チューニングと一般性

車に乗っている頃に、こちょこちょと手を入れたりしたのですが今考えると結構馬鹿でいったい何をやってたんだろうと思うことしきりです。
基本的にまずエンジンありきで、私はそこから触り始めたのですが目に見えることから触り始めてぽんとつけるとパワーの上がるものなどをメインに手を出すのはおおよそ私だけではないのでしょう。
 
エンジンは上下運動を回転運動に変えて出力を得ています。
その時点で上死点と下死点で遅くなりというふうに回転にむらが発生します。
その為にフライホイールというおもりを用意して回転が滑らかになるように細工がされています。
また1気筒から2、4、6、12と増えてゆくにしたがってエンジンが滑らかになります。
ですが結局エンジンのピストンだけを見ればやはり出力に波があるのです。
それがある回転数になると振動を始めたりします。
これは多くは4つであり6個であるピストンの動きにずれがあったりすることによって起きます。
吸気する配管の長さや曲りによって空気の量が違ったり、噴射される燃料の混ざり具合やプラグの発火のばらつきや、ピストンの圧縮比にも影響を受けます。
他にもバルブや工作精度の誤差など考えられる事は山のようにあります。
頭の中で何の抵抗もないかのように軽やかに回るエンジンをイメージしてその一つ一つを潰していって理想のエンジンを作ってゆくというのがチューニングの原点だと思い出したのは結構最近のこと。
もちろん、これが正しいという意味ではなく 自分にとって正しいだけで人にとっては異なることでしょう。
 
ところが最近の傾向ではそうではないようで賢い電子制御がおおよそそのばらつきを解消してくれます。
たとえば6個のうちの一つが遅れれば燃料の量や、発火のタイミング等々コンピューターの制御により補正をかけます。
まるでそのバラつきが無いかのように人に感じさせてくれます。
そうすると、得られる結果は同じにもかかわらず Try&Errorを繰り返すこともなく理想に近い結果を得ることができます。
万人にとってこれが良いことであろうというのは、車の電子制御がここまで増えたことからも間違いのないことでしょう。
もちろん、それを否定するつもりもなくそのようなことなのですが・・・
 
ことチューニングを進めてゆくとそうでもありません。
たとえばターボなどで過給して空気の量を規定より何十パーセントも増やしたとするとその調整範囲を軽く超えとたんにばらつき始めます。
結果的にもう一度原点に戻って始めることになります。
そしてそうして一歩ずつ進んでゆくということになるのですが このあたりになるととても人には勧められない行為です。
 
PCやPDAでもそうで、アプリケーションの追加や改造などで対応することができたとしても、それを万人に進めるかというとそういうわけにはいかない。
やはり多くの人が求めるものは、最初からそのままで使えるもので それが証拠にトヨタのシェアが多いわけです。
もちろん、GTRが良い人もいますがカローラの販売台数に叶うはずもなく少数派となってしまうわけです。
そして、もしあるのであれば万人にお勧めできるのはそういった機械でしょう。
たとえ本体が正しい状態でなかったとしても補正され正しく見えるものでも得られる結果に大して変りがないからです。
趣味性としては大きな疑問のあるところですが・・・・
 
ところが、そこから入った人にとって車とはこういうものだというイメージしかもっていない。
つまり、いくつもの理想を求めたチャレンジの繰り返しから作られたものに地被くような制御をおこなっているだけで、其処までの軌跡は必ずあるのです。
軌跡は人の努力で作られたもので、同じ読みでも奇跡で作られたものではないのです。
現在のBlogでは多くのTry&Errorを試した方々の軌跡となるものが毎日のように見受けられます。
理想の形に近づいてゆけば その変化幅は小さくなるものの理想の形に限りなく近づこうとしています。
そうして出来上がったスタイルを ある日標準搭載した機械が登場したときに その軌跡を見た者にとっては 大きな事件でも、それでようやく普通の人が使えるようになり使い始めた普通に人にとっては それはその機械を使うときのルールの一つでしかないのです。
 
それでも飽くなきチャレンジで理想を無償の愛で突き進む人の姿を見ているのはうれしいものですし、ぜひ応援もしたいと思います。
ある到達点が、当たり前になったとしても それに腐らずもう一歩高みを目指して欲しいと思いながら 更新されるBlogが減ってきたような感が否めない今日この頃です。