューターに登録された場所にしかいけないそうです。
実際には未開の地にいけるわけではないのです。
 
話が少しそれましたが、その制限のある能力を使っての犯罪です。
離れたところの物を動かす能力があれば、密室は簡単に作れるとか簡単に考えれば 実に多くの制限がある。
もちろん、事件が起きるためには 動機があり どうもその能力の使い方に超能力を持った本人さえ使いあぐねているような印象を受けます。
一般的な能力でも、足が速いとか 体が柔らかいとか 特定の状況になると非常に便利な能力だとしても 普段常用するひとは少なく(スポーツ選手なんかですね)一般の人はだからどうした程度で、超能力とはいえ同じような扱いに話の中では扱われています。
 
推理小説としては多少の矛盾は発生しますが、そうでなければ起こりえない犯罪がテーマなのですが、どちらかと言えばどの犯罪もそれほど計画的ではなく アクシデントで思いもよらない結果に(まあ、もちろんそうだから読み物として成立するのですが)なったことに対する 心理描写の推理を楽しむ作品です。
謎解きは終わるのですが、結果的にそれが正解だったかどうかを検証しないまま終わる話もありますので 謎解きで無い可能性もあります。
 
さっきの「どこでもドア」ではないですが、じゃあどうぞ と渡されたとして みんな行きたい所があったり便利になるということは想像つきますが、その運用については実は深く考えられていません。
例えば、日本からアメリカのカリフォルニア州にドアを開けたとして、人が出入りできるわけですから空気も出入りします。
どちらかにしかいない細菌や虫などがそこから交換される可能性があります。
また、赤道直下の国から南極などにドアを開いたら温度差で爆発的な風が流れ出る可能性があります。
また、こんなものがあればそれこそ覗きなんかの犯罪はし放題ですし プライバシーなんかあったもんじゃないわけです。
 
コンピューターの世界での「どこでもドア」はインターネットと呼ばれる媒体。
ある一定の条件をかなえる必要がありますが、多くの世界 ほぼ世界全土と言われるコンピューターネットワークで、どこの国のコンピューターを覗くことができます。
現に、アメリカのサイトを覗くことも イタリアのサイトを覗くことも出来ます。
では、「どこでもドア」と同じような問題がそこにあります。
わかりやすい例で言うと、ギャンブルやアダルトの世界。
アメリカの銀行に資金を置き、ギャンブルを行った場合。
日本の法律では お金を賭ける賭け事は禁止されています。しかし、賭け事のサイトがあるのもアメリカ、お金もアメリカの銀行であった場合 どこの国の法律が適用されるでしょう?
アダルトサイトもそうで、アメリカでは性器(もちろん、アメリカではそれに関する日本とは違う意味での規制があります)を含む写真は合法で、日本のコンピューターから個人が見た場合どうなる?と言うような問題です。
日本の法律も個人が楽しむ分には規制していないので 法的にも大丈夫だとは思うのですが・・・
なぜ法律的にこの部分が曖昧なのか?
もちろん、法律が出来たときには 想像もできない世界だったからでしょう。
 
何故か、常にハードが先に進歩します。そして、その運用は当然ながら後ろを追いかける形で続きます。
もちろん、ハードを作る前にその後の運用を考えて作るわけですからソフトが先と言えなくも無いでしょう。
しかし、レボリューションと呼ばれるものは 想定外(流行り言葉だから使ってみたかった)の事態から起きます。
インターネットがそうであったように、PDAと携帯電話から派生した(と思いたい)スマートフォンが予想外の進み方をして、そういう形になれば面白いのですが・・・・さすがに話が飛びすぎか?