子供のころって、待てました?

最近、子供のおもちゃを見ていて思うのですが 買うときは熱心で結構未開封のおもちゃなんかがあったりします。
もちろん、当たり外れのあるやつだったりして はずれだからそうなのかもしれません。
既に20年前(30年前って言ってるの誰!!) 結構貧乏な家庭に育った私は、貧乏であることなんか知らなかったので、それなりに幸せに暮らしていました。
唯一、今になってから考えると 年に数回しか買った覚えが無いので(実は子供だったから忘れているからかもしれませんが)それはそれで悲しかったのかもしれません。
 
でも、覚えているのは誕生日の思い出。
誕生日は9月6日で、日にちはともかく毎年日曜日や土曜日になるとは限りません。
当時、駄菓子を売っているお店ならともかく おもちゃを売っている店など百貨店しかない。(本当に 本当に 30年前か?)
土曜日が休みなんていうのは、ずっとずっと後の話で もちろんお父さんもお母さんも土曜日も仕事です。
日曜日になると 仕事で疲れて起きない両親の布団にもぐりこみようやく起きてくれるのは11時ごろで、家でお昼ご飯を食べて2時ごろにようやく百貨店に着きます。
20〜30分の両親が飽きて呼びに来るまでの間が至福の時で その間に サイズ=価格であった答辞のおもちゃのサイズを小さな手のひらと合わせて計りながら、変えそうなおもちゃを物色したものです。
もちろん、思い込みが中心なので 欲しいおもちゃはまず買えなくて それからグレードダウンと再選択がはじまります。
両親の予算と一致するころには、サイズは大体半分になっていました。
そして、それをレジに持ってゆくときの誇らしげな気分を覚えています。
 
今でこそ見ませんが地面に座り込んで、足をばたばたさせて泣き叫ぶ子供の横を おもちゃの箱を抱きかかえ 後ろに両親を従えた自分が歩くわけです。
その子供の目の前を通る瞬間に 子供の泣き声が止まり羨望の眼差しがこちらを向くのです。
そして、深々と頭を下げる店のお姉さん。
もちろん、レジなんか無く 正確には在ったのですがレジまでお客に足を運ばせることは無く 商品を受け取ったお姉さんは 恭しくどこかに持って行き両親がお金を払う。
暫くの時間が待ち遠しく、おつりと 綺麗にリボンをかけられたおもちゃが運ばれてきます。
儀式のように、目の前でゆっくり紙袋に入れてくれて自分で持ったときの充実感は忘れられません。
 
大体、その後に屋上近くの大食堂で食事をして帰ります。
いつもは羨望のお子様ランチもこの日は霞んで見えます。
一刻も速く家に帰りたいとはやる気持ちが周りを見えなくしています。
今になって考えれば これも誕生日プレゼントの一つで無理して連れて行ってくれていたのだと思うと両親に申し訳ないことをしていたのです。
まあ、子供にそんな事もわかるはずも無く 大人用より少し高いいすからだと届かないものの 地面に置いた紙袋の中の包み紙ごしにうっすら写るおもちゃの箱を首をあちこちに振って眺めていました。
 
家に帰るとおもちゃを開けたいものの、誕生日まで開けることの許されない家でした。
酷い時には、両親の仕事の都合で二週間も前から先に買いに行っているわけです。
二週間の間、目に見えるところにあり 紙袋から出すことを決して許されないおもちゃが居間に座っているのです。
紙袋越しに何度も触るので、実際に開けるころにはせっかく綺麗に飾られたリボンのバラはくちゃくちゃになって使い物にならず姉の機嫌を損ねていました。
そして、誕生日当日に開く包装紙は 引きちぎるように剥がし、その剥がした包装紙を嬉しそうに眺めながらひざの上で折りたたむ母親の視線すらも 羨ましく思う人の視線のように感じ得意になっていました。
蓋を開ける瞬間の、正確には開けて 両親や家族に中身を見せる瞬間の高揚感こそが最も大きな楽しみだったかもしれません。
 
大人になって、そういう楽しみを味わいました?
理由は沢山あります。
例えば、Pcで使い放題の回線、大きな液晶、全く新しいグラフィックアクセラレーター、高速な回線、比較的安い価格。
何故、W-Zero3の時にそういう気分にならなかったのでしょう?
一つは、メジャーを避けマイナーを好む難儀な性格
そして、ハードが最初にあり、それ以外はそれに従うと言う考え方。
新しい時代を感じさせる何か・・・・・
どれに引っかかったのか、EM・Oneは予約開始日に予約しました。
オンラインショップのアクセスに失敗し、仕事を早々に終え走って販売店に。
それから3週間。
ようやく来週にその日がやってきます。
会社に行くかばんの中から覗いているのはカタログで料金案内表で申込書。
それからかばんのポケットのジッパーは一度も閉められていません。
いつでも開いていて、家でも会社でもPCの机の足元にいます。
角度によって見える赤いカタログの表紙は、昔の紙袋から覗いたおもちゃの箱をふと思い出しました。
来週受け取ったときに昔より駄目な子になった自分はきっと途中の喫茶店開封し遊んでしまうような気がします。
充電されていない電池は何分持つでしょう。
PCを持っていけばUSBで接続して充電しながら動くかもしれない。
PCでの速度チェックも魅力的・・・・・・
迷っている間だけが楽しいのでしょうか? それとも・・・の答えが出るぐらいなら 逆に答えが出るようになったら 胸躍る気持ちは感じることは出来ないような気がします。