秋から冬に

小さな田んぼが通りがかりにありました。
恐らく1家族の1年分のお米を供給する程度の大きさ。
既に刈り取りが終わって、田んぼの真ん中に立てられた物干し竿の太いような木が立ててあって そこに稲が逆さになるように根元を括って、またぐように乗せられている。
のどかなのは、そこから落ちた米を すずめがおこぼれに預かりに・・・・
 
刈り取った稲から、米を取るために脱穀と言う作業が行われます。
しかし、刈り取ったものをそのまま ふるい落とそうとすると未だしっかりついていて
しばらく乾燥させないと綺麗に取れない。
なので乾燥させるために、田んぼの真ん中で乾燥させておくわけです。
乾燥させないと綺麗に取れないわけです。
ところが最近は 脱穀の性能がよくなって乾燥が完全にされていなくても うまく取れるように技術革新がされたわけです。
 
技術革新はすばらしいのですが、最近の研究では 昔からの作業にはそれなりの理があったことが判っています。
稲は自分の子供となる米に対して、刈り取られて僅かにその体に残した栄養素の殆どを その後も米に提供し続けているようです。
それも逆さに吊り下げている状態のものにおいて起きるようです。
最近良く見る、横倒しにして乾燥させられた米たちには この最後の栄養素が不足していると言われています。
言葉通り身を削って、子供となる米に提供した最後の部分が味の大きなファクターになると・・・・
勿論、これも科学的に照明されているわけではないとは聞いています。
ただ、稲についた米でも とり付きが悪いものなども時間と共に選別され、それが鳥たちの餌になると言うような自然のサイクルの輪も崩していないような気がします。
 
あまり大きくなく、そしてやせて見えたその米たちですが
ちょっと食べてみたいと・・・・・
そう思わせたのは、少し寒い気候のせいでしょうか?