落書き権

Google AR Core対応端末を持っているので 「Just a Line」というアプリケーションを試した。
これは GoogleのARコア用のでもアプリケーションのようなものだ。
同じころに、GoogleからもMicrosoftからも「WhiteBoard」というアプリケーションがリリースされた。
こちらは二次元だが、言葉通りホワイトボードのアプリで 画面を拡大縮小しながら文字を書いたり消したりできるアプリだ。
普通のペイントアプリと違うところは それを共有できるという点です。
会議とかで、ホワイトボードを用意してみんなで見て書き込むように 各自の端末にホワイトボードを映し出し 好き勝手に書き込むようなアプリだ。
GoogleMicrosoftクラウドSuiteとなるアプリの一つの機能として提供してビジネスの面で生かしてゆこうとしている。
同じように 「Just a Line」もそののち個のアプリに近づいていくのかな?なんて思ったわけなのですが。
 
そもそも、この「Just a Line」というアプリは何なのか?
簡単に言うと、SmartPhone越しに見た景色にそのまま絵を描くアプリです。
まるで空中にかけるマジックがあるかのように 空中に線を引いてゆくのです。
端末を動かせば 360度の空間があってそこにそのまま線を引いてゆきます。
そして、書かれた線は消えないので SmartPhone越しに見ると そのまま書かれた線が残っているのです。
書かれた線は 例は悪いですが魔法少女が変身するときに バトンを振るとその先から光る線が描かれるようなイメージで それは3次元的に展開するので 魔法少女を中心に回るようにカメラが動くのと同様 見る方向を変えると立体的に書かれた線が見えているのです。
横に長い線は 前後もしくは左右に動きながら引いてゆくとそのままつながった線として描かれてゆくので 例えば空き地に行って自分の理想の家の絵をかいて楽しむとかもできるわけです。
勿論SmartPhone越しに見ればで現実世界には何もないわけですが・・・・
 
このアプリでも 共有機能があって複数の方と書いたものを共有することができる。
前の例であれば、家の間取りを書いていて 書き加えたりを他の人がすることもできるわけです。そして、それらはみんなが見るものとなるわけです。
前述のWhiteBoardが立体になったイメージです。
こうなると 空間全てがキャンパスなので 例えば会議テーブルの真ん中に商品を置いて そこに何かを書き加えたりとかしての打ち合わせもできるわけです。
非常に面白いですし いったん外に出れば結構アートなものにも使えるわけです。
よく、シャッターなどにカラフルな絵をかいてあるのがありますが 共有されたSmartPhone経由で見ると 空中にいろいろな絵が描いてあってまるで別の町のように見えるのかもしれません。
それらもGoogle Mapなんかから見れたりすると 街そのものが美術館のようになるかもしれません。
 
で、なのですが
公共的にもそういったものが利用されることになるかもしれません。
例えば 空間に矢印で美術館とか 警察署とか書いておくと 道に迷ったときに見渡せば探せるようになるでしょう。
同じように、コンビニだとかお店がGoogle Mapのアイコン表示したときのように現実世界に浮かび上がるわけです。
で、なのですが 空間は各自が作って共有をかけることができると思うのですが やっぱり人に見てもらいたいとかありますよね!!
できるだけ参加メンバーの多いAR空間に書きたいという欲求が アートでもそうですし、お店の広告でもそうでしょう。
「ワンコインランチやってます」なんで書いてあると お客が来るかもしれません。
参加人数が多いとなると やはり公共のAR空間が もしくはGoogleAPPLEの提供する空間に。
となると、そこに書き込む権利が発生するわけです。
 
わかりやすく名前を付けて「落書き権」と定義しましょう。
例えばGoogleが提供するAR空間なら Google Mapのストリートビューでもレイヤーとしてみることができるのでしょう。
その空間は、1立方メートル当たり~~円という風に決められるでしょう。
勿論、ランドマークそばなんかは見てもらえる人がたくさんいるので 高額になるでしょう。
ただ、ランドマークそのものはGoogleの持ちモノではありません。
ランドマークそばは人気があるのはランドマークのおかげです。
でも、高く設定して儲かるのはGoogleでランドマークには広告料は支払われません。
これってどうでしょう?
「落書き権」の広告収入はランドマークにも支払われるべきだとすると 街並みそのものが世界遺産というようなところだとすると 受取人がいなくなってしまいますよね。
 
世界が変わろうとすると 今までの価値観で測ることができなくなってゆきます。
Amazonなんかがそうで 日本国内での税金支払いが少ないものの対象にできる制度がないためにそれが許されています。
今までは 価値として認められてこなかった空間を それもGoogleという自分たちのサーバーの中だけのデータに関しては良かったのですが 現実世界と混ざってくると またややこしいことになってくるわけです。

景色に隠れたウイルス

最近、Mi Mix2sに携帯を変えたのだが そのカメラはかなり多機能になっている。
今はやりのAIという言葉を使っているが かなりのシーンの文政期を行い最適な撮影をしてくれる機能だ。
やりすぎともいえる、人の顔を撮影するときのビューティーモードも 究極と言っていいほどの強力なモードも入っているぐらいだ。
殆どの状況において 最適な撮影をとなっているので 正直私なんかよりはずっといい写真を設定してくれるのだ。
素晴らしいとしか言えなくてびっくりしている。が、まもなくバージョンアップでもっとすごくなるようなのだが・・・・
で、そのカメラの設定の中に「QRコードをスキャン」というものがある。
 
AIカメラというのは 写真の中の物体をある程度認識してその状況を確認しているので その物体がQRコードだとするなら読み取ろうという機能を生かすかどうかの設定なのだと思う。
故に、QRコードを読んだらクーポンがというようなときには非常に重宝するのだ。
カメラの中にQRコードをとらえると 「QRコードの詳細」というタブが現れて選択するとURLに飛ぶ画面だったり テキストだったりが表示される画面になる。
専用のアプリを立ち上げなくて済むのは非常に助かる。
これは、どちらかという試験的な機能のようで インターフェースなどが洗練されていない点が残念だ。
そのうち、URLからオブジェクトを表示して 着せ替えができるとか面白い使い方ができたりとするなら面白いななんて思ったわけです。
 
ところが、この機能のON/OFFが設定なる時点で気になったのですが 切らなければいけないパターンがあるのかと。
勿論、撮影中にタブが現れたら鬱陶しいなんてのもあるでしょうが いまは手順がたくさんありますが QRコード読み出しそのものがリスクだと考えているのではないだろうか?
確かにURLや下手をすればプログラムを仕込むことだってできるわけですから。
 
「立体隠し絵」ってご存知でしょうか?
立体の中に絵が隠れているのですが 見る方向が決まっていてそこから見ると違う形に見えるとかいうやつです。
中には影絵になっていて、光を当てる角度が決まっていて そこから光が当たると影が浮かび上がってくるとかがあるわけです。
明らかに動物の立体の影が 人間の姿だったりと見た目は面白いのですが これが悪用されたとすると話がややこしいのです。
すごく景色が良くて 話題のインスタスポットとかにそういうものが仕込まれていたとするとどうでしょう?
撮影する角度によって QRコードにウイルスが仕込んであったり、夜になって街灯がつくとウイルスの影ができて・・・・
当然見た感じはわからないわけですからたちが悪いのです。
そんなこと言っても、実行しなければと メールのウイルスのようなことを言っていると足をすくわれるかもしれません。
それだけでは済まないかもしれないのです。
 
AIが人の顔を認識しているのと同様 オブジェクトをAIは認識しているのです。
認識するという事は何らかの形で取り込んでいるのです。
ものによってはネットにつないで 認識できないものを確認に行ったりすることもあるでしょう。
そうした場合、どこかに脆弱性が発見されたらそれだけで どこにでもあるもの 例えばポストが写真のどこかに入るだけで乗っ取られたりという事もあるかもしれません。
綺麗な景色の中には 悪意が潜んでいるかもと心配しながら見なければいけないようになったら ちょっと悲しいですよね。

SmartPhoneのバッテリーがもっと長く使えてほしい

SmartPhoneの新機種が出た時などのアンケートに必ず出てくる意見なのですが バッテリーの問題。
実際には3倍近いバッテリーを搭載し 三倍の稼働時間を誇るものもあるが単純にバッテリーを3倍にしたので バッテリーの重量も三倍になり重さが3~4割増しの上に厚みもとなると一般的ではないわけです。
長いこと使っていると腕がつかれるとなるわけです。
 
そして、SmartPhoneのアップデートのアンケートでも書かれているのが「使わない機能をつけすぎでバッテリーが持たなくなっている」などというのは メーカーの人にとっては耳の痛い話で、販売の実績を上げるためには1つでも2つでも機能を他社の機種よりつけたいわけで それを言われるとつらいのです。
なぜなら、機能をつけても使わない限りバッテリーは減らないのです。
そんなことよりも常駐して常時通信をするようなアプリを止めてくれよとユーザーには言いたいところでしょう。
多くの場合は 新しい機能はバッテリーの消費には関係なく 逆にいろいろなアプリの新機能がせっかく効率化してバッテリーの持ちがよくなった端末のバッテリーを消費していくのです。
勿論、機能ゆえのバッテリーの消費もあるかもしれないので Googleなどは自社ブランドの端末を用意しているわけです。
ユーザーの意見が聞き入れられないとみんなは感じているでしょうが本当にバッテリーの持ち時間を長くしたいと切実に思っているのは果たしてユーザーだけでしょうか?
 
「OK Google」と呼ぶとAIスピーカーや起動中のSmartPhoneが反応してくれます。
それはずっと音声を受け続けているわけで 受けた音声を処理し続けているのです。
音声入力を見るとわかるのですが 入力したことはを漢字に変換した文字列が検索ウインドウに出ているのを見ることができると思います。つまりある程度意味を理解しているわけです。
そして、理解しているという事はそのデータを集めて集計することも可能なのです。
以前にあったのですが、AIスピーカーが 個人宅の情報を送信していたというあれです。
信用のもとに置いていたAIスピーカーが盗聴器になっているとすると 誰も置かないわけです。
ですが、限定的な情報の収集であれば問題はないのです。
例えばWakeupキーワード後にしゃべった言葉や検索結果などは当然情報として収集しているわけです。
会話そのものでなければ 単語単位に分類して 名詞で尚且つ登場回数の多い言葉を上位50こGoogleに送るという事に関しては プライバシーを侵害するとは思われることはないでしょう。
 
SmartPhoneも画面が起動している間は音声入力を受け付ける設定があります。
実際にしゃべりかけると 検索など作業をしてくれます。
勿論、画面が消えているスリープの間は聞いていないのはバッテリーの問題が大きな点。
もし、バッテリーに問題が無ければ 常時音声の分析を続けることもできるわけです。
体につけていることが多いとして 一日中です。
その時に得たデータは 無駄なものと思われるほどの莫大なデータを分析し 人の行動線を理解してゆくとすれば データの収集の機会がぐっと増えるわけです。
実はバッテリーの持続時間を最も伸ばしてほしいのは GoogleAmazonなのかもしれません。
 
AIスピーカーの話で Wakeupキーワードと呼ばれる「OK Google」なのですが これがなくなればいいのにという意見が意外にも多く聞かれています。
これが無いという事は しゃべっていることすべてを聞き理解して必要なアクションを起こすべきキーワードに向かって答えを返すという作業が必要です。
「おい」と呼ばれても誰を呼んでいるかわからない 視力を持たないAIスピーカーには難しい話でしょう。
だとすると、ずーっと話を聞いてデータを集めることは少なからず継続的に行われる仕様となるわけです。
 
無制限にすべてのデータを抜き取った場合 明らかに盗聴なのですが、音声を聞きそのデータ分析を正確にするためにどうとか高とかでデータを送信するような約款が書かれているので 集めたキーワードを定期的に集めることに問題はあまりないのです。
確かにデータがたまればよく使うキーワードの認識率を高く保つことができるようになりますので。
作る方は余計な機能ばかりつけて・・・・というのはある意味当たっているかもしれませんがある意味的外れでもあるわけです。
バッテリーの稼働時間を長くすることを望んでいるのはユーザーだけでないとしたら

交流と直流

「電球の発明者は?」と問いかけると 「エジソン」と答えが返ってくるわけですが そもそも電球というか抵抗の多い電線に電気を流せば光ることなどわかっていたのです。
明るくするために電気をたくさん流すと 発熱量が多すぎて電線が解けてしまうことが問題だったのです。
明るく実用的な電気照明となると エジソンの名前が出てくるわけです。
そして、もう一つ エジソンは電気を発電し送る発電所と送電線というものを設置して電気を使えるものにしたからこそ 発明者としての名前が残っているのです。
 
発電所から電気を各家庭に送るには発電所の近くや山間部では背の高い鉄塔があって 各家庭の近くには電柱と呼ばれるもしくは地下配管で電気が届けられます。
そして、電柱の上には丸い筒のような機械があってここで電気を6600Vから200V、100Vに減圧されて各家庭に送られるわけです。
電柱と鉄塔の違いは 電圧の違いで電圧が高いほどに危ないので高いところに電線を置く必要があるので鉄塔が使われ 各家庭そばには既に減圧済みなので低い電柱で送られます。
そして、ここに流れる電気は交流(AC)と呼ばれるものです。
 
交流は0点を基準として +100Vとー100Vの間をサインカーブを描いて上下する電気で乾電池から出てくる直流(DC)と呼ばれる常時1.5Vの電気が出っぱなしのものとは違います。
波を持った電気は遠くへ届きやすく、その波が大きければ大きいほどロスが少なく遠くへ届けられるので 発電所を出た電気は高い電圧の交流で送られて変電所で降圧してそこから各家庭の近くの電柱へ、そしてまた降圧されて各家庭へとなるわけです。
 
最近は実は直流に注目が集まっています。
家を見まわして 例えば照明はLEDのものは直流で点灯しますし インバーター付きの蛍光灯も直流返還した後インバーターで昇圧したりするものもあるのでその例に。
携帯電話もそうですし、テレビもビデオも電子製品の殆どは直流で動いています。
扇風機なども最近ではDCモーターモデルとかが少し高い値段出てきていています。
DCモーターモデルは、なだらかな回転数の調整と低い消費電力に特徴があります。
掃除機もDysonのDCモーターと言っているぐらいですから直流モーターなのでしょう。
思った以上に交流でないとだめなものが少ないことに気が付くでしょう。
勿論、コンセントには交流が来ていて そこから直流に変換して使っているという事なのですが・・・・
 
さっき出したので例でとらえると Dysonの掃除機なのですがポータブルのタイプの宣伝んで新開発のDCモーターで 21.6Vのバッテリーが搭載されていて「コード付き掃除機よりも確実にゴミを吸取る」そうです。
で、なのですが バッテリーの電圧が21.6Vで家庭のコンセントが100Vという事なのですが AC,DCという差だけでなく電圧が大きく違います。
AC100Vで電線二本をくっつければショートして火花が出て最悪火事の危険性があるので 電気工事士の資格を持っていないと触れないわけですが Dysonのばあい21.6Vなのでショートしてもおそらく火事が出る心配はほとんどないので普通の人でも触ることができるわけです。外して電極むき出しの端子の付いたバッテリーを付け替えたりできますよね。
じゃあほとんどが直流の機器を使うのですが伝送効率の為に交流を使っていますというのはなんか違和感を感じませんか?
もう一つ、何がつながるかわからないコンセントの口をたくさん開けておくってのも実は無駄な電気の消費につながるのです。
 
電気の明かりになる前の昔の明かりというのは オイル式のランプが多くて今と違って昼間つけることはまずありません。
理由は単純で、オイルを作るのにかかる手間と移送費がそのままコストとして跳ね返り安いものではなかったからです。
都会以外では、薪をたいた暖炉の明かりでとか そもそも暗くなったら活動しないという事もあったわけです。
省エネという意味ではかなり意識が高かったわけです。
ランプも周りの明るさやすることに合わせて芯の出し量を調整すると明るさを変えることができるわけです。
石油ストーブの調整で知っている人もいるのでしょうが、それすら見たことのない世代がすでにたくさんいるので念のため。
ところが、日本の家屋の殆どを占める「蛍光灯」に関して言うなら明るさを調整する機能がほとんどありません。
最近のインバーター式でようやく調整可能になりましたが それより前は3灯式なら2灯にするとか1灯にするとかつける本数で調整していたのです。
故に、日本人は最も暗い時を考え明るくし、その状態で使い続けることに慣れているわけです。
事務所の電気を明るくしたり暗くしたりってあまりイメージないだろううと思います。
 
最近の大手電機機器会社の次の一手として ビルなどの直流電源化の提案が出てきています。
照明器具などを直流で使うことにより交流で使うことに比べぐっと消費電力を減らすことができるからです。
そして、今直前でちょっと書いた明るさの調整です。
昼間の事務所は周りからの明かりがあるので 照明を暗くしても十分な明るさが確保sれていますし 必要以上の場所に照明をつけない細かい調整ができることで大幅な省エネが確保できるわけです。
例えば、営業職の机の周りなど昼間営業に行っていてほとんど人がいないにもかかわらず煌々と明かりがついたりしているわけです。
細かく制御して 人のいないところの照明の明るさを下げるなどの対応ができるわけです。
そのために、細かく操作できる明かりと 人の手では難しいのでそれを制御するAIなどが新しい技術として提供することで市場を狙っているわけです。
 
直流で最初に各地に電気を給電していたエジソンは、後発の交流による電気の給電に市場を奪われることとなり 世の中は交流での電源供給が当たり前になりました。
効率のことを考えて、100V以上の高圧を電源として使う国も少なからずあります。
ですが、ここにきて一歩止まって また、直流が世の主流になってきています。
そして、宅内の機器全てが直流になれば大きな交流直流の変換機が家の入口にあって そこから家の中は全て直流でも困らなくなる時代が近づいているかもしれないのです。
もう10年もすれば 壁のコンセントはUSB端子で ここかに電気機器をつないで動かす時代が来るかも。
そうすれば、電気の配線が原因の火事の可能性がぐっと減るかもしれません。

そこはかっこよくないと・・・・

先日、物流業者さんと話をするチャンスがあって 物流機器のカタログをもらったりしました。
プロ用の機器というのは面白くもあるわけですが、最近はネットで見れてしまうのでちょっと新鮮さが落ちた気がしています。
10年も前なら工事の人が着る作業着のカタログを見てこんな服が売ってるんだと思ったわけですが、最近はネットでも見れますし ワークマンなどのお店で逆に工事屋さん向けなのと疑問を持つようなおしゃれなのも出てきているわけです。
色も、作業用別とと言えば濃い青か 国防色とでもいうような濃い緑だけでしたが 最近では7色展開どころか ラメが入っていたりと普段でも着ないよねというものも。
 
話は戻るが、物流機器と言えばどう物を置くかなので異形のものや定型のものを置くための棚はたくさんの種類がある。
ほとんどは大型のものでフォークリフトでの上げ下ろしを対象としたものなのだが、中には人が荷物を集める棚もある。
色々と工夫されていて 後ろからストックを補充してなくなれば箱ごと取ると後ろから前に滑りだしてくるなど よく考えられている。ストックを入れるのもその後ろに通路が必要なので出来るだけ浅く作れらるように斜めに入るような工夫がしてあったりもした。
その中で、違和感があったのが木製の棚があったこと。
枠だけでは強度が弱いのか、背面に板が貼ってあったりもする。
という事は照明も奥に届かないし 補充も前からと効率は良くない。
他には 値段は高いし 軽いのかと思えば軽くもなく、柱が太いので容積効果も低いものだった。
何のためだと思いますか?
私は置くものが 傷つきやすいもので金属がそぐわないとかそういうことを考えたのですが・・・・
 
答えはそのカタログを持ってきた人に聞いたので正しいかどうかの検証をしていないのですが 「かっこいいから」という理由のようです。
正直、かっこいいというのが選択の理由になるとは思わなかった。
仕事でものを選択するときは 大きな二大要素として機能と価格がある。
看板や印刷物でもない限りデザインが優先されることなどほとんどなかったわけです。
では、なぜデザインが優先されたのかという点でもう一度驚くことになるのですが この理由は求人が良くなるからというものだったのです。
 
物流現場で最も重視するのは時間で、商品を取ってくるのに何メートルの移動をしたか等を最も重要なパラメーターとします。
その中で、「かっこいい」が出てくると思いませんでしたし それが求人に繋がる理由がわからないわけです。
ただ、このタイプの棚は手動でものを集める場所で使われるものだという事がポイントだったのです。
 
物流のコスト低減は前述通り動く距離を縮めてというのもありますが それ以前にその人たちの給料が安ければいいというのがあります。
給料が安い人が効率よく働けばもっとも理想的なので 手作業を中心とするところは アルバイトの学生だったり、主婦のパートタイマーだったり比較的コストが安い人材が登用されることが多かったわけです。
この話の場合の大半は主婦層などのようなのです。
主婦層求人があって働く所が「かっこよいところがいい」という理由がそこにあるわけです。
 
じゃあかっこいいことが働く最大の要因になるというのも変な話だと。
自分がアルバイトで働くならと考えると、職種、給与、休み などを選択の最初に入れてそのあとに職場がかっこいいとかそういう話になってゆくわけです。
棚を買うお金があれば給料を上げてくれたらいいのになんて 思ったりもするわけです。
少なくとも私ならそう思うのですが まあ自分の会社でもそういうことはあるわけです。
でも、順位として 後半に来るものが優先されるというのには違和感があるわけです。
 
この先は想像なので本当かどうかわかりませんが 給与を上げにくいという条件があるのでは?なんて思うわけです。
それに関してはいくつかの思い当たる節があります。
一つは既存の社員とのバランス問題です。
新しい人の給料を上げるという事は、今までいた人の給料がそれ以下にすることはできません。ゆえに影響範囲が大きくなってしまうことから給料を上げにくいというところがあるわけです。
近くの同業他社さんとのバランス問題も大切ですし・・・・
取引先のパートさんが、給料を見て大量に流れ込んだりしたら不条理だと思ってもクレームが来たりするわけです。
少し余談になりますが、海外資本の日本法人の物流センターなどは周りのことなど考えずに 時間当たり200円ぐらい高い給料で根こそぎ人を持っていったりすることもあるのでだんだん日本人的な空気を読む風習は行き詰ってきてはいるのですが。
 
もう一つなのですが これはちょっと政治的な問題かもしれません。
パートの主婦の給料を上げても休まれるだけという企業が抱える問題があるわけです。
いわゆる、配偶者控除の問題です。
働きすぎると税金で持っていかれるので それぐらいなら時間を制限するというもの。
故に、主婦のパートは最低賃金ぐらいに抑えられているのです。
給料を上げると金額の上限が決まっているので 休む時間が増えて生産効率が上げた分下がるというダブルパンチを受けるわけです。
じゃあ、給料を上げずに求人できる方法をとなるわけです。
なんか、子供だましな話で 求人される側ももう少しよく考えれば結局給料の高いところのほうがお得なのですが、そういう意味で安い給料で時間を絞ってしか働かないという働き方で必要以上の職業意識を持てというのも無理な話で、企業側からも都合の良い労働者として使われているというわけです。
 
インフレ目標を立てて消費を増やさないとだめなのですが そもそもの収入が増えないと使えないわけです。
企業は潤沢に資金を持っている分消費が増えて微増しているのですが 個人は少し渋めです。それはそうでしょうとなるわけです。
消費者というか雇われている側も 安い賃金で楽に働いてが良い人が多いと 最低賃金なんて絵に描いた餅になってしまいます。
問題は意識なんでしょうけど、仕事が増えるのでえらくなりたくないとかいう人が多いようですから難しいんでしょうね。

人型ロボット

人類の進化というのを物差しでみると非常に長い間に少しづつ変わってきた。
それに対して、人が知恵で変えたものは 進化に比べればすごい速さで変化していったのだ。
例えば、空を飛んだり水の中を泳いだりと 一つの尺度としてスピードというだけのことなら空の上も水の中(上かな?)でも人の作った機械がどの生物をも上回るのです。
困ったことに 攻撃力だけを言うならその上回り方が半端ないのが困ったもので地球を丸ごと割ってしまうほどになっているわけです。
何に対してという物差しがはっきりしないところはあるが 人は地球上の進化という部分では究極に近いものになっている。
 
ロボットは単用途なものから なんにでも使えそうなものまでいろいろ登場していて なかでも人型のロボットというのは人の夢の一つとして存在します。
人型であるというのが必要のない場合もあります。
機能が絞られている場合には 例えば工場のラインにあるロボットならその必要がありません。
しかし、人と同じことができる事を望むなら人型であることに合理性はある。
道具などが人に合わせて作ってあるので それをそのまま使うことができる。
勿論、作業を教えるという意味でも同じであれば教えやすいのだ。
細かい作業をしているときに ものを支えるのにもう一本腕が欲しいと思うことはあるが その腕をどう使うという事に関しては持っていない人には想像ができない点もあるわけです。
勿論、物を抑えるという用途にもう一本使えば便利だというところまではわかるのだが その先どの腕をどう使うのが効率的だという事に関してはあくまでも想像でその作業ができるわけではないのだ。
それこそ、人の考えを読み取って動くロボットアームが出てくれば そしてそれに慣れてくればそういった事も出てくるかもしれない。
 
人が三本腕を持つという事だけでいうと ロボットというよりも人が操縦するものとして三本腕の人型マシンが出てきたとして それを意思の力だけで操縦できれば 慣れ親しんで三本腕を効率的に使った仕事ができたとしよう。
その先なのだが 人の操縦が必要かというのが問題になってきます。
人型ロボットの完成は恐らく人の頭脳の進歩がロボットに取って代わられる契機となるでしょう。
今までは運動機能に関することに対してのデータの収集は非常に限定的だったものが 人の動きのすべてをデータ化できるようになるからです。
単純に1日24時間のおおよそ8時間だけを経験値として蓄積してゆく人に対して 1日24時間全部を使えるロボットではなく ×台数分の経験を集約することができるロボットは1台でも3倍 二台だと6倍の速度で学習してゆくのです。
頭の中で動かすシュミレーションも含めると 数百倍、数千倍の速度で。
そうなったときに「人型」が最適解かという事に関しての疑問が生まれることでしょう。
平らな道を走るなら 二本の足より車輪のほうが適しているのは当たり前であるのと同じように 空を飛ぶことも水中に入ることも想定されていないで進歩した現在の人型は 今の時代の最適解でない可能性があるのです。
それが証拠に人の形は大きくは数万年変えていないのですから その間の進歩に体の進化がついて行ってないのです。
だが、ロボットなら現在の形である必要がないと判断した場合 自分を作り替えることができるようになるのです。
 
非常に遅い生物としての進化に対して 頭脳による進歩は非常に速い速度だった。
それに進化が追いつくと 人の存在が旧型のものとなり 現行型はロボットにしかないとそれを見るようになったら 非常に複雑な気分になるんだろうなと。
仕事を取られたというレベルではなく 生物として旧型なんだと思い知らされるとすれば・・・

必要な段階に至った時、師は目の前に現れる

インドの諺で、天に臨まれたものは 必要に応じて師が現れるという見方と、正しく努力をすれば師が現れきっと大成するだろうというのと二つの見方をする節があるが 必要な段階になれば師は現れるという意味で今回は使いたいと思っている。
 
何事も、努力が必要だと人には教えるわけで 例えば車の免許を取るのに F1ドライバーを連れてくるのはいかに世界の車のレースの頂点を極めた人たちとは言え 初めて車に乗る人に教えるにはレベルが違いすぎるのである。
教習所から始まって レースに出るならカートやストックカー等のステップを得て上がってゆく必要があるのだ。
そして、ちゃんと努力をして実力をつければ 次の段階の教えを乞う必要が出てくるのだ。
深い教えだと思うのだが・・・
 
コンピューターの世界では、現在大きな企業として考えられているのは GoogleやYahooなどの検索エンジンを主としたもので、他には SNSで多くのユーザーを持つFacebookTwitter等、OSを作るMicrosoftApple、そしてハードウエアメーカーのIntelやQualcom等。
例えばAppleのように1社でOSもハードウエアもSNSなんか抱合したものもあります。
処理能力は莫大な速度を得て それらのデータをため込むストレージも10年前の世界中の全容量をAmazon1社が凌駕する状態になっている。
インターネットの速度も、家庭ですらGを超えるし 携帯電話網でもGに迫る勢いです。
より高速にデータをやり取りし 処理し、そして 分析できるようになった。
人が思ったことを検索するのも、検索結果の選択から 単純に言葉で検索するのではなく こういう聞き方をしたときにはきっとこういうものが調べたいに違いないという 検索ワードと結果を結び付けた回答も出始めています。
これらは 最近の言葉でいうとAIという人工知能がデータを分析し それに応じた回答を与えているのです。
それによって 検索は検索術という学問があった時代もあるのですが そうではなく音声でも可能なほどに検索を容易にできるようになったわけです。
 
それほどでもないと言われるのなら 少し前の時代を思い出してほしい。
ガラケーの時代にGoogleやYahooで今ほどに検索したでしょうか?
検索できたとしても 帰ってくる検索結果が多すぎて小さな携帯画面で見ることに耐えられずにPCで見ていたのではないでしょうか?検索はPCでだったかもしれません。
今はSmartPhoneが主流で やってみてもらうとわかるのですが5個目ぐらいでかなり正しい結果が返ってきて 複数ページ探し回るというのは少なくなったと思います。
知らない間に徐々に変わっていったので意識はしてなかったと思うのですが 数年前を思い出してもらうと歴然なのです。
検索の仕方も、言葉でしゃべるのと同じレベルで 検索してもそこそこに正しいものが返ってくるわけです。
 
AIの性能が上がってきたのは 検索一つで分かるわけです。
ゆえに、AIが台頭すると 人が職業を奪われるなどという話題となるわけです。
ただ、いきなりAIが生まれてきたわけではなくて 検索エンジンそのものが生まれた時から検索の結果が最も望ましくなる様に改良を行ってきたわけなので その時点からAIを採用していたといってもよいわけです。ただ、人の手助けが多かっただけで。
現在のAIによる最適化が進んでいて、音声認識端末などは毎週のごとく小改良がなされているのはAI故にどんなにたくさんのデータが来ても休まず処理できるという事と、それが必要なほどに大量のデータが来ているからです。
回線が速くなって、多くの記憶容量が与えられ 多くの情報が無制限に与えられるわけです。
データがたくさん来るから、そして処理するの上欲があるからこそより最適化が進むわけです。
現在、検索が日々使われる件数となると 世界で最も問い合わせの多かった会社を特定できたとしてそこなどは比較にならない件数を処理し続けているわけです。
朝起きて おはようから天気を聞いて 食事のレシピや ニュース、メールの有無なども検索されているわけです。
世界中でそれですから それほどの問い合わせを処理した例は恐らく過去何世紀さかのぼってもないでしょう。
そして、SmartPhoneの利用人数は増え続け 検索もうなぎ上りに上がっているわけです。
 
コンピューターにとって「師」というのを人と言っていいかどうかはわかりません。
将棋や碁などでは人がかなわないレベルに到達しています。
教えてもらうという意味では、現場に出て現場で学ぶというのも師とするなら 今こそ世界最大のデータという師匠がコンピューターに与えられたわけです。
将棋の棋譜と言えども有限なもの。検索に関しては無限とも言ってよい遥かな数が存在するわけです。
いま、AIがその段階に至ったという事は より高い段階に進もうとしているのでしょう。
人に比べて、音声の端末でいえば今のところ理解できない事も多いわけですが 端末そのものの処理能力の問題はありますが 必要にして十分な言葉の量を今後処理し続けてゆくわけです。
気が付けば人よりも人の言葉を理解するようになってしまうかもしれません。
例えば、小説を読んで風景が目に浮かぶというのを 実際の景色を検索して最もこの情景に近い写真をとか・・・・
そして、それが 国語の試験の正解に採用されたら 人の感性を超えた存在として認めるという事になるのかもしれません。