大阪お好み焼きと広島お好み焼き(長いので時間の無い方は飛ばしてください)

先ず最初に名称ですが、大阪の方からは「お好み焼きといえば大阪でわざわざ付けること自身がおかしい」といわれるかもしれませんし、広島の人からも同様だったり、「お好み焼き」という呼び方を否定される方もいらっしゃるようですが、これは一般の方にもわかるように区別できるようにつけた名前なのでその辺りはご容赦の程を。
 
先日、「広島お好み焼き」を食べたのですがこれが不味くてとても食べられる物ではありませんでした。
もちろん、広島お好み焼きが嫌いであればわざわざ注文しないわけで、広島お好み焼きが不味いと言っているわけではありません。
もちろん、上を目指せばきりが無いわけなのですが下を目指してもきりが無い。
まあ、アルバイトで昨日今日に初めてこてを握った風な店員だったのでさもありなん。ましてやフードコートに味を求めるなかれで そのこと自身はおかしいのかもしれませんが 非常に不味かったのです。
広島お好み焼きは薄く延ばした生地の上に キャベツなどの具を入れて焼く挟み焼きです。
その為、薄いながらも強い生地が必要になります。
薄ければ薄いほど火加減が難しくなり、またスピードを要求されるために鉄板の温度が高いために焦げがちです。
手際の悪い店員は、焦げ付かないためにセオリーどおりに油をたっぷり引いて焦げ付かないように作業をしました。
それがいけないのです。
小麦粉は水で溶いて焼くとふんわりした生地にもなりますし、硬いぱりぱりした生地にもなります。
ただ、ふんわりするときには水分を多く含んで水蒸気が生地の中で膨らみ良い弾力を生み出します。故に、穴の多い漫画で言うチーズのような生地になります。
単純に、押さえもせずに焼くとそうなってしまうのです。
そこに多量の油を与えると、スポンジのような物ですので一気に吸い取ってしまいます。
実際、私の食べた広島お好み焼きは、中が透けるほど油が生地に良くしみていました。
じゃあ、油を減らせばと成るのですが油を減らすと生地が焦げ付いてしまう。
非常に難しい食べ物なのです。広島風お好み焼きは。
しかし、それならこんなに日本中で見ることは無いと成る筈なのですが、この問題を解決するのが多量のキャベツなのです。
 
良く、漫画とかサバイバルな本などで出てきますし、高級日本料理でも出てきますのが紙鍋。紙で作った鍋で 鍋料理を出してきたりします。
紙なのですから火にかければ当然燃えてしまいます。それが高級な和紙であろうとたいして変わりはありません。
それが燃えないのは中に水が入っているからで、その水分が紙を冷却して発火温度に至らないわけです。
同じように水分を提供するのが多量のキャベツなのです。
キャベツは見かけによらず多量に水分を含んだ野菜で、火にかけることにより水分を吐き出し、生のままでは青臭いはずの風味が水分の減少と性質の変化で非常に甘く優しい味に変化します。
その水分が適量生地に与えられることにより生地は焦げ付かず、自然な甘みがキャベツから出る水分により生地に与えられるわけです。
キャベツにも生地を冷却するために使われた水分が水蒸気となり蒸されてより一層の甘みが引き出されるのです。
蒸すという料理法は非常に特殊で、煮ることと同じ効果を食材に与えます。しかし、煮た場合には一緒に入っている水分に食材の味が逃げてしまうのですが 蒸した場合には食材の味は閉じ込められたまま加熱されるという事です。
食材同士のハーモニーがそこに与えられることはありませんが、食材のうまみは閉じ込められたままになるのです。
そこに、焼きそばや揚げ玉、肉などの具材を入れて一緒に蒸し焼きし、最後にそれをぎゅっと濃縮されるように押さえ込むことによって、弾けるほどのうまみが演出されるわけです。
口の中に入れた途端に解けて、少ししか口の中に入れてないにも拘らず口の中は熱い食材でいっぱいになります。
口も利けないほどに・・・・・
お昼時とはいえおなかの空く話題です。
 
その命ともいえる生地を油付けに下場合を考えて見ましょう。
多数の穴が開いた生地は本来キャベツから出た水分を生地一杯に含んで全体から驚くほどの水蒸気を噴出させます。
もう、見ているだけで匂いを嗅いでいるだけで口の中につばが溢れてきます。
では、その油一杯の生地のばあい 染み込まない水分は生地の周りに固まって水蒸気を上げます。周りだけなのです。
出来上がりは一目瞭然で、本来最も多く水蒸気が上がるはずの真ん中に高く積まれたキャベツの間には殆ど水蒸気が通らず 熱をかけてしんなりしただけ。ひどい場合は生煮えキャベツ 青臭さと歯ごたえの悪さの両立したすばらしい食材です。
周りは多すぎる水蒸気に洗われて、ぱさぱさに。ひっくり返す頃には繊維以外残らないキャベツの残骸に成るわけです。
押し付ければ、真ん中のキャベツが大事に貯めていた青臭い水分が廻りに一気に広がり、ドライ野菜になった周りのキャベツが残らず吸い取って 広島風お好み焼きもどきが出来上がるわけです。
水を通さない生地は、後からかけたソースなどの旨みを食材に伝えることなく、青臭いキャベツの塊、生煮えで水気の多いそば、油付けでガムのようにぐにゃぐにゃの生地、明らかに全てに染み込まないために塊となって口に入り刺激しか残さないソースと 絶妙のハーモニーで私の食欲を奪ってくれるわけです。
 
つまり、生地を作る手際と 先の工程の見えた段取りこそが広島お好み焼きの基本。
基本がズタズタであれば、出来上がりも押して知るべし。
極端に難しい手順ではないですが、必ず知っていなければ出来ないことが随所にちりばめられています。
故に、修行(長いにせよ短いにせよ)無くては語れない食べ物なのです。
(だれか詳しい人フォロー入れてくださいね)
 
それに対して大阪お好み焼き。
粉の中にキャベツを混ぜ込みます。
同じように見えてこれも全く違う料理です。
お好み焼きと言うと 基本は「豚玉」
これは大阪の人にしか通じないでしょうが、蓋のばら肉が二枚ほど入ったお好み焼きです。
玉は卵を意味するらしいのですが、卵の入っているお好み焼きと入っていないお好み焼きが昔はあったようですが、卵の無い物は廃れてしまったようで名称のみが残っているにとどまっています。
豚玉の最も良いところは安いこと。
庶民の食べ物ですので、肉の脂のうまさをボリュームと感じるのであれば最も優れた食材だったのです。
もう一つ、作る過程を説明すれば判るのですが
先ず、鉄板を火に掛け暖め豚バラを それも無効が見えるほど薄いものを二枚鉄板の上に載せます。
当然肉とはいえ半分以上は脂身、すぐこげることは無いのでその間に卵、小麦粉、キャベツ、etcの入った入れ物に長い細いマドラースプーンを差し込みこねくり回します。
混ぜることと一緒に小麦粉の間に空気を入れることも重要な工程です。
沢山入ったキャベツのお陰で、それもすむー字に行えます。
豚肉を一度反して十分にやけ始めたことを確認するとおもむろに生地を広げます。
ここで気が付いた人もいると思うのですが、豚玉に油は必要ないのです。
蓋から出る油こそが、お好み焼きを焼く油になるのです。
勿論、買ったばかりの鉄板でこんなことをやれば焦げてしまいます。
しかし、長年使い込んだ鉄板であればこれで十分。
油がべたべたのお好み焼きなどは食べられませんから。
中国に乞食鳥という料理がありますが、調理道具を持たない乞食が鳥を粘土に包んで焚き火の中に投げ込み食べたということから付いた名前だという事ですが、同様に小麦粉の生地でキャベツを包み焼きにするのがお好み焼きの旨みの一つです。
だからキャベツが多すぎても、生地が多すぎても実はダメなのです。
両方のバランスが取れていれば、余分な水分は水蒸気となって生地に吸われ、旨みは決して逃がさないというバランスが保たれた物が良いお好み焼きです。
また、水蒸気の通路を自然と確保するために 多量の小麦粉を使う料理の割に軽い食管ともたれない味に仕上がるのです。つまりふっくらと密度の高すぎない生地が出来上がります。
小麦粉の塊は、説明するまでも無く食べにくい物ですからこういった食べ方が進歩してゆくのでしょう。
ここまでで既に大阪お好み焼きと 広島お好み焼きは全く違う物だという認識はしてもらえるかと思います。
どちらもおいしく出来上がったときの味は甲乙付けがたいと思いますが 両者を比べようとは思わないのです。
旨みの質が全く違うので、比べようと思わないのです。
食材が似ている事が、結果的に同じ料理を示すことではないということの良い例です。
ただ、大阪お好み焼きの良い所(悪いところ?)はその作り方です。
小麦粉とキャベツ、確かに両者の対比は大事ですし その粉に入れる特別な配合や 入れる具材 料理としてはこれが頂点と言うもののないバリエーションの多い懐の深い料理なのですが、どれ一つ欠けていたとしても とりあえず食べれる物に出来上がってしまうのです。
膨らし粉を入れて、過度に膨らましたり 冷凍するために揚げてしまったと言う様な特殊な事例を別とするならば、多少粉の配分や比率がおかしくても 全体で見れば60点ぐらいの出来上がりになってしまうことなのです。
これは家庭で出される料理では当たり前のことで、どの料理も同じ事が言えます。逆に、他の地方の人が知らないだけで広島お好み焼きも広島ではそうなのかもしれませんが、一度見れば食べれる程度の物が出来上がってくるのです。
もう一つのポイントとして、たこ焼の時も書いていたのですがソースとマヨネーズです。
キャベツの甘さは所詮ほんのりとしたあったかい甘み。
沢山のソースや、沢山の間よねー字の上にでしゃばるような物ではありません。
表面が硬く焼かれていれば、広島焼きでは悪い例として出ていましたが味と言う意味では中と外が分離されるのです。
豚肉を焼いた上に出来た生地ですから、豚焼きせんべいのような表皮、これは具材を中に入れてゆく広島お好み焼きでは無いことで この豚焼きせんべいは味の濃いソースで食べるのに値します。
そして、その味が口の中に残る間に 中のキャベツの入った生地を食べるわけです。
いわゆる、ご飯とおかずを一緒に焼いた食べ物なのです。
いくらご飯に味が無いからといって 出来損ないの噛んでも甘くならないご飯はたべてもおいしくは成らないのです。
それとおかずのハーモニーを楽しむ食べ物なのです。
ご飯にソースやマヨネーズで味付けした食べ物ではないのです。
 
所詮下町の食べ物です。
張り詰められた刃物のような緊張感漂ううまさを期待されても期待はずれに終わるでしょう。
どんなにおいしくても、その延長線上を越えることは無いのです。
ただ、いつもフランス高級料理という生活をしていれば飽きてしまいます。飽きない料理として庶民の料理があるのです。
アンダーグラウンドの香りが少し漂う食べ物でも、努力しておいしくしようとしている人はいますし、どんな高級料理でもお客のほうを料理人が向かなくなってしまえば出されてくるのはただのエサです。
目の前で焼いて見せてくれる。音もにおいも全部を料理としてみれば下町の味も捨てがたいのですよね・・・