いい朝(ぬりかべ氏の朝)

朝起きると誰も起きていない。
正確には誰も起きていないと思われる。
事務所では不健康そうな男が椅子に座っている。但し起きているのか寝ているのかの区別は付かない。
試しに一度声をかけてみたが返事は返ってこなかった。
これは、朝に限ったことではなく昼でも夜でもおんなじだ。
もう一人は、夜でも昼でも電気を消さない。
電気を消す習慣が無いようだ。
不経済な話だ。そういえばこの事務所の経費の大半を一人で消費している。
想像を絶する大金持ちのようだが自分以外にお金を使うのは死んでも嫌らしい。
所長が出張すると、若いのが通勤してくるまで開店しない。
もちろん、朝早くから開店している探偵事務所というのも変なのであるが・・・・
ただ、どちらにせよ健康的でないことは確かだ。
何で若いのが来るまで待つかって?
俺が接客向きで無いからだ。
背の高さが2mを超えれば十分規格外である。
表情を掴ませない訓練で“笑う”を選んだのがけちのつき始め。
なまじ素直で覚えがいいだけに、“笑う・・・”というありがたいあだ名を頂いて 笑いながら人殺しをすることを楽しんでいると勘違いされて・・・・
その後は、敵味方から恐れられる魔人として戦場に君臨した俺が 何故こんな所にいるのか?
その疑問は解けないが、少なくともここにいると死ななくて済みそうだ。
朝の日差しの中表に出た。
体を動かしておかないと死にそうになる。
軽く2〜3歩飛び上がって走り出した。
3ブロックも走ったところに公園がある。
その頃には体は目覚めペースが上がる。
公園の中のトラックを10週ほど走る。
秋とは思えない暖かい気候に汗が出る。
ストレッチをして ボクシングのシャドーを行う。
最近は、中国拳法もトレーニングに入れて型を何度も練習する。
約一時間の間に2L分ぐらいの汗をかいて終わりにする。
公園のベンチに座り、1.5Lのスポーツ飲料で失った水分を補給する。
大半は汗になってその場で消えてゆくのだが、汗をかくのも気持ちいい。
汗を拭きながら座っていると毎日誰かに声をかけられる。
毎日運動しているじいさんだったり、朝からなぜか遊んでいる子供(もっとも母親達には評判が悪いが)、後は覆面レスラーだと信じて疑わない女子高生 ここの生活もそう捨てたもんじゃないと思わせる。
その後は公園で季節を感じながら散歩する。
汗が引くのを待って 又事務所まで走って帰る。
事務所では足音を殺して侵入する。
誰に遠慮するわけじゃないが、“汗のにおいがした”って怒鳴る人がいるから。
シャワー室に向かって 掛けこむ。
何故か支給されるシャンプーは甘すぎる香りのアジア風だ。
風呂上りに飲む ミルクが美味い。
食パン4枚を同時に焼けるレンジがあることが唯一この事務所の利点である。
卵のパックを半分に切って卵を焼く。
丸ごとのレタスは二つに割って水洗いすれば立派なサラダだ。
自分の椅子と机に目一杯に広げるのが一番贅沢な行為だ。
机の上の書類を全て床にぶちまけているのが 少々興ざめだが。
座り込んで気が付く。飲み物が無い。さっきのミルクに気を良くして忘れている。
我慢して冷蔵庫から1ガロンのオレンジジュースを持ってきた。
座り込んで食べ始める。
至福のひと時、人はどうあれ気持ちよく起きたときのメシは一日の中で一番美味い。
味付けは塩 塩さえあれば何処ででも生きていける。
いつの間にか、お嬢様も起きてきている。
相変わらず挨拶も無い。
「あっ」
思わず声が出たがそれだけだった。
机の上にはポットに入ったコーヒーが置いてあった。

そうだ、煩わしかったのは 人の目(視線)、人の話(噂)・・・・
口を開かないで済むことが気に入ってここにいるんだった。
メシを平らげた。
めんどくさくなって ポットのままコーヒーも平らげた。
柄にも無くいい気分になって 開かなくてもいい口を開いた

「コーヒー、ありがとう」
arieさん:「ポットに直接口を付けない。犬じゃないんだから」
「はい」
見られているのも 飾りの無い言葉が返ってくるのも 悪くないものだと思う。
平和ボケしたのか? それとも・・・・・