名機

名機と呼ばれる物が存在しにくい時代になってきました。
過去には、産業革命を振替って 「この100年で進んだ技術は量産することだけだ」といったぐらい 同じ物を沢山作る技術が進んでゆきました。
勿論、現在でも一部の中国製品のように(ここで品質の悪い事を、一概に悪いという言い方をする方がいらっしゃいますが 正しくないと私は思います。元来、低所得労働層が見たことも無いものを作らせているわけですから 自分達の感覚では不良とはいえない物を不良と言っている人達にも問題があると思います。それを不良とするならば、彼らにわかる方法で 教えない限り駄目じゃないかと・・・)量産による 商品の安定性に問題のあるものも有りますが、逆に、現在は下手なクラフトマンシップを振りかざす方よりもずっと良い商品が多く見受けられます。
元来、量産品には誤差が付き物です。勿論、手で作った物にも付き物なのですが そこは時間と手の掛け方の差がありました。
例えば、現在でも勿論コストと材料の差もありますが フェラーリーなんかの塗装は惚れ惚れするほどの深みがあります。
あくまでもこれは、塗料の質やそれに掛ける乾燥時間の差や塗り固める回数の差、そして 下地処理の差なんかも大きな要因としてあります。
塗装がされた後、クリアーと言う保護層が吹きかけられる前に 小さな真鍮のハンマーをもった職人がやってきて、塗装面に出来るミクロの単位のでこぼこを その小さなハンマーで叩いて平らにする作業が行われます。
この作業が、クリアーを吹いた後に鏡のように光るボディーを作り出します。
この辺は特別な例で、掌で触れただけで 損な小さな単位の差を感じることは常識では考えられない作業ですし、実際の測定器で測ったときに本当に均一になっているかどうかは別問題です。
しかし、出来上がった塗装面は 他の車と比べても一層際立つ妖艶さをかもし出しています。
だからといって、nm(ナノメートル)の世界の配線を、どんな達人の手を持ってしても書くことは出来ません。
既に、機械の技術は人の手のそれを大きく上回った分野もあります。
残念ながら、あれほど精巧で 複写することが不可能だと言われている日本の札ですら それこそ程度の差すらあれ一般的なPCと改造されているとはいえ 電気店の店頭で数万円で売られているプリンターでコピーされてしまいます。
車のエンジンなんかが顕著で、職人と呼ばれる人が多くのエンジンから当りと呼ばれる 全体の部品公差のバランスの取れたエンジンを 削って 切って作り出したエンジンで限られた環境 つまりサーキットを走る車があります。
その車も20年も前になると、いまの一般的に売っている乗用車と比べても大したことの無い性能でしかありません。
一時期のレースカーは 1リットル(排気量です)辺りの出力が100馬力を目標に作られたのですが、ターボも付いていないような車ですら 100馬力を軽く超えています。
だからといって、名車は名車で 歴史を作った車 例えばチェルニ峠でポルシェを抜き去った Miniなんかもそれに該当するでしょう。
もちろん、個人の思い込みはあるでしょうが 未だに例えばPalm1000とかを使っている人がいるかというと そうでもない。
私は、この機種を名機だと思い未だに 液晶が割れたと言う(これが 寒さで自然に割れたみたいです)事もあり 大事に残してあります。
ただ、それはその時代を生きた私にとっての名機で それ以降の世代の人の目には名機とは映っていないようです。
現在に至っては、毎年数機種の新商品がPDAに登場します。一昨年は不作と言われながらも一機種や二機種ではありません。
PCにいたっては、春モデル、夏モデル、秋モデル、冬モデルとかいって 衣料品のように四季のモデルが必ず存在するような状況です。
本当の名機が現れても、このスパンの速さは その評価をする時間を与えてくれません。
勿論、市場が要求するのですからしょうがない事なのかもしれませんが、余りにも楽しみの無いことです。
手作りだからとか、高価だからとか、珍しいからだとか その商品の絶対的な評価とは関係の無いところで発生した価値観でだけは、名機を計りたくないなと思う今日この頃です。