す〜なのあら〜し〜に〜 かくさ〜れた〜

の塔が最近映画でも話題になっています。
聖書に出てくる話らしいのですが・・・・
 
万物の霊長などと思い上がった言葉を吐いたのは 科学的検証が出来る前の時代。
強いか弱いかならともかく、実際にどれかがなくなっても良いという考えでは地球環境を守ることすら出来ないのは人の業です。
そんなことに、紀元前に気がついてこういった逸話が残っているのか それとも本当の話なのかは言葉通り「神のみぞ知る」わけです。
実際に何年後に人類が滅亡するというような予測や推測が出てきているわけなのですが、1999年にも何もなかったということもあります。
本当のところは誰にもわからないのですが、この塔の逸話の意味するところは 「思い上がった人は神の裁きを受ける」というところでしょうか?
 
現在、PC用OSのシェアで世界中を見ると流石にマイクロソフトの一人勝ちの様相を呈しています。
これは、いくらウイルスの心配が無いといったところで 絶対数が少ないのでウイルスの開発者も少ないと言う事を暗喩しており もっと言うとアプリケーションの出てくる回数も少ないとも取れなくもありません。
ところが残念なことに既に新しいアプリケーションが入り込む余地はあまりにも僅かになりつつあり そんなことが無いのは創造性の高いゲームの世界や新しいデバイスが出てくるのを待つ必要があります。
Officeアプリケーションもマイクロソフトの独壇場に近い形になり、メーカーや機能さえ問わなければ WEBの閲覧、メールの受信、音楽の再生、動画の再生、動画の編集までOSに付属されるソフトで賄えるわけです。
これを使うと便利という意味のものでなければ どうにかこうにか家で使う程度のことならOfficeアプリケーションとOSの組み合わせで出来ないことはないでしょう。
では、となってWindows VISTAなどの導入で後れを取ってしまうという結果を招きます。
どんなに良くなったといわれるOfficeアプリケーションも 結果的には今使っているアプリケーションの機能を使いきれるほどは使えず 多くの人はただのEditorとして程度の用途で使っていたりするわけです。
 
MACが好調だとかLinuxを市町村が導入したということが話題になりニュースとなるのは逆にそれがレアケースだということを物語っているということで、大幅にシェアを動かすほどの事態になっているのであれば 単独の企業の導入などではなくシェアで語るわけですから。
大よそのところ前者は、その評判の多くを携帯用音楽プレーヤーの販売によって語っており(もちろん、増えているのですが) 後者はサーバー用途でクライアントを代替する為にはTCOを低下させる努力が必要となっています。
それでも長期的には変化が起きるのであろうが いまはそれを判断する材料に乏しいといえるでしょう。
 
では、トップシェアを誇っているWindowsというOSが磐石かというとどうなんでしょう?
Windows VISTAが出て、最も困っているのはデバイスメーカーで それに対応したドライバーの開発が遅れているメーカーも少なくなく 動かないプリンターが出ていたりします。
もちろん旧型の機種を大事に使っているような会社は、新しいOSにプリンタードライバーが対応せず泣く泣く処分したりすることも出てくるでしょう。こういった部分での対応も十分にエコだと思うのですが・・・・
その VISTAにしても、HomeとPremiaでは大きく違いAeroといわれるインターフェースがPremiaで無いと使えません。
そういったアプリケーションが出てくると同じVISTAにおいて動く機械、動かない機械が出てきます。
では、Windowsといえども一つでないという状況が現れます。
先日といっても一年前によく話題になったのですが、W−Zero3が発売するに当たり 小さなPCという説明が多く アプリケーションが動かない等の誤解が生まれることを危惧する声が多く出ました。
ただ、マイクロソフトが誤解を招きやすい表現をしているのも確かで 全てのOSにWindowsと付けるようにしているようで、SmartPhoneやPDAに搭載するOSにまでそういった名前をつけると 知らない人が誤解をしてしまってもしょうがないとは思います。
ましてやFamilyというような名称でグルーピングしていればです。
 
バベルの塔は、人が神に比するものとして自ら天に上るために、天にも届く塔を建築した。
そして、有名な絵画にもあるように起こった神が雷を持って塔を壊すのですが 実はその部分よりもその先が辛らつで
塔を建てている人たちの話す言葉を幾つかに分けてしまい、お互い同士での言葉を通じなくして塔の建築を阻止してしまいます。
言葉が通じないもの同士が一緒に作業をすることも出来ず、同じ言葉を話すもの同士が集まりグループを作りいずれ国となるというのですが、いま世界中の言葉が異なっているのはどうもこのせいのようです。
であれば、戦争の原因の大元は・・・人のおごりとなってしまうわけですね。
 
で、その塔になぞらえると Windowsという天にも届く勢力の塔が完成するかに見えましたが、実際にはその塔は途中で伸び悩んでいるように思えます。
多くの人に受け入れられるように、幾つかのファミリーに分けて お互いの間で同じアプリケーションが動かなくなるようになるかもしれません。
そうすれば、バベルの塔の建築のように 途中で同じように天に伸びる塔を作る方向に向かなくなるかもしれません。
あるものは低く広く、あるものは細く高く・・・・
現在は、PC用OSという磐石な基礎の上にファミリーが乗っていますので塔自身がこけることはありません。
しかし、その根幹の部分が弱くなると心配になるかもしれません。
XPからVISTAへの移行は、その基礎の部分の置き換えにあたる部分ですから大事な作業といえるわけです。
実際には思い上がるどころか、新しすぎず、そして先進性を持ち まるで今までから世の中にあったかのように安定して違和感無く動くものを出して置き換えなければいけないとなると至難の業。
なかなか難しいものです。
 
アニメのテーマソングを思い出すと、「砂の嵐」という言葉がテレビの電波が来てなくて写っていない状況のことをいう言葉と同じで、ブラウン管の向こう側のPCの中に隠れたブラックボックスの部分、つまり隠された部分を比喩するに素晴らしいと思って書き始めたわけなのですが、よく考えると今の世代の子たちには 液晶テレビ、電波が来なくなれば画面はブルーバックに変わり省電力に入るテレビしか知らない子達に「うまい!」とおもわせるどころか 「この人は何を言いたいんだろう?」と前述のように冗談の説明を求められるたとえでした。
私などは、塔の高さが点に届くと思って見ていた傍観者で 実際は天に届くはずなど無いと今頃気がついた 年寄りというわけなのですね。
大体、物をたとえて語ろうとしている段階で 年寄りじみてますよね。