新ザウルスに思うPDA

昨日、ありがたいことに新ザウルスに触らせてもらうチャンスがありました。
といっても僅か数分の事ですが、店頭の展示品ではなく個人の持ち物です。だからといって店頭品より乱雑に扱うわけでもないのですが やはり手の中に収めて その上で使うという事は 少し違うように感じます。
ただ、人に見られるのが恥ずかしいだけなのかもしれませんが・・・・
過去に、SLC-750を持ち歩いている時期も有りましたので 少しぐらいは使い方も解ります。
ファンの方には申しわけありませんが、反応速度が Palm>PPC>ザウルスのように感じられて(当時です、現在はPPCも速くなりました)ブラウザーとしてはぴか一であったにも関わらずあまり持ち歩かない事が多く 譲っていただいた人には恐縮しきりです。
ただ、コンセプトは凄く嬉しくLinuxの使える携帯端末というものは一度は使ってみたいと思った欲求は なんとなく叶えられたと思います。
私のような古い人間は、過去の事例と重ね合わせる傾向が強く 既にそんな次元で亡くなっているのになんとか曲げてでも重ね合わせてしまいます。
LinuxもUnixと重ね合わせるよりは、初めて出てきた頃のOS それもCP/Mなんかと重ね合わせてしまいます。
多くのパーツをHDD上に細分化してもち 必要なパーツを読み出して着て動かす。
何よりも、メモリーの少なかった頃に効率よくプログラムを動かすための手法としてはかなり有効な方法でした。
勿論、当時64Kのメモリーで640kのFDなのですから10倍の容量を持つデバイスに足りない分を補う手法として思いもがけず斬新な方法で、みんな竹の子のように出てきたDOSの多くにその手法が利用されました。
ただ、時代は進むんですよね。
当時のDOSデバイスだった頃には あんなに早いと感じられたFDも今使う事も無いデバイスの一つになっています。
その数百倍近く速いHDDですら遅く感じさせられるほどに・・・
既に、メモリーだけで動いていたザウルスで感じていた事なんです。多くを細分化されたプログラムの構成で形成されているLinuxが使わないカーネルを手放し 改めて呼び出す。
PCのようにふんだんにメモリーのある機器ならともかくメモリーの多くを実行のために、そしてワークエリアにと確保するPDAでは、十二分にキャッシュするエリアもありません。
もちろん、そんな事ではなくメモリーの速度が遅いだけなのかもしれませんが 思いのほかもっさりと感じられました。
やはり、共通のパーツをメモリー上に展開して置き、汎用性や拡張性に乏しくてもその組み合わせを中心にプログラムを構成する仕組みのほうがうまく行くような気がして・・・
勿論、現在ではそんなに赤と黒 とか簡単に割り切れるほど単純明快ではなくなっているのですが。
実際、新しいザウルスはCPUのお陰なのか 新しいOSの(本当に新しいかどうかは詳しい人に・・・)お陰なのか、それとも・・・とにかく、HDDに対するストレスを感じませんでした。
HDDを使っているか使っていないかはすぐにわかります。PCよろしくアクセスランプが付いていて、ピカピカと点滅します。
例え、予定表を開いただけでもピカピカと点滅します。
何をしてもピカピカ光ります。
少しだけなめていたのは、恐らく外部ストレージとして入れただけで 普段はアクセスすらせずにCFスロットにMDを挿す事と大きな違いが有るとは思えないと思っていたことです。
これだけのアクセスをするんですから使っていないはずは無い。それでいて今までのザウルスに遜色の無い速度。じゃあ・・・
いつものように夢見がちに何かを考えるところなのですが、何も思いつきませんでした。
ザウルスというデバイスに失望しているわけでもなく、linuxをPDAに使う事に疑問をもったわけでも有りません。
ただ、今までのザウルスと同じじゃだめですよね。
その為には、カーネルの違うものに入れ替えて、メモリーの一部をキャッシュとして利用。SDカードやCFカードにこうそくなメモリーをいれてアプリケーション毎に最適化すれば。
いや、ワークエリアが外部にあるから 必要なアプリケーションをもうオンメモリーから逃げなくするようにしてもメモリー不足で悩む事は無いでしょう。ワークエリアもデーエリアもいくらでもあるんだから・・・・
いくらなんでも、だめですよね 昨日の日記を書いた次の日では。
ザウルスは前の時も思ったのですが、今の機械ではなく次の機械という感じがします。
この後、キラーとなるアプリケーションで いきなりブレイクするタイプの機器だと思っています。
それは、700が出た頃からそう思っているのですが、なかなかそう言ったアプリケーションが出てきません。というか、最初の頃のような熱さがザウルスユーザーに無いような気がして・・・
昨日触ってみて、なんとなくいつか又持ってみたいなと思いながら 今じゃないと思ってしまう今日この頃でした。