電子ペーパーと配信技術

注)本文中の「コントラスト」をテーマに書かれている部分ですが、コメントにご指摘いただいている通りの間違いが有ります。それをお含みおきの上お読みくだされば本文を読んでも間違えずに済むかとおもいます。念のために、この文章の後に注釈もつけましたのでそれもご一緒にご覧いただければ、尚ありがたいかと・・・・
毎朝新聞は家に配達されてきます。
好き嫌いや読みやすさとか、新聞を家で朝読むというのは非常に良いことです。なにより余裕がある。
ところが、電車の中で読んでいるのはぎゅうぎゅう詰めの人を避けるように小さく折りたたんだ一編を何度も入れ替えながら読む姿。
前者に関しては、新聞を電子ペーパーに変える手段を多くの場合は持ちません。
まず、あれほどの面積を電子ペーパーで確保することに苦労し その重量に苦労し 強度に苦労するという、言葉通り紙のように薄く・軽く・強い素材を用意することには大変な苦労が必要でしょう。
しかし、電車の中で折りたたんでいる新聞が対象であれば電子ペーパーにも代替のアイデアはあります。
雑誌程度のサイズに降りたたまれた新聞は重量的にもページをめくらなくて済むという前提であれば 電子装置でも実現可能なサイズと重量です。
もちろん、PDAや携帯電話のような電子デバイスで閲覧すればよいという考え方も有りますが、新聞とWEBの提供する一つの記事に対する文字数の違いは明らかです。
大きな紙面があるからこそ必要以上に詳しい説明もあります。また、新聞の僅かなスペースにしか掲載されていない小さな事件を、WEB上にある新聞社の配信から探すことは出来ません。
シャーロックホームズだって、その小さな事件の新聞への掲載が無ければ 幾つかの事件を未解決のままモリアーティ教授に出し抜かれていたはずです。
時間こそが大事だという価値観の人が、事件の概要を知れれば良いとWEBの生地を見るのに対して、新聞と言うメディアの力と言うのは依然として強い物だと思います。
ただ、残念ながら私は前者なので、あまり新聞を読むことが無いのは残念なのですが・・・
 
紙に書いてある字を読むときと、電子デバイスの文字を読むときの最も大きな違いは 文字と紙のコントラストです。
液晶画面を見て、黒は黒く 白く輝く部分は眩しい位と思うのは良いのですが 一般的にコントラストだけの問題で言えば液晶は髪には適いません。
液晶の方が明るくてまぶしいところから、暗いところまでくっきり見えるというのであればそれは少し解釈が違っていて、液晶がまぶしく見えるのは 紙を夏の晴天の太陽に向かって広げてみているような物で 新聞を読むときにそんな読み方はしません。
普通にある明かり、それも窓を通じて 時には薄いカーテンを通して漏れてくる明かりが紙に当って反射してくる明かりと インクの黒さ。この二つの要素が人の目に文字を写真を認識させているわけです。
じゃあ、同じ状況で液晶の画面を見たらどうでしょう?
ビジネス用の手のひらより大きいような電卓ぐらいの液晶ならともかく、PDAやノートPCの液晶などは既にバックライトを切ってしまえば画面を確認することは出来ません。
外光が偏光板を通して反射板に当たり、そしてもう一度偏光板を抜ける頃には 詳細な液晶であればあるほど暗くなり 殆ど見えなくなってしまいます。
真っ暗でところどころグレーの塊が動いているような状態がコントラストが高いとは言いにくいでしょう。
勿論、バックライトを通じてコントラストを高めたとしてもそれが一概に悪いことであるとは言わないのですが 二つの点を通じての問題は現状は残ります。
一つは明かりを点けるわけですから当然エネルギーがー必要です。多くは電力と言うエネルギーが。つまりその為の電源を用意する必要があるということです。
多くのPDAやPCがバッテリーモードになるとバックライトが暗くなったり、すこしキーボードに触らないとバックライトが暗くなるのは その消費する電力が比較的大きい要素だからです。
もう一つは、LEDでも電球でも 蛍光灯でも良いのですが 真正面にたってじっと見つめてください。
そうなんです、強制的に起こされた光は基本的に周りの明かりよりも明るいことでコントラストを発生させています。気がつかなくても気にしていなくても目にとってはまぶしい存在なのです。紙からの明かりは周りの明かりと同じ明るさの明かりで、それより暗いところを作って文字を認識させています。
つまり、目が疲れてしまうということなのです。
 
それでも、技術の進歩は恐ろしい物です。既に紙と見惑うばかりのコントラストで 印刷物と殆ど同じ解像度で表現できる電子ペーパーが出てきました。
そして、これが大事なところなのでしょうが 表示している間は電気を消費していなくても変わらずに、書き換えるときにだけ電機を消費するようなタイプの液晶が出てきています。
勿論、問題が無いわけでもないのですが・・・・
現状ではやはり書き換えが発生するときに残像が残る程度に遅かったりということなのですが(ゆえに表示された情報が電気を掛けずに残っているのですから 相反する技術ですよね)よくよく考えると紙は書き換わったりしません。
ペーパーと呼べる紙と同じ大きさで重さになるのであれば、別に書き換え時に残像が残っても関係ないとは言えるのですが、どうがんばっても紙と同じ単価にはならないので 最初に出した週刊誌サイズに折られた新聞紙と同じサイズであれば、画面を切り替えて表示するような仕組みにせざる得ないといえるでしょう。
そういうことであれば切り替わりの遅さは大きな普及の為のポイントになるでしょう。
しかし、電子ペーパーといわれる物は紙ほどでは無いのですが薄くて軽い物の場合が少なくありません。
 
現在のPDAもPCもモバイル用のものは液晶画面がどうしても小型に固定されます。
これは、ガラスをシュ素材に構成される液晶パネルの重量が問題だったり、その液晶パネルを後ろから照らす為のバックライトが消費する電流が面積に比例して大きくなったりする、何よりも手軽に持ち歩いてもらう為に本体のサイズを小さくした為に大きな液晶表示の為の面積が取れなかったことが大きな問題でしょう。
例え紙になったからといって大きなサイズが取れるのかと言う問題は有ります。
行くな電子ペーパーが紙並みのものだとしても、折りたためるというのは聞いた事が無くせいぜい丸めて持ち運べる程度の物。
例えばA3の紙サイズの電子ペーパーであれば、短編でも295mm程度はあります。
丸めて直径3〜5cmにしたとしても 折りたたんでも長さ295mmの棒の形をしていることは確かなのですから。
しかし、それを持って歩いてもらえることが許容されて それが電子ペーパーとしての標準となったとき。
そして、エネルギーの効率から全ての人の移動機関が公共交通になったりしたら、駅に着いた(駅って概念がおかしいか既に)時点で、改札を通れば電子ペーパーにその日の新聞が配信されて 帰りには 夕刊が配信される。
部下が馬鹿なことをしたら、丸めた電子ペーパーで「パコーン」と叩ける。
気になる記事は、指で丸をして置いておくと、家に帰ってから若しくは駅でその部分だけを自分のデータベースに取り込んでおいて置ける(もちろん、全ての情報が串刺しで検索できるなら 「自分の」という概念がナンセンスなんですが)なんてサービスも始まるかもしれません。
これならば、自宅で無作為にダウンロードされるわけではないので、課金もわかりやすく可能な新聞配信システムになるでしょう。
多くの技術的課題があるのでしょうが、時代は近いかもしれませんね。