パソコンを触らず、本を読め!!

って朝のワイドショーで言っていました。
車の中で見てたので内容までは覚えてないというか聞けてなかったのですが、言わんとすることは大体わかります。
既に、ほとんどすべての家庭にPCはあります。
そして、一日に何回かもしくは毎日PCの前に向かうという統計データを下に 学力低下と本を読まなくなったことへの警告を鳴らすという内容ではなかったかと創造します。
残念ながら見てないので 違ったらもしくは見ている人がいればコメントいただけると幸いです。
 
まあ、内容はともかく気になったのは言葉で、PCに向かわず本を読めという思想。
PCは単体では何も出来ないのです。
プログラムがあって・・・・と言いたい所ですがそれも違う。
回線があって、インターネットが存在して、初めて毎日見るようなものになってゆくわけです。
仕事でもなく、外部の回線につながず、そしてPCに入りびたりではマニアに属する人で とても多くの学生がという論法には該当しないわけです。
私はおそらく Blogerと言われる分類に属する人種だと思っています。それも自分ではライトな部類と思っていますが 一応判りやすく人が見る文章を書くように心がけているつもりです。
ただ、文章の書き方として本に載るような種類のものとは書き分けるひつ世があると思ったのは こういったものを書き始めて半年もしたころから。
とにかく、翌日に続いたり 前章を参照するようなスタイルはあまりいただけないと。
出来るだけ一日で完結し、考える点はともかく一般的でないことは出来る限りの説明をつけていこうと思えど知識がたいしたことがないのでまあ、失敗続きです。
まあ、自分のスタイルはともかく多くの人がこうなってくると、短く簡潔に あまり長くなりすぎない(わかっていたら実践しようよ 自分!!)文章を毎日続ける方式が多いこと。
 
たとえば、Googlニュースや各検索エンジンのトップページにのっているニュース等は、数行の文章で完結し それ以上を見たければリンク先へ〜〜というような感じで、とりあえずそのページを見れば大よそ世間様に遅れないようなニュースは確認できます。
もちろん新聞会社のページもそうです。
では紙面の新聞を見てみましょう。
見出しはありますが、紙面の配置などは文章量と取り扱いの重要度で並べ替え ここを見れば全体が見渡せるようなつくりにはなっていません。
便利になったといえばそうなのですが、逆に少ない文章量が好まれる紙面作りが時代に受けてきたということなのでしょう。
そういった文章ばかり見ていると、要点をまとめたりする必要が無いためにそういった能力が必要なくなり 私も良く使いますが比喩的表現などは無駄に文章量を多くするだけのオーバーな装飾物とされるのでそういった文例も使われなくなることでしょう。
普段使わない言葉を勉強のためだけに覚えろといったところで身につくはずはないのです。
 
「川の流れを見ていると そのまま自分が浮かび上がってゆくように感じる」という表現がありますが、これは川に目線を落としていると川が止まっていて、自分が浮かび上がって行くような錯覚に陥るからです。
ところが、川の流れを夢中になって眺めるためには ごみが浮かんでいるような川であれば自然と目を背けますし 底も見えないような川では水の流れすら上に浮かんでいる物が動いていることでしか感じられない。
つまり全体を見る視線で川を見ないので、体が浮かび上がるよな感覚にはならないのです。
では、そんなに全体が流れて見える川などハイキングに出かけた山の中以外で見ることが無い。
年に1ど行くかどうかの子供たちに、国語の時間に考えて見ましょうといったところで 実はわかるはずは無いのです。
一面の星空ですら、大阪では体験できないのですから・・・・・
 
PCがどうのといっている時点で底が浅く、バイクは危険だとか言って禁止するのと同じことでしょう。
実際、すべての家庭に近くコンピューターがあり、インターネットもほとんどある普及率の中で 会社に入ってくる事務員のタイプスピードは年々落ちていっています。
私の体感だけかもしれませんが、今年も新入社員が入ってくるでしょうが 明らかにタイプスピードは落ちて一本指操作に近い子もいます。
つい10年ぐらい前からPCの操作を教えるのに 楽になったと感じていました。
学校などでPCのことを教えるために、キー操作から教える必要がなくなったのです。
昔は、底から教えていたのですから大きな進歩です。
ですがここ数年、それが覆ってきています。
学校でしか習わない学科になってきているのです。
いえでは使えど、PCの操作がインターネットに限定されると 操作がうまくなるのはマウスの使い方。
それしかしないので、キーボードに触れない。
逆に携帯電話の入力は昔のポケベル打ちのようで尚且つ絵文字までありなのですからびっくりします。
 
子供たちも捨てたものでなく、現在の子供はパターン認識能力にかんしてはかなり高く 一定の規則性で発生するもの、その順序に踏まれるもの いわゆるマニュアルの実行手順になどについては好き嫌いや やりたくない感情をのけて考えるとそれぐらいの実行は出来るようになっています。
茶店でもぶっちょう面でよそ見しながらでもとりあえず「いらっしゃいませ」を言う理屈です。
まるで、機械のパーツのように育てられた子供たちに見えるのですが どうなんでしょうね・・・・