BlackBox化

先日、ライティングフェアなるものに行っていたわけなのですが、既に電球は駆逐され殆ど全てが新世代の発光素子に変わっていました。
LEDだったりELだったり、そして少し古い物として蛍光灯と言うような状況。
低消費電力、高輝度というのですが 色々と問題も多く最も大きな問題はコストとなるわけです。
 
白熱電球はまもなく姿を消すと言われていて本当になくなるのでしょう。
もう、ほぼ見ることは無いのですが電熱線ヒーターというのも無くなりました。
まあ、こちらは焼き物の中に電熱線を埋め込んだヒーターなどもありますので全く見なくなったということではないのですが・・・
 
電球の明かりは何か物悲しくノスタルジックなイメージがあるのは子供のころそれを見ていたからかもしれませんが 私が子供の頃で既にリビングなどは蛍光灯でした。
それでもトイレなどは白熱球で、おなかを壊したときなどはトイレに座り込むと他にすることも無く無意味に電球を眺めていたりしたからそのイメージが頭に残っているのかもしれません。
電気的には 電気の流れにくい素材に電気を無理やりに流すとその抵抗となる部分にぶつかった電子のエネルギーが振動に変わり熱に転化されるわけなのですが 見た目では電気を繋ぐと光るという非常に判りやすい仕組みです。
電熱線は赤く光るのは温度が低く、電球は熱量を上げて大気中では溶け落ちてしまう電線をガスの中で安定させて切れなくしており 故に温度が高いと教わったのですが子供の頃の記憶なので危ない物です。
電線の抵抗が大きいと少ない電流でも発熱量が高く明るく光り、逆の場合大きな電流量で・・・などと言うのも実地でやりました。
電池を二個繋ぐと一気に明るくなって切れたでしょ!! というような実験をして。
子供心に 電池を繋ぐと電気が流れてそこが熱くなって光っていって光りすぎると切れると言う段階を勉強したわけです。
電池でも電球がつくことからも、コンセントの電気に匹敵する 電池が無限のエネルギーの箱のような気がしたのですが実は電池で点く様な電球などたいした明るさではなかったのです。
 
蛍光灯は高圧の電気を両極のフィラメントに流し、そのフィラメント間を飛ぶ電子がガスに当たり紫外線を発生させ その紫外線を管の周りに塗られた傾向素子が吸収して光っているわけです。
LEDに至っては半導体の世界で、既に動作原理も素子に電気を流すとエネルギー転化が起きて光るなどと言う目に見える世界では何が怒っているのかわからない仕組みになっています。
で、私たちの子供の頃と違って今の子供たちにとって電球はどう写っているのでしょう?
私の子供の頃は 電球は仕組みが判る機械で テレビは判らない機械という子供心の認識でした。
今の子供にとっては、テレビも電球(蛍光灯だったりLEDだったり)も十分に仕組みの判らない機械になっているのではないのでしょうか?
電球の先に、トースターがあって、歯車の塊の時計、ラジカセと段階を踏んで判り易い機械が有って、その順序で(順番は変わっても)好奇心の強い男の子は 分解欲に目覚めてゆくわけです。
決して私個人のことではなく 一般論ですよ!!
そして、ジャンク屋に出入りして 壊れているけど直りそうな物をただ同然で買いあさって 直して使い始めると言うような流れに・・・
くどいようですが 決して私個人のことではなく 一般論ですよ!!
ただ、もし私の子供の頃が今だったら、何をばらしたらいいのでしょう?
時計をばらすと電池とモータが出てきます。
今の時計の場合、殆どがユニット構造になっており接着剤で接着されたプラスチックのケースの中に入っており ばらすこと=壊すことになってしまいます。
この間はスケルトンな時計を見ていて 面白い歯車の動きだと思ったら 実は歯車の為のモーターがついていて時計とは全く違う方向に動いていただけでした。
それを見てもとても中身の仕組みを知るための勉強にはなりません。
振り子時計の振り子も、ひどい場合には振り子専用の電池までついている全然別の物なのです。
理科で習う振り子は、先端の質量が同じ振り子は同じリズムで動き続けると言う 「振り子の法則」を利用してその動きを時間に転化したものが時計だと教えられても 時計部分と振り子部分が離れているのでは説得力に欠けようと言うものです。
振り子の長さが長いほど振り子の周波数は変動しにくくなり、時計は大きければ大きいほど正確だといっても 横に電波時計があったら・・・・でしょう。
 
いきなり小学生が微分を出来ないのと同じで、物の理解も一足飛びにはいけません。
最初に理解すべき物が全てBlackBoxだと、BlackBoxが最初から最後までとなればとても触ってみようとは思わなくなるのではないのでしょうか?
まあ、例え触れたとしても 今の商品たちはどうにもこうにも手が出ないものが多くて困るのですが・・・
子供の頃にジャンクをばらしていたのが幸せなのか、今のようにバーチャルに浸るのが幸せなのか。
私は、手で触れる物をやっていたときが幸せだと思えたのですが・・・
えっ、いまでも?