地球にやさしく 担当者に厳しい

不景気になると一気に減速するのが消費です。
何かおかしくなっても、とりあえずだましだまし・・・となるわけです。
コンピューターなどでも 机の上に置いてあるPCから始まりサーバーとなると大変。
いろいろな意味での対策が立てられてはいるものの、どれも完全ではないものが多く 逆に完全に近い形となると 同じものがもう一つあって何かあれば切り替わって動き出すようにするしかない。
その維持にもコストがかかるのでかなり大きめの会社でしか成立しません。
多くの会社は、保守に加入したり 担当者の努力でカバーするわけです。
努力してもどうにもならないこともあります。
たとえば自然の法則。
夏には40度を超え、冬は局地的にせよ氷点下を割り込む。もちろんそんな所に置かないとは思いますが季節によっての温度変化や素材そのものの問題で発生する 自然劣化。
徐々に確率的に故障の可能性が上がってゆきます。
 
部品一つで出来ているものは、部品の寿命=製品の寿命です。
しかし、複数の部品の組み合わせでできているものは 部品どれかの寿命が製品の寿命となります。
1000個の部品でできていれば 1000個のうちのどれかの障害で故障となります。
その1000個には、各自の部品寿命があるのですが 平均寿命で表記するので製品のばらつきで長い物も短いものもあります。
そして、そのもっとも短い寿命の物が商品の寿命となります。
部品点数が増えれば増えるほど困るのが、そのバラツキに当たる確率が高くなること。
また、部品の中には物理的な摩耗が発生するもの。
たとえばモーターの軸受けやHDDのディスク等は徐々に劣化の危機に面しています。
電動ファンの軸受けなどは 空中に舞い飛ぶ埃の攻撃も受ける訳ですから大変です。
故に、寿命には大きなばらつきが発生しています。
 
一般的な商品を作る際には想定される寿命があり、その寿命に向けてちょうど劣化するものを作ります。
劣化のことを考えすぎるとし、商品のコストにそのまま跳ね返ります。
この場合のコストは、壊れないものを作るために費やされる大きな時間と付加される装置によるものだけではなく、壊れないとなると代替え需要が見込めなくなり その産業が先細ってゆくということを考えると 将来の為のコストも計上せざる得なくなるからです。
三年で壊れるものは、三年後に同じ需要が発生するので三年後の販売が見込めるのです。
20年も壊れないと商品が行き渡った後は20年後まで販売チャンスがなくなるわけです。
車などが良い例で、多くの意味で劣化を演出します。
たとえばデザインで、丸みを帯びたデザインが直線的なデザインになり 丸みを帯びたデザインが一目で古い車とわかるような演出を行うわけです。
街を走っているときに自分の車が古く見えてくるのには、実際に劣化する部分だけでは無く そう思わせられる演出も巧妙に仕込まれているわけである。
特に、発展途上の若い商品ならともかく 車も必要以上の性能の向上は消費者に購買意識を抱かせる直接のきっかけにはなりにくいからです(最高時速200kが210kになっても 日本で乗っている限り恩恵を受けることがまずない。もしくは燃費が0.01kとか伸びでもそれで買い換える程のコストダウンは見込めない等)。
コンピューターもそうで、最新のPCの性能を測るにおいて 多くは3Dのゲームのフレームレートが60だったり120だったりとか、動画のエンコードの時間が20%速くなったりとかの表記なのですが
人間の眼はおおよそ30フレーム程度以上は目を凝らして注意してみなければ気がつかず、エンコードなどを毎日の作業としてしなければいけない人など わずかなのです。
特にビジネス用のアプリケーションを動かす端末など Pentium4の2.4Gの5年前のエントリークラスでも現状十分に動いています。
 
こういった状況の中の不況ですから、車やコンピューターの買い控えが起きる原因はすでにあったのにもかかわらず目をそらし続けてきたのです。
もちろん、私も販売する側であれば 当然首がひん曲がるぐらい反らしているとは思います。
と頃が現実がやってきたわけです。
確かに性能面での差はなくなっています。というか必要とする性能面でのさはあまりありません。いわゆる車で言うと「まだ乗れる」という状態だったり 最新のものに変えても「そんなに速くなっても意味ないでしょう」という状態。
でも、性能の問題だけではなく本当の劣化はやってきます。
壊れるという形で。
作り続けていうものは部品を交換して対応するわけなのですが、
壊れたものがCPUだとしましょう。Pentium4時代のCerelon 2.4G。
電動ファンが止まって、CPUが焼け死んだというのが原因だとすると 交換以外の選択肢はありません。
保守に入っていればいいわけなのですが、コンピューターの寿命は一般的に5年程度。
5年たつとメーカーの多くは保証も保守も受け付けてくれなくなります。
だとすると、残るのは壊れた機械と担当者。
私などはジャンク屋さんに出入りすることも多いので、型式とメーカーがわかれば大体の代替えを販売されている店が頭の中でリストアップされるわけですが、おそらく少数派でしょう。
まず、CPUを交換できるスキルがあるかと 部品を入手できる手法を持っているかどうかです。
いままでは、じゃあ買い換えようと言ってくれたものだから そういった技術は必要なかったからです。
わざわざ壊れているものを買ってきて、直せば安くで使えるなんていうのはホビーの理論だったからです。
 
世界的な規模でみれば、新しい物を買わずに古い物を直して使うというのはエコロジーで以上に良い事です。
古いものは消費する電力が高すぎるということを除けば エコロジーな思想です。
古い物をなおして「もったいない」の思想で長く使い続けるというのは 個人の努力だけでは成り立たない話です。
今の例でいえば、もうソケット478のCerelonが価格COMで検索しても出てこない、つまり売ってないのですから交換するしかないものはいくらもったいなくても再生はできないのです。
中古や店の売れ残りで再生するのは、個人としては可能ですが社会として行うには数が足りないのです。
この状態で担当者に要求されることは、「いま、買い替えのできる状況でないことを理解しろ」ということ。
5年前、下手をすると3年前の対応部品すらメーカーから正規に入手できない状況。
「3年しか使ってないから直して使え」と言われて必ずしも・・・ということですし、メーカーは全部を引き受けることはできないので 現在の新品が買える見積もりを書いて 買い替えを勧めることになります。
 
コンピューターの世界は、「ムーアの法則」を頼りに二年で倍になるという形での進歩が当たり前であることを前に出して進んできました。
故に、3年、5年前を振り返る必要が無いと言っていたわけです。
この状況で割りを食う形になると想像できるのは 社内のコンピューター担当者とPCを販売した販社です。
倍々ゲームで増えてきた台数は、それだけの維持費を生みだして 効果も生み出してきましたが 効果以前に経費の節減を言われたとき、導入前には発生しなかった維持費を経費節減のテーマとされたとき、苦しむことになるのでしょうね。
明日は我が身。くわばらくわばら